第561話 時期の善し悪し
ルッツとクラウディアは久々にツァンダー伯爵領にある工房へと戻ってきた。
クラウディアが用意してくれたエスターライヒ領の家に不満がある訳ではないが、それはそれとして自宅には特別な安心感があった。
疲れ果てて眠るクラウディアを起こさぬようルッツはゆっくりと身を起こし、散らばった衣服を身につけて一階へと降りて行った。
鍛冶道具をひとつひとつ拾い上げ、手入れを始める。
長い旅だった、色んな事があった、そして戻ってきた。今はとにかく刀作りをしたくてたまらなかった。
旅の疲れが残っている、戦いの恐怖が身に刻まれている。それはそれとして創作意欲が満ち溢れている。つまりは最高のコンディションだ。
さあやるぞ、と意気込み準備を始めていたら炭が足りない事に気が付いた。鉄も短刀を五本打つには少々心許ない。
「んんんッ!」
出鼻をくじかれた気分だ。しかし唸ったところで材料が湧いて出てくる訳ではない。
「炭を買いに行って、砂鉄を集めに行って……。うへぇ、実際に作れるのはいつになるんだ?」
別に急ぎの仕事ではないが、あまり時間が空くと創作意欲が萎んでしまうかもしれない。それが一番困る。こればかりは自分でコントロールするのが難しいからだ。意欲のピークが過ぎてしまい、また戻ってくるのを待つような真似はしたくなかった。
どうしたものか。いや、どうもこうもない。やるしかない。
ルッツが髪をぐしゃぐしゃと掻いていると、階段から足音が聞こえた。鍛冶場に現れたのは疲労困憊だが気分は良い、そんな顔をしたクラウディアであった。
「やあルッツくん、おはよう。もう昼過ぎだけど」
「おはようクラウ」
クラウディアは頷き、適当な木箱に腰を下ろして鍛冶場をぐるりと見回した。
「おや、何かお悩みかい?」
やはり彼女に隠し事は出来ないなと苦笑を浮かべながらルッツは事情を語った。創作意欲があるのに炭と鉄がない、と。
「こういう時、弟子とか下働きがいないのは不便だよなあ。とはいえ、俺がまともに他人の面倒を見られるとも思えない。ままならんものだ」
「何を言っているんだい、弟子ならいるじゃないか」
クラウディアが腰をさすりながら呆れたように言った。
「……いたか、そんな奴?」
「鍛冶屋の親方衆だよ」
「クラウ、そうは見えないだろうけど職人の親方というのはとても偉いんだよ。彼らを弟子扱いするのは冗談にしてもどうかと思うぞ」
「甘いッ!」
ビシッとクラウディアは指を突き付けた。
「金にせよ恩義にせよ、貸したものはきっちり返してもらわないと。そこに立場や年齢は関係ないよ。少なくとも資材くらいは快く分けてくれないとねえ」
「そういうものか……」
自分よりもずっと年季の入った相手に図々しく何かを要求することに抵抗があるのか、まだ渋っているルッツにクラウディアは別方向から説得を試みる事にした。
「ルッツくんが炭と鉄を分けてくれと言いに行ったら、相手はどんな反応をするとおもうね?」
「そりゃまあ、迷惑だなぁって感じかな」
「逆だよ逆、むしろ喜ぶだろうね。表向きは『ルッツさんの為ならば』なんて澄まし顔をしているだろうけど内心は『よっしゃぁ!』ってなもんよ」
「そこまでか?」
とても信じられないという顔をするルッツに、クラウディアは静かに首を振ってから答えた。
「親方衆はルッツくんと、さらに言えば技術を与えてくれる相手ともっともっと仲良くなりたいと思っているのさ。そんな相手から頼み事なんかされたら関係を深めるチャンスだって考えるよ。計算高い彼らなら確実にね」
久々の演説で気分が乗ってきたようで、クラウディアは人差し指を振りながら語り続けた。
「たとえば好きな人や気になる人に、頼られたり頼み事をされたら嬉しくなるだろう?」
「それならばわかる。相手がごついオッサン爺さんだというのが難点だが」
「ええい、たとえ話だよ。そこにツッこむんじゃない」
「すまん、続けてくれ」
「実際にルッツくんが頼みに行ったら相手はどう答えるか。『お師さまの為ならいくらでも』って揉み手をしながらこっちがドン引くくらい大量の物資を提供してくるんじゃないかな。無論、これは純粋な好意だけじゃない。次にお披露目会をやるなら俺を優先的に呼べよ、という意味でもある」
「そうか、向こうにもメリットがあるというのであれば頼みやすいな」
と、ルッツは少し安心したように頷いた。彼は一方的に何かを頼むことが嫌いという訳ではないが、少々苦手なところがあった。
「もしよかったら私も一緒に行こうか? いい感じに話をまとめてみせるよ」
「そうしてもらえると助かるが、いいのか?」
申し訳なさそうな顔をするルッツの胸を、クラウディアは笑ってポンと叩いた。
「たまには頼ってくれたまえよ」
タイミングの悪い時はとことん悪くなるものらしい。付き合いのある親方三人、誰とも会えなかった。
オリヴァーは外出中。モモスは刀作りの真っ最中。長老は徹夜明けでぐっすり寝ているらしい。
「どうする、無理にでも面会を申し込むかい?」
クラウディアに聞かれて、ルッツはとんでもないとばかりに首を振った。
「同じ職人同士だ、やっちゃいけない事はわかる。徹夜明けで泥のように寝ているところを邪魔したら凶暴になるだろうし、熱い鉄を打っているところを邪魔したら殺されたって文句は言えん」
「そこまでかい……」
ならばどうするかと艶のある髪を撫でながら考え込むクラウディアに、ルッツは明るく笑いかけた。
「ここまで運が悪いとむしろ吹っ切れたよ。つまり今日は『仕事の日』ではないんだろうな。こういう時の流れには逆らわない方がいい」
「ふぅン、それなら今日はどうしようか。回れ右して帰るというのも芸がないねえ」
「可愛い嫁さんと一緒に美味い飯でも食いに行く、というのはどうだろう?」
ルッツは恥ずかしげな顔をしながらクラウディアの腰に手を回した。似合わない真似をしているという自覚はある。
クラウディアは満面に笑みを浮かべ、手を叩いて喜んだ。素晴らしいアイデアだ、ルッツの方から誘ってくれたというのがさらに良い。
「いいねいいね、実にいいよルッツくん。今日はきっと、そうするべき日なんだよ。店選びは任せてくれたまえ。君と行きたい店がいくつかあってねぇ……」
明るい声を出すクラウディアを見ながら、ルッツは誘って良かったと微笑みを浮かべた。
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