短刀遊戯

第558話 人の営み

 迷宮から三キロ先という近いといえば近い、遠いといえば遠い場所に簡易的な村が作られていた。クラウディアが地元商人たちと協力して作った冒険者用の村である。


 クラウディアはルッツと一緒に村を見回っていた。物資の売買や輸送は慣れたものだが、村作りなどは初めてであり不安も残っていたので、


『へえ、こいつは凄いなあ』

『迷宮の近くにこういう施設があると便利だよなあ』


 などと、ルッツが何かと感心してくれるのが心地好かった。


 建てられた施設は宿、食事も出来る酒場、宝石の買い取り所、武具店、雑貨店、診療所、騎士団の出張詰め所などである。


 さらに川のほとりにはいくつもの簡素な小屋が並んでいた。娼館である。迷宮で手に入れた宝石を売り払い、大金を手にした冒険者から色々と搾り取ろうという魂胆だ。


「ところで……」


 ルッツが顎を撫でながら聞いた。


「建物がどれも簡素というか、あまり頑丈な造りではないな」


「ああ、それね。別に建築費をケチッた訳ではないよ」


 よくぞ聞いてくれました、とばかりにクラウディアはにやりと笑った。


「村の経営が上手くいくとは限らないからね。迷宮がらみの話となると、どうしても先が見えないんだ」


 何が起こるかわからないという点に関してはよくわかると、ルッツは同意するように頷いた。そもそもエスターライヒ領に迷宮が現れた経緯からして特殊である。


「冒険者たちが割に合わないと言って去ってしまうかもしれない、宝石が出なくなるかもしれない、あるいはここに強大な魔物が現れるかもしれない」


「ダメならダメで、さっさと手を引けるようにか」


「そういう事。別に国家の威信をかけた一大プロジェクトって訳じゃないからねえ。迷宮の出現によってエスターライヒ領が潤えばいいな、くらいの考えでさ。冒険者がいなくなって村だけ残りました、なんていうのはそれこそ財政の足を引っ張るだけだからね」


「本格的な建物は経営が軌道に乗ってからでいいと」


「おっ、ルッツくんもわかってきたねえ」


 クラウディアは上機嫌に笑いながらルッツの固い尻を撫で回した。


「クラウディア先生、もうひとつお聞きしてもよろしいですか?」


「んん、いいともルッツくん。何でも聞いてくれたまえ」


 ふたりはおどけながら話を続けた。


「村を微妙に遠い所に作ったのは理由があるのかい?」


 屈強な冒険者たちにとって三キロメートルというのは普通に歩ける距離である。ただ、面倒である事に変わりはない。行きならばともかく、疲れた身体を引きずっての帰り道はなかなか辛いものがあるだろう。


「ここにいるのは冒険者だけじゃない、むしろ大半が非戦闘員だ。迷宮から魔物が迷い出て村を襲いました、なんて事は避けたいのさ」


 それと、と呟いてクラウディアは小川を指差した。


「水をしっかり確保しておきたかった。いつ放棄するかもわからない村で、井戸掘りのようなめんどうな事はしていられないからねえ」


「確かにそうだな」


「……と、いうのがスポンサー向けの建て前」


「え?」


 クラウディアは大きく息を吐き、眼を細めて並んだ小屋を指差した。


「冒険者というのは乱暴者が多いからさ、そういう奴らの相手は大変だろうさ。ただでさえ肉体的にも精神的にも辛い仕事なのに、身の危険まであるというのはねえ。無論、給料は高いがそれはそれ」


 娼館を建てようというのはクラウディアの発案ではない。地元商人たちと冒険者たちのリクエストである。クラウディアとて娼館の必要性、性欲発散の重要性は理解しているつもりなのでこれを承認した。


「せめて身体を洗うくらいの事はいつでも出来るように、とね。他人の体液で汚れているのが当たり前の環境というのは、気分がどんどん沈んでいくと思うんだ。そして気分がどん底まで沈むと、自分は何の価値もない人間だと思うようになる。そういうのは良くない、良くないよ」


 彼女が娼館をあまり気に入っていないのには理由がある。もうずいぶんと前の話になるが、解体されるまえのツァンダー伯爵領旧騎士団に言いがかりのような形で逮捕され、娼館に売り飛ばされそうになった事があった。


 他人事ではないのだ。


「クラウは優しいな」


 ルッツが暖かい眼を向けてくれた。それが少し眩しく、クラウディアは視線を逸らして答えた。


「……ただの自己満足さ」


「いいじゃないか、それで助かっている人がいるんだから。人は他人に軽く手をさしのべる以上の事を求めちゃいけない。ましてや高潔な精神性を他者に要求し押し付けるなどナンセンスだ」


「相変わらず、ドライで優しいという妙な価値観だねえ……」


 当時は結婚していなかった、恋人でもなかった。そんな女を救う為に最高傑作の刀をポンと放り出した男がよくもぬけぬけと言うものだ。


 クラウディアはごく自然な動きでルッツの腕にしがみつき、身を寄せた。


「今すぐ宿屋にでも泊まりたい気分だねえ……」

「ああ、それはいいな」


「でも壁が薄いんだよねえ……」

「それはよくないな」


 ふたりは顔を見合わせ苦笑を浮かべた。肩肘を張らずそばにいられる、居心地の良い関係だ。


「ところで……」


 と、今度はルッツが村の中央にある建物を指差した。


「あれは騎士団の詰め所だよな?」


「そうだよ。村の治安維持と魔物対策に五名ほど詰めてもらっているんだ」


「騎士さまがこんな何もない所に押し込められて、チンピラとケダモノの相手をさせられる事に不満を持ってはいないのか?」


「ああ、それはね……」


 クラウディアが答えようとしたその時、背後から野太い声がかけられた。


「それは問題ありませんッ!」


 周囲の空気が震えるほどの大音声である。ルッツたちが眉をひそめ耳を押さえながら振り返ると、そこには騎士らしき男が背筋を伸ばして立っていた。


 服装は確かに騎士である。新しい革鎧にエスターライヒ第二騎士団の印章が入っている。


 第二騎士団は『ヘンケルスの乱』以後に新設された組織であり、王女リスティルの開拓村から引っ張ってきた帰還兵たちで構成されていた。


 そう、間違いなく騎士である。しかし髪はボサボサで髭は伸び放題、廃墟の庭だってもう少しマシだろうという有り様だ。山で遭難した直後と言われたら信じてしまいそうだ。


「初めましてルッツさん、クラウディアさんもお久しぶりです! 俺はマリーノってえケチな野郎でございます、以後お見知りおきを!」


 その名を聞いてクラウディアはルッツに耳打ちした。


 彼は開拓村で騎士第二次募集に応じたはずの男であると。第二次募集自体は結構前の話なのだが、彼は道に迷い彷徨い、つい最近になってようやく辿り着いたのだそうだ。


 また変な奴が増えたなと、ルッツは無言で頷いた。

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