第563話 長幼の序

「そうだ、特別扱いと言えば……」


 と、ルッツが少しだけ表情を曇らせて呟いた。


「どうした?」


「付き合いがあるのはお三方だけで、他の親方衆と関わる事が少ないなと」


「何だ、そんな事か」


 ギシィと音を立てて長老は椅子の背もたれに体重を預けた。


「別にルッツどのの方から拒絶している訳ではあるまい。向こうから積極的に動けばよいだけの話だ。遠慮して来れないというのであれば親方衆筆頭のわしに仲介を頼めばいい。それすら出来ん奴の事を気に掛けてやる必要はあるまい」


 冷たいかもしれない、厳しいかもしれない。だが技術公開しただけでも非常識なほどの大盤振る舞いなのだ。それ以上ルッツにしてやれる事はなにもない。


「……そうですね。では明日、やる気のあるお弟子さんをお連れください」


「おう、特別クセのある奴を用意しておくからな」


「常識の範囲でお願いします」


 そう言ってルッツは立ち上がり、軽く頭を下げた。


 オリヴァーとモモスはまだじゃれあっているが、後で長老が事情を説明してくれるだろう。多分。




「むぅ……」


 長老の工房からの帰り道、ルッツはひとり唸りながら歩いていた。


 やはり気になる。何故、他の親方たちは刀作りを学びに来ないのかと。


 刀作りの工程は複雑である。技術公開をした後で約半数の工房が脱落した。今のままでも十分にやっていけるし、刀ブームもいつまでも続くかわからないという不安もあっただろう。その判断自体はわからないでもない。


 苦労して刀作りを身に付けました、既に売れなくなっていました。これではシャレにならないからだ。


 しかし現状、ブームが終わるどころか需要はますます高まっている。


 一番大きな要因は国王が刀を気に入っているという事だろうか。側近の侯爵も名刀を持っている。やたらと存在感のある騎士団長も豪刀を愛用している。


 刀を持っているかいないかで国王からの親近感、信頼感が一段違ってくるのだ。佩刀を見せろと言われて素直に渡したら、国王に酷く失望されて呼び出しの回数が極端に減った貴族がいる、などという噂まで流れていた。


 名刀を手に入れてから誇り、責任感、活力などを取り戻し、聡明さを発揮している国王ラートバルト・ヴァルシャイトが刀の有無で他人をあからさまに差別するような事はしないだろう。恐らくはデマである。


 ただ、貴族たちはそうだと信じた。王の側近たちは皆が刀を持っており、気に入られた者や手柄を立てた者は刀を与えられているのもまた事実なのだ。


 これをデマの二文字で片付ける訳にもいかず、刀は王宮内において政治的必需品となっていた。


 また、刀は芸術品であると同時に実用品でもある点が武官たちに歓迎された。武人の家系の者があまり贅沢ばかりしていると非難されるが、身を守る為の武具ならばいくら金をかけようと『武人の嗜み』と言い張れるからだ。


 名刀を手に入れてきらびやかな装飾を施し、見せ合ってマウントを取ろうとする行為は、贅沢に慣れきった文官たちよりもむしろ、今まで抑圧されていた武官たちこそが熱心であった。


 需要が高まっているのは王都だけでなく、ツァンダー伯爵領周辺においても同様であった。


 錬禁呪師フォリーが引き起こした戦争、『ヘンケルスの乱』において常に最前線で戦い活躍した英雄たちは刀か、刀の製作技術をふんだんに取り入れた剣を持っていた。ツァンダー、エスターライヒ、ヘンケルスの三領において刀とは今や英雄の象徴なのである。


 貴族、騎士、冒険者、誰もが刀を求めた。そして名刀を持っていれば無条件で一目置かれるようになっていた。


 商人たちまでもが刀を腰に差すようになり、にわか侍たちは刀の意外なほどの重さに苦労しているようだ。


「むむぅ……」


 そこまで考えてルッツはまたしても低く唸った。刀の重要性は技術公開をした時よりも更に高まっているのである。一度は断念した工房も刀作りを再開しているかもしれない。


 ならば何故、学びに来ないのか。


 技術は秘匿するのが当然、常識である。だから技術を教えてくれと押し掛けるなど論外だと考えているのだろうか。


 ……いや、それはないな。


 ルッツは首を振ってその考えをすぐに否定した。親方三人がルッツ工房に入り浸っているのは職人街では有名な話だ。他の親方が行ってはいけない理由はない。


 残った心当たりはただひとつ。最初に思い付き、そして心の隅に追いやっていた事だ。


 ……彼らは若造に頭を下げるのが嫌なのではなかろうか。


 第三者から見れば『え、そんな事で?』と思うかもしれないが、なかなか割りきれないのが人の心というものだ。


 二十歳そこそこというのは一般的な職人の世界においては下働きの期間を終えて、ちょっとした仕事くらいなら任せられるようになったという立場である。苦労に苦労を重ね、時として同僚を蹴落としてまで王の座についた親方からすれば鎖を弛めた奴隷も同然であった。


 王が奴隷に頭を垂れて教えを請うなど出来はしない、あってはならない事なのだ。


 刀の技術公開を行った時は十五人の親方全てが来てくれたが、あれは若造の招きに応じてやった、という事になっているのかもしれない。


 さらに想像を広げると彼らは『何故ルッツは改めて技術公開の場を設け、我らを招待しないのか』と、ルッツを恨んでいるかもしれない。どこをどう考えても逆恨みだが、怒りや恨みが常に正当なものであるとは限らない。


 しかしルッツは彼らを愚かと非難する事は出来なかった。自分だってつい先ほどまで年齢差に遠慮して助けを求める事に躊躇していたのだ。世代の壁というものは確かに存在する。やはりルッツ工房に出入りしているあの三人が特別なのだ。異常、と言ってもいい。


 ルッツは礼儀知らずで何かと図々しいオリヴァーの事がなんだかんだで嫌いにならない理由に気が付いた。彼は知識や技術に対してどこまでも貪欲なのだ。人としてはちょっとアレでも、職人としては尊敬に値する。


 長老の言う通りだ。向こうから助けを求めて来ないなら、こちらから何かをしてやる義理もない。むしろ下手に手を出せば恨まれる可能性すらある。若造が何を偉そうに、と。


 自分が年老いた後で、自分よりもずっと若く高い技術を持った者が現れたら、素直に頭を下げて教えを請う事が出来るだろうか?


 そうするべきだとは思う。ただ、絶対にやれるという自信はない。


 ……もう止そう、全てはただの想像だ。憶測で他者を非難するべきではない。


 変に沈んでしまった気持ちを切り替えるように、ルッツは自身の頬をペチペチと叩いた。 


 顔を上げて見慣れた道を歩き続ける。懐かしき我が家が見えてきてルッツはほっと表情を明るくした。そして、その顔はすぐに強張った。


 工房のドアの前で怪しげな男がうろうろしており、たまに窓から中を覗き込もうとしているのだ。


 泥棒だろうか、産業スパイだろうか。まさかクラウディアを狙う変質者ではあるまいか。


 ……前ふたつならばブン殴る。後者ならばブッ殺す。


 ルッツは眼を細めて深呼吸し、愛刀『夢幻泡影』を抜き払って音もなく男の背後に忍び寄った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る