第556話 錬禁呪師 第七幕 ブレイクスルー

 意外にもというべきなのだろうか。外から実験台をさらって来るという考えは弟子たちにあっさりと受け入れられた。このまま細々とやっていたのでは研究が進まないと、誰もが感じていたらしい。


 錬禁呪師の中で一番感性がまともなディアドラも、


「倫理観という薄皮が一枚ずつ剥がれていくような気分だわ……」


 とは言ったが、反対まではしなかった。


 倫理観という言葉はオリアスの胸に深く突き刺さった。昔と比べて、今の自分はどう変わってしまっただろうか。


 当初はネズミを使って実験をしていた。次に犬や豚、馬や牛、魔物と段々大きくなっていった。次に自分と弟子たちに魔術付与を施して少しずつ肉体を強化していった。そして公爵から与えられた罪人で人体実験を行い、愛娘を究極の生物に変化させようという儀式で、失敗した。


 一般的な倫理観を適用するならば、どこからが許されないラインだったのだろうか。立ち止まるには全てが遅すぎた。しかしそれは投げ出す理由にはならなかった。


 実験体が安定して手に入るようになり、研究は飛躍的に進んだ。


 野盗、山賊、ならず者。彼らを使って新技術を試し、安全性が確認されたらオリアス自身や弟子たちを更に強化した。こうして彼らは凄まじい力を持つ不死身の戦闘集団へと変わっていった。


 それでも、そこまでやってなお、化け物と化したミィナを治す、あるいは殺す方法が見付からなかった。


 技術は確実に進歩していった。しかし、ミィナを救うにはもう一段階上の技術が必要だ。目の前に大きな壁がある、それを乗り越えなければ未来はない。


 鬱々とするオリアスの下へ更に悪い知らせが入った。いや、本来ならば良い知らせなのだろうが彼らにとっては最悪の話だ。


 野盗狩りに出ていたミザリィが手ぶらで帰り、申し訳なさそうに首を横に振った。


「教授、公爵領内から賊が逃げ出しました」


「何ぃ……?」


 名の通った山賊団などが次々と壊滅させられた。その噂を聞いて残った賊たちは他領に逃げてしまったのだ。


 悪党がこの世から消え去るはずがないのでいつまでも安定して確保出来る。そう考えていたのだが、害虫だって天敵が現れれば住み家を変えるくらいの事はする。


 賊というのは意外に情報通が多い。獲物が現れれば襲い、騎士団が向かってくれば即座に逃げださねばならないのだ。危機管理能力は一級品である。


 君の探し方が甘かったんじゃないのか。オリアスは喉まで出かかったその言葉を呑み込んだ。


 ミザリィには人狼に変化する能力がある。その為か変身しなくても鼻が利く。彼女が賊を見付けられないというのであれば、他の誰にだって見付ける事は出来ないだろう。


 責任感の強いミザリィの事だ、恐らくは必死に探し回ったのだろう。そんな彼女に労いではなく疑いの眼を向けてしまった事をオリアスは恥じた。


 オリアスは内心の動揺を隠して愛弟子に微笑みかけた。


「そうか、ご苦労だったねミザリィ。早速で悪いが皆を集めてくれないか。対策会議をしよう」


「はい」


 ミザリィは部屋を後にして、また数分後に皆を引き連れて戻ってきた。ある程度の話は聞いているのか、皆は緊張した面持ちでそれぞれの席に座った。


 オリアスは円卓をぐるりと見回してから口を開いた。


「賊が尽きた。代わりの供給源を用意しなければならない」


 シンと静まり返る室内。しばしの間を置いてフォリーが手を上げた。


「悪党の定義を広げてはどうでしょうか。例えば街のこそ泥とか」


 しかしこれはミザリィが即座に否定した。


「街から人をさらうのは発見されるリスクが高すぎる。森や洞窟に潜んでいるのとは訳が違うんだ。それと、街では私の鼻も利かないしな」


「あまり目立つ真似をしたり一般市民を襲うような事をすれば、さすがに公爵から待ったがかかるだろう。やはり標的とするべきはわかりやすい悪党だけだ」


 オリアスの言葉に皆が頷いた。


「悪党なら誰でもいいっていうなら、まずは公爵をとっ捕まえたらどうだ?」


 イヴァンの冗談に皆がドッと笑いだす。しかしグラウコスだけは眼が笑っていなかった。彼は本気だ。


 この話題を続けるのは危険だと考え、次はディアドラが意見を出した。


「他領に逃げたというのであれば、追いかけてはどうでしょうか?」


「それも既に考えた」


 と、ミザリィが眉根を寄せて言った。


「領地を跨ぐとなると、単純計算で今までの五倍から十倍の時間がかかる。それと人を担いでの長距離移動となるとやっぱり目立つからな」


「でも現状はそれしかないでしょう?」


「ううん……、そうなっちまうか……」


 次にイヴァンが研究所を移転してはどうかと提案したが、これは言い終わらぬうちにグラウコスが却下した。ミィナをどうするつもりだと。


 結局、効率は落ちるが他所から調達するしかないのかと諦めかけていた時、オリアスは意を決したように言った。


「旅に出ようと思う」


「旅、ですか……?」


 弟子たちが一斉に怪訝な眼を向けた。


 皆の疑問はもっともだと、オリアスは深く頷いてから語った。


「もう公爵領だけでは限界だ。それは材料の調達というだけでなく、知識の幅を広めるという意味でもだ。もっと多くの土地を回り新たな宝石を集め、新たな魔物と出会い、新たな遺跡や迷宮を巡りたい。技術の壁を越えるには必要な事だ」


「言わんとする事はわかりますが、あまりにも急ではないですか……」


 フォリーが不安げな声を出した。いや、フォリーだけではない。教授がいなくなる事に不安を覚えているのは皆も同じであった。


「すまない、言い出したのは急だがずっと前から考えていた事だ」


 オリアスは軽く頭を下げてからグラウコスへと向き直った。


「グラウコス、君の意見を聞かせてくれ。君がどうしても行くなと言うのであれば、この話はなかった事にしよう」


 オリアスがどんな目的を並べ立てようが、結局は化け物となった愛娘を置いていく事に変わりはない。そこに異を唱えられるのはグラウコスだけだ。


 グラウコスはしばしオリアスの顔を眺めた後で、優しげな笑みを浮かべた。


「ミィナの事は俺に任せてください」


「……君たちを添い遂げさせてやれなかったのが、本当に残念だよ」


「彼女と出会えた、それだけで幸せです」


 グラウコスが拳を差し出した。オリアスも微笑み、拳を軽くぶつけあった。


 そこには信頼があった、奇妙な友情があった。


 もう、他の弟子たちも行くなとは言えなかった。

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