第562話 善意の並列化

 妙にタイミングの悪い日があれば、無駄に良い日もあるようだ。


 昨日は三軒回って三軒とも都合が悪かったというのに、今日は長老の工房を訪れたら親方衆の三人が集まっていた。


 ……ひとりだけで良かったのだが。


 何故こんな事になってしまったのかとルッツは頭を抱えた。炭と鉄を切らせてしまったという、ある意味で恥を晒す相手は少ない方がいい。


 いや、結果としてはこれで良かったのかもしれない。誰かひとりを特別扱いすればそれはそれで面倒な事になっていただろう。


「ようルッツ、久しぶりだな。まあ座れ、座れ」


 応接室にてオリヴァーが椅子を勧めてくれた、ここは長老の工房であるのだが。

ルッツは長老に黙礼してから椅子を引いた。


「さてルッツどの、本日はどのようなご用件で?」


 長老が柔和な、そしてどこかクセのある笑みを浮かべて聞いた。ルッツが動けば自分たちにも何か得する事がある、そう期待しての事だろう。


 ルッツは仕事を受けたにも関わらず炭と鉄を切らせてしまい、分けて欲しいのだと語った。


 昨日クラウディアが語ったように、断られるかもというのは完全に杞憂であった。三人ともが快く引き受けてくれて、むしろ俺が私がわしがと役目の取り合いになってしまったくらいだ。


 ルッツがとりあえず三等分でと言った事でようやく場が収まった。


「しかしなルッツ」


 と、オリヴァーが笑いながら言った。


「何があっても対応できるよう、炭と鉄と水は常に一定量確保しておくのが鍛冶屋の嗜みってもんだぜ。分ける事に異存はないが、今回はちょいと油断したな」


「まさしく、おっしゃる通りです」


 ルッツが素直に非を認めると、こんどはモモスがフォローに入った。


「ルッツさんは鍛冶仕事以外にも何かと忙しいだろうからな、在庫の完璧な管理というのもなかなか難しいだろう。むしろ原因は買い出しや砂鉄集めを任せられる弟子がいない事ではないかな?」


 確かにそういったところはあるとルッツは首肯した。


 城壁外に住んでいた頃は暇があった、そしてあまり仕事がなかった。だから資材の管理などもひとりで十分に出来ていたのだ。ルッツを取り巻く環境は大きく変わった、あの時と同じやり方を続けようというのは無理なのかもしれない。


 一方で自分が正式な弟子を取る姿というのも想像できなかった。時には貴族に呼び出され、時には強大な敵と戦う為に遠出する。そんな人間に振り回されては弟子だっていい迷惑だろう。


「……と、いう訳でうちの弟子を何人か預かっていただけませんか?いやいや、いっそ私自身が通ってもいい!」


 ふんす、と荒く鼻息を吹き出して語るモモスであった。


 なるほど、そういう風に話を持ってきたかと、呆れるよりもまず感心してしまうルッツであった。


「こら、ルッツどのが困っているだろうが」


 長老がモモスの後頭部をペシリと叩いた。


「う、すいません。でも長老に叱られなきゃならんのは納得出来ませんね」


「ふふん、わしはこの場で一番の年上だからな」


「いつ死ぬんですか。いい加減、下が詰まっているでしょう」


「残念だったな若造、後三十年は現役のつもりだ」


 豪快に笑う長老、呆れるモモスと苦笑するオリヴァー。その様子を、


『こいつら仲いいな』


 などと思いながらルッツは微笑ましく眺めていた。


「ところでルッツどの。その五本の短刀作りだがわしにも手伝わせてくれんか?」


「なんだよ長老、あんたも結局は自分の為じゃねえの」


 オリヴァーが眉をひそめて指摘するも、長老は不敵に笑うばかりであった。


「わしがこうした要求をするのもルッツどのの為であるぞ」


「何でそうなる?」


「恐らくルッツどのはずっと年上の親方衆へ一方的に頼み事をするのに引け目を感じているのではないか?」


 ルッツは驚いて眼を見開いていた。付き合いの深い職人であるゲルハルトやパトリックと話している時もそうだが、たまにこうして心を見透かされる事がある。これが経験の差というものなのだろうか。


 こうなったら誤魔化す意味もないなとルッツは素直に認めた。


「はい、その通りです」


「なんだそりゃあ。相手が年上だからこそ頼るべきじゃあないのか」


 そんなオリヴァーの意見に、モモスがニヤニヤと笑いながら言った。


「さすが、兄貴分のスネをかじり尽くした男の言う事は違うな」


「人脈と言ってもらいたいな。長らく援助してもらった結果として我がオリヴァー工房はロレンス商会の専属になったんだ、ウィンウィンの関係って奴よ。お得意様のいないお前らとは訳が違う」


「うちにだっているわボケェ!」


 いつも通りの喧嘩を始めるオリヴァーとモモス。奴らは放っておこう、長老とルッツは苦笑した顔を見合わせて頷いた。


「あの馬鹿どもは勝手にイチャイチャさせておこう。ルッツどの、短刀作りはいつから始めるつもりだ?」


「資材が届き次第、すぐにでも」


「そうか、ならば炭と鉄は弟子どもに命じて今日中に届けさせよう。それで明日の朝から、というのではどうだ?」


「わかりました。それと、今回は席取りの必要はないので早朝待機とかはやめてくださいよ」


「あったな、そんな事」


 長老は身を揺すって笑い出した。


 初めて刀の製法を公開した日、長老は夜明け前から待機していたという事があった。あれをやられると主催者側としてもかなり気まずい。


「それとおねだりにおねだりを重ねるようで悪いのだが……」


「何でしょうか?」


「見所のある弟子を何人か連れて行ってもいいだろうか。先ほど言ったようにわしは引退するつもりも親方の地位を手放すつもりもない。ならばせめて技術くらいは与えてやりたくてな」


「いいですよ」


 相変わらずのあっさりとした物言いである。あまりにも軽い返事なので、こいつは本当にわかっているのかと疑わしくなってくるくらいだ。


 いや、ルッツは本当に受け入れてくれたのだろう。今までもずっとそうだった。しかし、技術は秘匿すべきものという常識の中で生きてきた長老にとってはまだ慣れぬ反応であった。


「ただ、長老だけを特別扱いすると後が面倒くさそうですからね……」


 ルッツはじゃれあう中年男たちをチラと見てから言った。


「各工房からふたりずつ弟子を連れてきてオーケー、というルールでどうでしょうか?」


「うちから六人じゃダメか?」


「ダメです」


 善意の配分を間違えるとろくな事がない、ルッツもその程度は理解出来るほどに世慣れしていた。

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