第564話 不審者と礼節

「動くな」


 ルッツは背後から不審者の首に刃を当ててドスの利いた声を出した。脅すだけのつもりだったが『夢幻泡影』の切れ味が良すぎたせいか、ツッと不審者の首から血が垂れてしまった。


 場合によっては殺すつもりの相手だ、それはどうでもいい。刃に血が付いてしまった為、後で手入れをしなければならないのが面倒だ。


「待て、待ってくれ。私は怪しい者ではないッ!」


「怪しいからこんな事になっているんだよ」


「私はウィルソンだ! 鍛冶屋の! 親方の!」


「んん……?」


 どこかで聞いた名前のような気がするが思い出せなかった。


 いずれにせよ本当に鍛冶同業者組合ギルドに属する親方だというのであれば、殺すのも敵対するのも得策ではない。


「それは失礼しました」


 感情のこもらぬ声で言い、ルッツは刀身を布で拭ってから鞘に納めた。ウィルソンと名乗る男を油断なく睨み付けながら数歩下がった。


 ウィルソンはゆっくりと立ち上がり振り向いた。年は四十前後といったところか。鍛冶屋の親方らしいがっしりとした身体つきをしており、洒落者らしくアゴ髭は綺麗に切り揃えられている。


 見た目だけなら渋いおじさまなのだがどうにも覇気に欠けるところがあり、くたびれた中年男という印象が先に来てしまう。


 ルッツは眼を細めてウィルソンの全身を見回した。見覚えがあるような気はするのだが、やはり名前と記憶が一致しなかった。


「私を覚えていないか?」


「は、失礼ですがどうにも……」


「刀の技術公開の日にもいたのだが」


「ううん……」


 ルッツは困惑し、そして納得もしていた。技術公開に訪れた親方は十五人もいたのだ。隅っこから眺めていただけの男の顔などハッキリ覚えているはずがない。


 なおもその表情に不信感を残すルッツに、ウィルソンは暗い声で言った。


「……私は鍛冶師ボルビスの弟子だった」


「ああ!」


 ルッツは眼を大きく見開いてポンと手を叩いた。


 鍛冶師、親方、ウィルソン、ボルビス。バラバラだった欠片がようやく記憶の中で一致したという顔だ。


 ボルビス。それは何かと付き合いの深い付呪術師ゲルハルトの古くからの友人であり、ルッツが初めて刀作りを教えた相手の名だ。


 彼は心臓を悪くしており、出来上がったばかりの刀を抱えたまま工房で命を落とした。その壮絶な最期は職人の死とはかくあるべしと多くの者に感銘を与え、ルッツも彼に対して尊敬の念を抱いていた。


「そうでしたか、ボルビスさんの。あ、立ち話も何ですからまずは中に入りましょうか」


 先ほどまでとは打って変わっての歓迎ムードである。腰袋から鍵を取り出しドアを開けるルッツの背を、ウィルソンは悔しそうに眺めていた。


 世間にとって自分は『ウィルソン』ではなく『ボルビスの弟子』なのだ。そう名乗らねば何の価値も認めてもらえないのが現状だ。




 中に入るとそこは工房であった。以前来た事があるのでそれはわかっていたが、職人が同業者に仕事場を晒すのに抵抗はないのかと不思議に思ってしまう。


 ウィルソンからすればそれは懐が深いというよりも、技術の価値がわかっていない若造の愚かな行いとしか思えず不快感が湧いてきた。


「違う、そうじゃない!」


 突然頭を抱えて叫び出すウィルソン。


 ルッツは肩をビクリと振るわせて振り返った。


「ウィルソンさん……?」


「そんな自分を変えたくてここに来たんだ!」


「だから何の話ぃ……?」


 がくり、とウィルソンはその場で膝を突いた。


 先ほどまでとは別方向で厄介な不審者となったウィルソンに、ルッツは困り顔で話しかけた。


「あの、ウィルソンさん。とりあえず二階の居間に行きましょうか。お茶くらい出しますので……」


「いやルッツ……、さん! どうかここで私の話を聞いてくれ……、くださいッ!」


 様々な葛藤をしながらウィルソンは言葉を絞り出した。目の前にいるのは職人の常識をわかっていない愚かな若造などではない、我が師として仰がねばならぬ存在なのだ。頭ではわかっていながら、それを素直に出力するのが難しい。


「ええと、それじゃあとりあえず、この椅子を使ってください」


 と言ってルッツが椅子を引くが、ウィルソンは大きく首を横に振った。


「どうかこのままで。私はお願いをする立場なのですから」


「年長者を見下しながら話をするような趣味はありません。何の話をするにせよ、どうかお顔をあげてください。さ、どうぞどうぞ」


 と言って、ルッツはまた椅子を勧めた。


 ……あれ、こいつはひょっとして良い奴なのでは?


 ウィルソンからルッツに対する評価が、常識知らずの若造から好青年へと変わりつつあった。


 ルッツが何故この不審者に優しくするのかといえば、そこにはちょっとした理由があった。道すがらに考えていた『自分が年を取った時、若者に教えを請う事が出来るか』という問題の為である。


 出来ない事はないが、かなり抵抗があるのではないだろうか。そしてその時、若者に横柄な態度を取られたらもの凄く嫌だろう。


 自分がされて嫌な事はしない、人間関係の鉄則である。無論、相手の方から無礼な態度を取ったりふざけた要求をしてきたならばその場で殴るつもりだが。


 思い返せばいままで、親方衆の気持ちというものについて考えた事があっただろうか。技術公開が常識外れの大盤振る舞いであったとはいえ、こっちは教えてやる立場なのだからという思い上がりはなかっただろうか。


 長老の言うように、技術と知識を求めるならば向こうから行動を起こすべきだ。しかし、こちらで話しやすい環境を整える事くらいはしてもいいだろう。


 これ以上の固辞はかえって失礼だろうと、ウィルソンはルッツに一礼してから粗末だが頑丈そうな椅子に腰かけた。


 ウィルソンが座ってくれた事でほっとひと安心したルッツは適当な空き箱に腰を下ろす。


「ウィルソンさん、本日のご用件は?」


 ルッツが出来る限りの優しい声で聞くと、ウィルソンはぶるぶると身を震わせた。何だろうか、一体何事だろうか。わからない、とにかく不気味である。


 ウィルソンは足を大きく広げ、手を膝に置いて深々と頭を下げた。


「ルッツさん、どうか私を弟子にしていただきたい!」


 魂の叫び、そして静まり返る工房。


 ルッツは後悔していた。相手は親方だの年上だのと考えずに、さっさと叩き出しておくべきだっただろうかと。

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