第569話 工房のブランド

 ルッツ工房の鍛冶場からリズミカルな鎚音が響く。


 他人に何かを教えるというのは自分にとっても得るものが多い。職人たちの熱意に触れる事でルッツの創作意欲も刺激され、短刀五本を一気に作り上げた。


 テーブルの上に白い布を敷き、短刀を並べてじっと眺める。ルッツの口元に自然と笑みが浮かんだ。納得のいく出来だ、これも職人交流会をやったからこそだろう。無駄で遠回りのように思えたが、結局は最善の最短距離であった。


「やあルッツくん、ご機嫌だねぇ!」


 まるで出来上がりのタイミングを計ったかのようにクラウディアが二階から降りてきた。ルッツとしては誰かに自慢したかったところである、それが最愛の女性であればさらに良しだ。


「まずは見てくれ」


 と言って、ちょいちょいとテーブルを指差した。


 クラウディアは手袋を着けて短刀のひとつを手に取った。月の光を削り出したかのような素晴らしい輝きだ。ピュウと口笛でも吹きたいところであったが、刃に息がかかってはいけないので、唇をもごもごと動かすだけでなんとか堪えた。


「いいねえ、実にいいよ。貴族か豪商に売りつけて大儲けしたいところだが、ルッツくんはそういうの嫌いなんだよねぇ?」


「そうだな。これは冒険者村で働く騎士たちの為に打ったものだ。出来が良いから余所にまわそうというのは職人としての信義にもとる」


「相変わらず真面目だねぇ。まあ、そういうところに皆が惹かれるんだろうけど」


「君もか」


「まぁね」


 クラウディアはニヤニヤと笑いながら答え、次の短刀を手に取った。先ほどのものが月の光だとすれば、今度は太陽の欠片といったところか。甲乙付けがたく実に素晴らしい。


「しかしねえルッツくん。一応言っておくけど、騎士の半数くらいは短刀を受け取ったらすぐに売り飛ばして、別の安物を買って差額を懐に入れるよ」


 君の信義は踏みにじられると心配そうに言うクラウディア。ルッツはピクリと片眉を動かし考え込むがやがて、


「仕方ないさ」


 と言って首を振った。


「信義を尽くすというのは俺の都合で、それを他人に押し付けるつもりはない。受け取った当人がその後どうしようがそれも勝手さ。無論、俺がそいつを信用するかといえば、しないだろうけど」


 ルッツは寂しげに笑い、肩をすくめて見せた。


「ところでクラウは差額と言ったが、俺の短刀と他の短刀でそんなに価格が違うものか?」


 のんびりとした、そしてどこか他人事のようなルッツの物言いに、クラウディアは呆れたようにポカンと口を半開きにしていた。


 こいつは何を言っているのだろうか、と。


 自分のネームバリューやブランド価値に無頓着であるのは、ある意味で彼らしいと言えばらしい話であるが。


「たとえばルッツくんが打った三文字の刀があるとしよう、そして他の親方が打った三文字がある。このふたつの性能や美しさが同等であったとしても、市場に流せば価格に五倍以上の差がつくだろうね」


「……そんなにか?」


 ルッツは眼を見開いて聞いた。多少の差は出るだろうとは思っていたが、同じ性能でそこまで違うとは驚きである。誰よりも早く刀を取り扱ってきたクラウディアの意見だ、疑う余地はない。


「実績と信用、そこから来るブランド価値とはそういうものさ。ルッツくんは今までに王国と連合国、ふたつの国の王様に刀を献上した。王都の騎士団長たちも刀を愛用している。刀で多くの化け物を退治してきた。つまりルッツくんの刀を持つという事は、王様や英雄たちと同じ物を持つという事なんだよ」


「言わんとする事はわからんでもないが……」


 ルッツは天井を見上げて呟くように言った。


「俺だって駄作を打つ事がある。いや、傑作が出来る方が珍しい。俺の銘が入っていればどれもが名刀だなどと思われてはな……」


「迷惑かい?」


「評判だけがひとり歩きしているようで、少し怖い」


 ルッツの視線の先、三階には倉庫として使っている部屋がある。そこには以前、惰性で打ったなまくら刀が己への戒めとして置かれていた。斬れない事はない、見た目も悪くはない。だがなんとなく気の抜けた二文字の刀。


 メイクブッダ・ノーソウル。ただの尖った鉄棒。付き合いの深い装飾師であるパトリックから『抜けないエロ本』と評された、思い出す度に恥ずかしくなるような駄作だ。


 そんな物をルッツの作だというだけで名刀扱いされたのではたまったものではない。不快感よりもまず恐怖が勝り、ルッツはぶるりと身を震わせた。


 ルッツが首を振って気を落ち着けるまで待ってから、クラウディアは話を続けた。


「対して親方衆にはそうした実績がない。強いて言えば長老とモモスさんは伯爵に四文字の刀を献上し、オリヴァーさんは付き合いのある豪商と独占契約を結んだくらいかな。悪くはないけど外へアピールするにはちょっと弱いね」


「どうして職人たちが貴族に武具を献上するのか不思議だったが、あの人も使っているぞという箔を付ける為だったんだな」


「そういう事、ただこれも良い面ばかりじゃなくてね。あくまで献上という形だから、何らかのお礼がもらえるかどうかは相手のさじ加減な訳で」


「場合によってはタダ働きか」


 長老とモモスがマクシミリアン・ツァンダー伯爵に刀を献上した時はふたりとも金貨百枚を下賜されていたが、あれは伯爵の好意によるものである。


 マクシミリアンは領内の武具生産を奨励している立場であり、取り次いだルッツとゲルハルトの顔を立てる必要もあった。だから職人ふたりを粗略に扱わなかったのだろう。これが他の貴族であったなら、『ご苦労』というお褒めの言葉だけで終わっていた可能性は十分にある。


 貴族のお気持ちに依存した取り引きほど不安定で恐ろしいものはない。


「それとあまり気前よくばら撒きすぎると、タダで手に入る物というイメージが先行して逆に価値が下がるかもしれない」


「貴族が何十本もタダで貰ったものを、あなたは金貨百枚で買って下さいと言われても、って感じか」


「うん。それと武具はタダで貰えるものと勘違いした貴族の方から『おい、次の献上品はまだか?』なんて要求されるようになるかもしれない。これも危険だねえ」


「なんだかんだでその地の領主には逆らえんからな。それで腕の良い鍛冶屋が夜逃げでもしたら誰にとっても不幸だな」


「そういう不幸が世の中には腐るほどあるのさ」


 ルッツは腕を組んで『むぅ』と唸った。信用を得る、信用を得る為に行動する、それは何と難しい事だろうか。


 自分は今まで何も考えてこなかった、それで問題なかったのはクラウディアが上手くやってくれていたからなのだろう。


「……ありがとう、クラウ」


「え、何だい突然?」


「別に、何となく言いたくなっただけさ」


 駄作が世に流れてしまったら、などと考えるのはやめよう。客の信頼に応えられる刀を打つ、それだけを心がけていればいい。それが結果として、刀を取り扱うクラウディアの信用を守る事にも繋がるのだ。


 よくわからないがルッツが好意を向けてくれている。そうと気付いたクラウディアが照れ隠しに窓へと眼を向けると、思い出したように『あっ』と呟いた。


「ルッツくん、そろそろ出かける時間じゃないか? 技術公開のお礼として親方衆から食事に誘われているんだろう?」


「こっちは炭と鉄を受け取っているんだから、そんなに気を遣わなくてもいいのになあ」


「世間一般の感覚からすれば技術の方がずっと重いさ。親方衆にはルッツくんともっと仲良くなりたいっていう思惑もあるだろうし、遠慮なく飲み食いしてくるといい」


「そうだな。また面倒な話が出てこなけりゃいいけど」


 ふたりは顔を見合わせ、声をあげて笑った。


 ひとしきり笑った後で笑顔が固まり引きつった。


 親方衆と食事会をして、何もないなどという事があり得るだろうか。いや、ない。絶対にない。


「……出来る限り、余計な事は言わないようにするよ」


 ルッツが暗い声で言い、クラウディアは深く頷いた。

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