第565話 持たざる者の慟哭

「ええと待って、ちょっと待ってください。弟子、弟子にしてくれと申されましたか?」


「はい!」


 あまりにも真っ直ぐに、純粋に、そして元気良く言われてしまった。どこから説明すれば良いのだろうかと、ルッツは頭痛すら覚えていた。


 自分よりもずっと年上の、そして鍛冶工房の親方という立派な肩書きを持つ男を正式な弟子として迎え、半ば住み込みで働かせるなど気まずいし嫌に決まっている。何かと理由を付けて顔を出してくる親方三人衆をあしらうだけでも精一杯なのだ。


「ウィルソンさんは親方です、謂わば一城の主です。そして多くの徒弟を抱える身でもあります。そんな責任ある立場のお人が、こんな若造の弟子になるだなんて出来るはずも許されるはずもないじゃあないですか」


 ルッツが諭すように言うと、ウィルソンは寂しげな表情を浮かべて首を横に振った。


「私がいなくても工房は回りますから……」


「それでも親方が工房を放置していい理由にはならんでしょう。親方が皆を引っ張ってこそ工房は盛り上がり発展していくものです」


「皆を引っ張っていく為の技術が私にはないのですッ!」


 つい大声を出してしまった。ルッツが少しだけ迷惑そうな顔をしている。ウィルソンは慌てて頭を下げ、謝罪した。


「申し訳ありません。つい感情が昂ってしまいました……」


「それはいいのですが、技術がないとはどういう事ですか」


「少し、私の恥を聞いていただけますか?」


 今さら何でもありませんと言われても困る。ルッツは頷いて先を促した。


「……我が師ボルビスはツァンダー伯爵領で一番と言われる腕の持ち主でした。伯爵の依頼を受けた事、武具を献上した事は数えきれぬほどあります」


 ルッツもそこまでは聞いている。そんなボルビスの作る剣に満足出来なくなったゲルハルトが新たな名工探しをしたのが全ての始まりであった。


「同時にボルビス様は親方の地位に固執するお人でもありました。弟子たちに追い落とされぬよう基本的な事しか教えず、技術を伝えようとはしませんでした。見て盗もうにも作業する時は専用の鍛冶場から皆を追い出して内側から鍵をかけるほどの徹底ぶりです」


「そこまで……」


「私はボルビス様より親方の地位を譲られる直前に、様々な技術を与えられました。しかし所詮は付け焼き刃、確かな実力として身に付く事はなかったのです」


 職人を守る法など無きに等しい時代において、知識と技術とは財産であった。それを守ろうとするのは当然だ。


 しかし秘密主義の度が過ぎて弟子たちの教育を怠り、結果として工房全体のレベルが下がったのでは眼も当てられない。悲劇的な滑稽さだ。


 かつて栄華を誇ったボルビス工房は主の死と共に瓦解した。


 ルッツは眼を閉じて亡きボルビスをしのんだ。彼は親方の地位を手放した事で身軽になり、刀という新技術に触れた事で未来に希望を見出だしていた。今も生きていれば恐らく弟子たちに技術を惜しみなく分け与えていた事だろう。


 あまりにも早すぎた、そしてタイミングの悪い死であった。


「ウィルソン工房で作られているのは冒険者向けの安物ばかりです。修繕なども引き受けてようやく食っていけるという有り様で。今は好景気なのでなんとかおこぼれだけでもやっていけますが、少しでも状況が変わってしまえばどうなる事やら……」


 ルッツは黙って耳を傾けていた。情けない、とウィルソンを非難する気にはなれなかった。


 自分ひとりであれば棄てる事も、逃げ出す事も出来ただろう。しかし彼は工房の主であり、多くの弟子を抱える身だ。彼の苦悩は責任から逃げなかったからこその苦しみだ。


 かなり特殊な立場であり、ある意味でいい加減でもある自分が偉そうに語れる事など何もない。


「弟子たちからも、こんな工房にいては未来がないと陰口を叩かれる有り様です。そして悲しい事にそれが事実であると私自身がよくわかっているのです。反論など出来ませんでした」


 ウィルソンは俯き、ぶるぶると肩を震わせていた。


 泣いているのかもしれない。ルッツは何も言わず、ただじっと待っていた。


「ルッツ様!」


 ウィルソンは突如として叫び出し、椅子から転げ落ちるような形で膝を突いて手を床に置いた。


「げぇ……」


 ルッツは思わず唸ってしまった。


 ウィルソンがどこまで意識してこのポーズを取ったのかはわからないが、これは海の向こうに伝わるジキソ・ドゲザスタイルである。


 ルッツは父であり師でもあるルーファスから、このポーズを取った者を無視するのは男の心意気に反すると教えられていた。


 頼みを引き受けるかどうかはともかく、話くらいは聞かねばなるまい。


「身勝手に身勝手を重ねるお願いではありますが、どうか私に再起の機会をお与えください! どうか、ウィルソン工房に未来への希望を、どうか……ッ!」


 ガンガンと額を床に叩き付けるウィルソン。ルッツはそんな彼の前に屈んで、優しく肩に手を置いた。


「ウィルソンさん、やはり俺はあなたを弟子に取る事は出来ません」


「そんな……」


 見捨てられた。絶望の表情を浮かべるウィルソンに、ルッツは首を振って見せた。


「正式な弟子になどならずとも、学ぶ機会はいくらでもあります。実はまた長老たちと一緒に短刀を作ろうというイベントを控えているのですが、ウィルソンさんも参加しませんか?」


「よろしいのですか……?」


「もちろんです。俺は別にあの三人を特別扱いしている訳ではありません、これは親方衆に向けてのイベントです。もちろん、ウィルソンさんも」


 参加資格がある、そう言ってルッツは頷いた。ウィルソンの視界がじわりと滲む。


「それと今回はですね、弟子をふたりまで連れて来てよいという話になっていまして、気が向いたらどうぞという感じで……」


 と、ルッツは遠慮がちに言った。


 弟子が刀作りを直に学ぶという事は、実力を付けて親方を追い落とす危険性もあるという事だ。しかしウィルソンは全て承知の上で、是非ともお願いしますと力強く言った。


「下の者を育て、その上で自分が技術の最先端を行く。そのくらいの覚悟がなければ工房の建て直しは出来ません!」


「わかりました。ではまた明日、お待ちしております」


 そう言ってからルッツは大して広くもない鍛冶場を見回した。十二人がここに押し掛ければ窮屈になってしまうが、それも仕方がない。


 熱い職人魂を持った者を追い出せるはずもなかった。

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