第568話 夢を継ぐ者
火造り、土置き、焼き入れ、研ぎ。
様々な工程を経て鉄塊が美しい短刀へと生まれ変わる。その光景をウィルソンたちは熱を帯びた瞳でじっと見つめていた。
一度は目にした刀作りであるが、以前とは全く見え方が違っていた。
あの時は新しい技術を教えてもらえるという事で興奮はしていた、見るだけで職人としての腕が上がるのではと期待していた。どこか受け身で他人事、自分が刀を作れるなど本気で信じていなかったようにも思える。だから工房に戻って何度か試した後、自分には無理だ無縁のものだとすぐに諦めてしまったのだ。
今は違う。本気で名工と呼ばれる男になりたい、自分の手で刀を作りたい。だから目の前で起きている事を全て現実のものとして受け入れられたのだ。
「完成です」
研ぎを終え、刀身から水気を拭ったルッツが大きく息を吐いた。
まずは長老が進み出て短刀を布で摘まみ、刀身をじっくりと眺めた。彼は刃を通して今までの作業を反芻していた。あの作業でこうなった、あそこでああしたのがこう影響したと、頭の中でもう一度短刀を作り上げているのだ。
続くオリヴァー、モモスの表情も真剣そのもの。素晴らしい短刀が出来上がったと浮かれている場合ではないなと、ウィルソンは気持ちを引き締めた。
先輩方に倣って刀身を見ながら作業工程を思い出す。残念ながら完璧にトレースとまではいかなかった。やれるだろうか。いや、やらねばならない。
いつまでも眺めていたいがそうもいかず、ウィルソンは未練を残したまま短刀を弟子たちへと引き渡した。
どんな楽しいお祭りもいつかは終わってしまう。ルッツが簡単な挨拶をして、これで解散となった。
意外と言うべきなのだろうか。他の親方衆は未練がましく残ろうとはせずに帰り支度を始めた。長老などは勢いよく走り出し、高弟ふたりが慌てて追いかるといった有り様だ。
未練がないどころか焦っているようにも見えるのは何故だろうか。ウィルソンはしばし考え、ようやく理解した。
……そうか、今日覚えた事をすぐにでも試したくて仕方ないのだ。
彼らは親方衆上位の地位に甘えている訳ではない。それだけの熱量を持っているからこそ上位三名に名を連ねているのだ。
ならば自分もと決意し高弟たちと眼を合わせると、彼らは無言で頷いた。
工房から一歩出たところで、
「あ、ちょっと待った」
と、この場にそぐわぬのんびりとした声をかけられた。振り向くとそこには小さな包みを差し出すルッツの姿があった。
「ボルビスさんに」
唇の前で指を立て、ルッツは妙な事を言う。
それはどういう意味なのか、この包みは何なのかと聞く前に工房の扉を閉じられてしまった。
中からガタガタと閂を落とす音がする。もう何も話すつもりはないらしい。
「何だこれは、何だ……?」
高弟たちと一緒に首を捻りながら帰路につくウィルソンであった。
包みの大きさと硬さからなんとなく予想はしていたが、実際に開いてみると感動でぶるりと身が震えた。それはつい先ほど出来たばかりの短刀であった。
次に考えるべきは、何故ルッツはこんなに貴重な物を預けてくれたのかだ。
これを参考にして刀作りに励んでくれ、というルッツの好意なのだろうか。
人差し指を立てたいたずらっぽい笑みを思い出す。他の親方たちにはナイショだよ、という意味なのだろう。そこまではわかる。
何故ルッツはそこまでしてくれるのか、それがわからない。
「……どう思う?」
親方の私室に同席する高弟ふたりに聞いてみると、やはり彼らも戸惑っているようだ。
「ひとつ、よろしいでしょうか?」
高弟のひとりが遠慮がちに手を挙げた。
「言ってくれ、何でもいい」
「この短刀を親方に渡すとき、ルッツさんは『ボルビスさんへ』と言っていました。それが鍵なのではないかと」
「墓に供えてくれって意味じゃないよなぁ……」
ウィルソンが重い声で言うと、それはないなと高弟たちも首を横に振った。
貴族用の墓地ならばともかく、平民の共同墓地で貴重品を墓に入れれば即座に荒らされるに決まっている。
少し前の話になるが、『ヘンケルスの乱』で命を落とした騎士たちの中にはルッツ作の短刀を持っていた者がいて副葬品として墓に入れられたのだが、三日と立たずに墓が荒らされ短刀は持ち去られてしまった。
聞けば眉をひそめたくなるような話であるが、一方で当然と言えば当然の流れでもあった。死者の尊厳が生者のパンよりも優先されるほど成熟した社会ではない。
この短刀は墓へと向けられたものではない。ならば何処か。
「ボルビスさんの工房を盛り上げ、守って下さいという意味かな……?」
多分、そういう事だろう。不思議な事に今回は『またボルビス様を通じてしか自分を見ていないのか』という嫉妬や劣等感は湧いて来なかった。
ウィルソンが親方の椅子に座っているのは、何だかんだでボルビスが基礎を教えてくれたからだ。これから頑張ろうという気になれたのはルッツが刀作りを教えてくれたからだ。決して自分ひとりの力でこの地位に就いた訳ではない。
ルッツがボルビスの世話になった、その結果として元ボルビス工房の者たちに好意を示してくれるのならば、それは素直に受け取ろう。そして自分は次の世代に技術を伝えてやればいい。
職人たちのお祭り騒ぎに参加した事で、自分の中にあった壁や殻のようなものが薄くなった気がする。
奴らは憎むべき商売敵であり、愛すべき同業者だ。
弟子たちは親方の椅子を狙う不届き者であり、大事な後継者だ。
ルッツのように何もかも
「この短刀、皆にも見せてやっていいかな」
ウィルソンの提案に高弟たちは目を丸くして驚いていたが、強く反対はしなかった。
「職人たちに、ですか?」
「工房の関係者全員にだ。それこそ下働きの徒弟たちにも、頑張ればいつかこういう物が作れるんだぞと教えてやりたい」
「それはまた気前のよろしい事で……」
「技術は秘匿すべきものという考えに変わりはない、間違っているとも思わない。それはそれとしてうちの職人たちは他の工房の連中よりも優秀であって欲しい。……ちょっと贅沢か?」
ウィルソンが苦笑いを浮かべる。高弟たちは戸惑っていたが、それは決して不快な迷いではなかった。
「いいですね。その夢、惚れましたよ」
三人は顔を見合わせ、やがてクスクスと笑い出した。
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