第576話 人の営み

「ところでマリーノさん……」


 と、クラウディアは話題を変えようと話しかけた。いつまでも野郎どもの珍妙な『喜びのダンス』を見て時間を浪費している訳にもいかない。


「騎士の人数、足りていますか?」


 足りているはずがないとわかっているが、現場の意見を無視して勝手に話を進めるのはとんでもない見落としをしそうで危険だと考えてそう聞いた。やはり外から見ているだけではわからない事もある。また、ちゃんと話を聞いてもらえるというのは現場にも安心感を与えるだろう。


 マリーノは名残惜しそうに短刀を鞘に納めてから重く口を開いた。


「今はまだなんとか、ギリギリ回せているってぇ感じです。ただ、村がこれ以上大きくなるとどうしても……」


 普段から馬鹿みたいに明るいマリーノにしては珍しく、暗い顔で言葉を濁していた。


「これほどの厚遇を受けていながら、結果を出せない事については申し訳なく思っております」


「あ、いえいえそんな。人手不足ばかりは努力でどうにかなるもんじゃありませんよ」


 責めている訳ではないと、クラウディアは慌てて手を振った。


「むしろこういう時は足りないものは足りないとハッキリ言ってもらえた方がありがたいです。出来るかどうかはそれから考えますので」


「それでは弱音を吐かせていただきますが、正直なところちょいと厳しいですね。特に牢屋がなくて牢番もいないというのが問題です」


「牢屋、ですか?」


 これもまた意外な話が出てきたものだなとクラウディアは目を丸くしていた。


「そう、牢屋です。冒険者どもが酒飲んで暴れたり喧嘩をしたり、宝石取引所や娼館でもめ事を起こした場合、騎士団が出動してとっ捕まえる訳ですが」


 そこまではわかる、とクラウディアは頷いて先を促した。


「捕まえておく場所がないから裁判なんて出来やしない。証拠はない、事情もよくわからない、そんな状況でも罰を下さなきゃならんのですよ。ブン殴るとか罰金だとかで済むならまだいいのですが、それ以上となると……」


 マリーノは拳を握って前へと突き出し、手首を捻った。刃物で刺す真似、という事だろうか。少々殺意が高すぎる気がしないでもない。


 なんとか回せているどころではない、大問題である。


 今までに何人殺したのだ、冤罪はなかったのかと聞きたいところであったがクラウディアは唇を強く閉じてぐっと堪えた。


 限られた人員、限られた環境で必死に働いた結果だ。ある意味で彼らをそこまで追い詰めたのは現場を知らぬ自分であり、エスターライヒ家だ。騎士たちを安易に責めるような真似は出来なかった、してはならぬと思ったのだ。


「マリーノさん。私は城砦都市に戻ったらすぐにでもアルドルさんに面会を申し込み、ここの増員をお願いするつもりです」


「おお、そいつはありがたい! クラウディアさんの銅像を建てて毎日拝みます!」


「そんな事しなくていいから」


 マリーノの大袈裟に過ぎるリアクションはともかく、喜んでもらえたのは確かなようだ。逆に言えば人手不足は彼らにとってかなりの負担であったのだろう。




 一緒に食事でも、というマリーノたちの誘いを断り、クラウディアとルッツは馬車に乗り込みエスターライヒ領の城砦都市へと向かった。


「人の営みというのは、本当に難しいものだねえ……」


 手綱を握るクラウディアがしみじみと呟いた。弱音を吐いている訳ではない、彼女の美しい横顔には知的好奇心のようなものが浮かび上がっていた。


「十分な物資と十分な人手があれば組織の運営は上手くいくだなんて、とんだ思い上がりだったよ。牢屋と裁判か、気付かなかったなぁ。調べていけば他にも色々出て来るんだろうね、ゴミの捨て方とか、川と水の使い方とか、糞便の始末とか」


「以前、ヴィクトルさんが酒の席で語っていたのだが……」


 と、ルッツが知り合いの王都騎士団長の名を出した。


「兵隊のシモの世話が出来ない奴は軍師になれない、だとさ」


「……相変わらず露骨な言い方をするオッサンだねぇ。なんとなくはわかるが、意味を聞いてもいいかい?」


「たとえば長期遠征中の兵隊の性欲をいかに解消するか、あくまでこれは一例だがそういうところにまで気が回らない奴は軍事を語る資格はない、とのことだ。右手か野郎同士で解消しろというのか、慰安部隊を用意するのか、あるいは近隣の街や村での略奪暴行を許可するのか」


「事前に決めておかないと思わぬ事態を引き起こしそうだねえ。色々と溜まりに溜まった兵士たちが近隣の村を襲いました、そこは絶対に逆らってはいけない大貴族の領地でした、なんて事になったらもう戦争どころではないからねえ」


「そいつは確かに大問題だ。兵士のクビを飛ばしておしまいとはならないだろうな」


「目の前の敵をほったらかしにして仲間割れが始まるねえ。いや、実際にそうなった例は歴史上にいくらでもあるか」


「指揮官に女衒の真似事をしろとまでは言わないが、そうした事を任せられる人材とかは用意するべきだよな。ええと……」


 ルッツは人差し指をくるくると回しながら幌馬車の天井を見上げた。


「すまん、なんか話が逸れちゃったな。要するに俺が言いたかったのは、集団生活って奴は色々と面倒で大変で、落とし穴が沢山あるなと、そういう話だよ」


「宝石の取り引きに一枚噛ませてもらおうってだけの話が、ずいぶんと大事になっちゃったねえ」


「……クラウ、後悔しているか?」


 心配そうな声を出すルッツに、クラウディアは口元に不敵な笑みを浮かべて答えた。


「いやあ、これでなかなか楽しんでいるよ。乗りかかった船を私が頑丈な大船にしてやろう、そういうのも面白いじゃないか」


 クラウディアの明るい笑い声が青空に吸い込まれていく。


 ルッツはクラウディアに対して普段の愛情とはまた別の、親近感のようなものを覚えていた。


 彼女は職人ではない。だが、何度失敗してもすぐに立ち上がり、挑み続けるその姿は尊敬に値する。


「……凄いな、君は」


「へ? 何だい突然?」


「いや、別に。言いたくなっただけさ」


「おかしな男だねえ……」


 クラウディアは軽く首を傾げるが、改めて聞き返そうともしなかった。それはなんとなく、野暮な行いのような気がしたのだ。


 雲ひとつない青空の下、馬車はのんびりと進み続けた。

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