第567話 夢のひととき
親方と高弟たちは重い肩書きと責任を忘れ、
『俺たちはルッツの弟子だぜヒャッホゥ!』
と、はしゃぎ回っていた。
無論、本心ではなくお祭り騒ぎのネタとしてだが。
普段から傍若無人にもちゃらんぽらんにも見える親方衆も、なんだかんだでストレスは溜まっているらしい。
彼らはこの祭りを存分に楽しんでいた。隣にいるのが憎むべき同業者である事も忘れた。お祭り初参加のウィルソンもすっかり馴染んでいた。
居心地の悪い思いをしているのは家主ただひとりである。
「何だこれ、何だこれ……?」
白衣に袴、たすき掛けという東洋職人スタイル。謂わば鍛冶屋の正装に身を包んだルッツが二階で首を捻っていた。
着替えを手伝っていたクラウディアが苦笑を浮かべて言った。
「大人になると、はしゃぎ回るのも難しくなるのだろうねえ」
「はしゃぐ、か。騒ぐのとはまた違うのだな?」
「そうだね。酒を飲んで騒ぐだけなら難しくはないし誰だってやっている。そういうのとはまた別でさ、肩書きを外して童心にかえって、むさ苦しい友達と一緒にキャッキャと笑い合う機会は貴重だと思うよ」
「それは確かに難しそうだ。いずれにせよ主催者としては来賓に楽しんでもらえて何よりだ。ちょっと想定していた楽しみ方とは違うかなってだけで」
「あはは、まあ結果オーライって奴だよ」
クラウディアはルッツの全身を眺め回した後でニイッと笑い、硬い尻をパァンと勢いよく叩いた。
「よぉし、今日もいい男だ。行っといで!」
「おう!」
ルッツは腹に力を込めて答え、階段を踏み締めるように降りて行った。
階段が軋む音が聞こえると、にわか弟子たちはお喋りを止めて背筋を伸ばし階段に注目した。
若き刀鍛冶が不思議な衣装を纏い、美女を伴い降りて来る。その姿からは威厳すら感じられ、ベテラン職人たちは思わず息を呑んだ。
ルッツは工房を見回し、ひとりひとりの顔を確かめてから深く頭を下げた。
「皆様。本日はお忙しい中、お集まりいただき誠にありがとうございます」
常連の親方三人はルッツがこういう男だと知っており、暖かい眼で眺めていた。
ウィルソンと高弟たちは少々意外そうな顔をしていた。ルッツの態度には技術を教えてやる側なんだぞという驕りが全く見られない。先輩たちに媚を売ろうという卑屈さも感じられない。ただひたすらに職人同士で高め合っていこうという意思があるのみだ。なるほど親方が惚れ込む訳だと、高弟たちは納得していた。
少しひねくれた見方をすれば若造の処世術とも言えるが、それでも礼を尽くされて悪い気はしない。傲慢な態度に出られるよりはずっと良いだろう。
「堅苦しい挨拶は抜きにして、早速始めさせていただきます」
「親方」
と言って長老が進み出た。この狭い空間に親方と呼ばれて振り返る者は多数いるが、今回に限ってはルッツの事である。
「炉の準備は整っております」
「はい」
ルッツは短く答えて赤く燃える炉に手をかざした。
「モモスさん、ふいごの操作を」
「承知!」
親方衆のひとりであるモモスは飛び付くようにふいごのハンドルを握り、ゆっくりと前後に動かした。
炉に風が送り込まれ、ゴウゴウと唸りをあげる。炭が呼吸しているかのように光を強めた。
ルッツは口の中で『よし』と呟いて、積んだ鉄片を炉に入れてから振り返った。
「どうぞ、温度の確認をしてください」
そう言って炉の前から退くと、まず長老とオリヴァーが進み出て手をかざした。眼はキラキラと輝き、鼻息は荒い。放っておいたら炉に手を突っ込んで炭を掴みそうな勢いだ。
「あの、出来れば俺たちも……」
高弟のひとりが遠慮がちに言うと、ルッツは微笑みながら頷いた。
「もちろんです」
この場において身分や肩書きの上下はない。ルッツは長老とオリヴァーの襟首を掴んで引き剥がした。
「さあ、どうぞ」
「あ、はい……」
いいところで邪魔しやがってと親方たちが弟子を睨み付ける。少々気まずいが、ここで引き下がっては知識は得られない。後で謝ればいいかと半ば開き直って高弟は炉に手をかざした。
「むっ……」
炭の光り方からしてある程度の予想はしていたが、恐ろしく熱い。親方たちへ視線を送ると、彼らの顔は真っ赤になっていた。どうやら手の平だけでなく、顔の皮膚でも熱さを感じていたようだ。
皆が代わる代わる温度を確かめ、二巡した辺りで鋼はちょうどよく熱せられた。
「ウィルソンさん、相槌をお願いします」
「は、はいッ!」
ウィルソンは上ずった声で答えた。
こうした集まりにおいて新参者である自分を指名してくれた、学ぶ機会を与えてくれた、それは素直にありがたい。
それと同時に、他の親方とその弟子たちが集まる場で失敗したらどうしようという不安が重くのし掛かってきた。視界が左右にブレ、鎚を握る手に余計な力が入るウィルソンに、ルッツは優しく語りかけた。
「気楽にいきましょう。失敗したって死にやしませんよ」
「ルッツさんでも失敗する事はあるのですか」
「しょっちゅうですよ。だから炭と鉄の消費量が増えて、気付いたら足りなくなったりする訳で」
などと言ってルッツは笑い出した。
自分を励ます為に言ってくれたのか、それとも事実なのだろうか。ウィルソンの思考はカァンと激しい金属音で中断させられた。ルッツが激しく熱せられた鉄を打ったのだ。今は鉄を鍛えている最中である、何はともあれ動かねばなるまい。
ウィルソンが鎚を振るう、中心から少しずれて間の抜けた音が出てしまった。ルッツが気にせず鎚を振るうので恥じている暇も後悔している時間もなかった。
無心で鎚を振るう、先ほどよりも良い音が出た。次にルッツが打つ、ウィルソンが打つ、その繰り返しだ。
鍛えた鉄を折り重ね、熱し、また打つ。いつしかウィルソンは不安も緊張も忘れ、夢中になって鎚を振るっていた。
夢のような時間が過ぎて、終わった。
鉄の鍛錬が終わり、一時休憩となった。ウィルソンは適当な木箱に座り、じっと自分の手を見つめていた。
勉強になった、疲れた、緊張した。どれも事実であるが、今の気持ちを一言で表すには妥当でないような気がする。
「どうぞ」
「あ、どうも」
クラウディアが差し出した木のコップを受け取り、中身も見ずに一気に喉へと流し込む。僅かな甘みのある果実水が、汗まみれになった全身に染み渡る。
「ああ、これはいい。実にいいなぁ……」
少しだけ疲労が抜けた事で口元が弛む。そこでようやく自分の気持ちに気が付いた。
楽しい。そうだ、それが今の気分に一番合った言葉だろう。
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