第557話 錬禁呪師 最終幕 明けない夜と覚めない夢

 オリアスが研究の旅に出てから一ヶ月後、弟子たちの身に異変が起こり始めた。


 ひとりひとり、やがて全員が何らかの体調不良を訴えたのである。眩暈めまい、頭痛、胸を刺すような痛み、舌の痺れと歯痛、右手の震えなど、症状は様々である。


 どうやら魔石を埋め込んだ場所と関係があるようで、これはおかしいと調べてみたところ大変な事がわかった。


 主なき円卓を囲む五人の錬禁呪師。筋肉質で大柄な女性、ミザリィが薄板を持ちながら精密検査の結果を語った。


「皆の身体、もちろんアタシのも含めてだが……」


「何だよ、早く言ってくれ」


 せっかちなフォリーに促され、ミザリィはあまり言いたくはない検査結果を口にした。自分でもまだ信じられない話だ。


「……身体の崩壊が始まっている」


「何だそりゃあ!!」


 イヴァンが椅子を蹴って立ち上がった。


「僕たちは不死身の錬禁呪師だぞ、四肢を切り落とされても臓器を貫かれても死にやしない。それだけの再生力を持っている。そんな僕らの身体が崩れ始めているだなんて、悪趣味な冗談はよせ!」


 イヴァンの口ぶりからすると彼は己の身に振りかかった不幸よりも、恩師に施してもらった魔術付与が完璧でないと言われた事に憤慨しているようであった。


 気持ちはわかる、とミザリィは寂しげに頷いてから答えた。


「その再生力が問題なんだ。強すぎて自分の身体を食い出したんだよ」


「なっ……!」


 この場にいる全員が技術者である、ミザリィの報告で全てを察し、納得した。


 あり得ない、感情に任せてそう叫びたかった。しかし彼ら自身の知識と経験がもう受け入れてしまっている。これは紛れもなく事実であると。


 腕を組んで眼を閉じていたグラウコスが、肺の空気を全て絞り出すようなため息を吐いてから聞いた。


「それで、俺たちは後どれくらい生きられる?」


「今日明日でポックリって訳じゃない。細かい数字は検査をさらに進めないとわからないけど、恐らくは持って数年」


「長いか短いか、微妙なところだな」


 年単位の猶予と考えればかなりの間があるが、その間に化け物と化したミィナを救い、自分たちの身体も治さねばならないのだ。課題は山積みである。


 間に合わず全員が死亡すればどうなるか。ミィナと彼女が生み出した魔物が地上に出て暴れ回るだろう。帝国が、最悪の場合大陸全土が蹂躙される事となる。


 グラウコスはもうこのアルタール帝国に何の希望も愛着も持ってはいない。滅ぶなら勝手に滅べと投げやりな気分であったが、その虐殺をミィナにさせる訳にはいかなかった。


 意に反して母を殺し、幼子たちを殺してしまったミィナにこれ以上の罪を押し付けてはならない。それだけがグラウコスの切実な願いであった。


「これからの話をしよう」


 パン、とグラウコスが手を叩く。


 教授に最も信頼された、事実上のリーダーの言葉である。皆は一時的に不安を胸の奥に押し込め、素直に耳を傾けた。


「俺たちのやるべき事はミィナを救う方法を見付け出す事、そこに俺たち自身の治療が加わった。この二点を同時に進める必要がある。……やれると思うか?」


 グラウコスの問いに、ディアドラが悔しげな顔で首を横に振った。


「実験体の確保もままならないこんな状況で、私たちだけでどうにかしようというのは無理ね。一度、教授に戻ってきてもらう必要があるわ」


「しかし呼び戻すにしてもどこに行ったやら……」


 イヴァンが唸りながら言い、グラウコスが答えた。


「お前たちには教授の探索をしてもらいたい。同時に旅先で実験体を捕まえて研究と実験を行ってくれ。教授を見付ける、治療法を見付ける。そのどちらかが出来たら戻って来い」


「外での人体実験か。帝国内ではやらない方がよさそうだな」


「恐らく教授もそう考えているのではないかな」


 話は決まった。グラウコスを除く四人が立ち上がり、旅の準備を整える為にそれぞれの私室に向かった。


 ただひとり、ディアドラだけは部屋を出る前に振り向いて言った。


「……ミィナの事、よろしくね」


「ああ、任せろ」


 グラウコスは力強く頷いた。


 こうして四人の錬禁呪師が世に解き放たれた。


 残された時間は少ない、手段を選んでいる余裕もない。各地で非人道的な実験を繰り返しながら、彼らは貪欲に知識を求めた。




 遠く離れた異国の地。迷宮の奥深くでひとりの男がぼんやりと佇んでいた。


 彼の名はオリアス。『教授』と呼ばれる錬禁呪師だ。


 なぜ自分はこんなところにいるのか、追い立てられるように錬禁呪術の研究を行っているのか、それがわからない。何かとても大切な事、決して忘れてはいけない何かを忘れている気がする。


 強大な魔術付与をその身に刻んだ代償として彼は記憶を失っていた。無理に思い出そうとすると頭が鋭く痛む。


 とにかく研究を進めていくしかない、そうすればいつか何かを思い出すかもしれない。それだけが唯一の希望であり、他にすがるものは何もなかった。


 オリアスは辺りを見回した。どうやら古代の神殿のようだ。迷宮の奥にこんなものがあるとは実に珍しく興味深い。


 古代遺跡を見るとなんだか興奮してくる。どうやら自分はこういった物が好きな人間のようだ。


 床や柱、他にもあらゆるところに傷がある。ここで誰かが戦っていたようだ。


 荒れ果てた祭壇を調べていると瓦礫に混じって壺の欠片のような物を見付けた。


「おっ、これは……」


 魔力の残滓が感じられる、どうやら天然物の呪物であったようだ。


「これは良いな、凄く良い」


 調査、研究、実験をしている時だけ漠然とした不安を忘れられる。オリアスは夢中で壺の欠片を集めた。


 これは一体何の効果があったのだろうか。そして魔力が満ちていた時は相当な硬さであっただろう、どうやって破壊したのか実に興味深い。


 四つん這いになって欠片漁りを続けるオリアスの眼前にスッと剣が突き出された。


 顔をあげると、そこには他人を見下す顔をした冒険者風の男が三人いた。


「ひとりとは無用心じゃねえか、ええ?」


「またか……」


 オリアスはうんざりとした口調で呟き、眼前の剣を素手で掴み力を込めた。握った部分があっさりと砕け、剣先がキィンと音を立てて石畳を叩く。


「なっ……!」


 冒険者たちは怯えて後退った。


 たったひとりでこんなところにいるカモだと思った。

 たったひとりでこんなところにいる化け物だと警戒するべきだった。


 オリアスの顔には酷薄な笑みが浮かんでいた。世の中、本当に馬鹿と悪党が尽きぬものだ。なればこそ実験材料には事欠かない。


「三人まとめてひとつの生命にしてやろう。まともな思考は残らず破壊衝動の塊になるだろうがな」


 にじり寄る魔人を前にして戦う、逃げる、許しを乞う、その全てが無駄であった。


 ここは迷宮の奥深く。響き渡る絶叫が地上に届く事はなかった。

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