第555話 錬禁呪師 第六幕

 オリアスは素早く左右に視線を走らせた。


 敵の数は五人。年は二十代から五十代までとバラバラである。身体つきや構えから見て武芸の心得はない。


 要するに肉体強化を施したオリアスからすればただの雑魚である。そんな連中が錆の浮いた剣や斧を見せつけてニヤニヤと他人を見下す笑いを浮かべているのだから滑稽としか言い様がなかった。


「おいオッサン、服を脱ぎな。荷物も全部置いていけ」


 予想通りに過ぎるチンピラ台詞。本当にこんな奴らがいるのだなと、オリアスはつい吹き出してしまった。


「何を笑っていやがるんだコラァ!」


 どこに根拠があるのかもわからぬプライドを傷付けられたか、一番若い野盗が剣をオリアスの鼻先に突き付けた、つもりだった。


 ぶらり、と剣が垂れ下がる。右腕が完全に折れて肉と皮だけで繋がっていた。


 まずは恐怖がせり上がってきた。次に激痛。そして絶叫が街道に響き渡る。男は涙、鼻水、涎と顔面からあらゆる体液を流していた。腕を元に戻そうとするが激痛で触れられず、大の男がただただ泣き叫ぶしか出来なかった。


 他の野盗たちは何が起きたのかも理解出来ず、泣き叫ぶ仲間と奇妙な中年男を呆然とした顔で何度も見比べていた。


 オリアスは鼻白んだ顔でフンと鼻を鳴らした。


「諸君。私は今、最悪の気分だ」


 そう言いながら泣き叫ぶ男に近寄り、その顔面を殴りつけた。パン、と乾いた音がして男の頭部が弾け飛ぶ。ようやく辺りは静かになった。野盗たちは胃と喉が鉛でコーティングされたような気分で、声を発する事が出来なかった。


 これは悪夢だ。そうとわかっていながら覚めてくれない。


 ただひとり、オリアスだけが淡々と語り続ける。


「私は忙しい、やらねばならない事が山ほどある。そんな中で弟子たちが休暇を取るように勧めてくれたのだ、半ば強引にな。そんな事をしている暇はないと思うと同時に、ちょっと嬉しくもあったよ」


 野盗たちは蛇に睨まれた蛙の気分を味わっていた。このままでは殺される、そして逃げようとしても殺される。


「私は室内での作業が苦にならないタイプだが、それでも数ヶ月ぶりに浴びる太陽は新鮮で気分が良かった」


 いつの間に距離を詰められたのか、年嵩の野盗の肩がポンと叩かれた。


「後ろめたさと開放感を一緒に抱えて、上を見ながら歩いていたら犬のクソを踏んでいた。今ちょうど、そんな気分だよ。なあ、どう思う?」


「は、はは……。最悪だな」


 引きつった笑みを浮かべた次の瞬間、オリアスの右拳が野盗の腹を貫いた。野盗の背から突き出た血まみれの拳が臓器のようなものを掴んでいる。


「笑ってんじゃねえぞ、ボケが!」


 オリアスがブンと腕を振ると、野盗の体がすっぽ抜けて木の幹に激突した。不幸な事に彼はまだ生きていた。残る時間は恐怖と苦痛を味わうだけのものだ。


 錬禁呪師たちの中では比較的温厚な教授が感情を爆発させてしまった。悪事を働くのに良い時期などあるはずもないが、それにしても野盗たちはタイミングが悪すぎたのだ。


 新技術が認められず学会を追放された。生きる為に公爵の手下になった。実験材料として押し付けられた子供たちを守る為にその身を差し出した愛娘を最悪の形で裏切ってしまった。疲労と責任感と、何よりも重い罪悪感で押しつぶされそうになっていた時、弟子のひとりが休めと言ってくれた。断られぬよう猿芝居を披露してまでだ。


 そうして訪れた気休めの時間。まだ何も解決していないが、解決する為に必要な休息。それがいきなり、存在自体が不愉快な馬鹿どもに邪魔されたのである。オリアスは降りかかる火の粉を払うだけでなく、全ての苛立ちをぶつけてやらねば気が済まなかった。


「ひ、ひぃ!」


 野盗たちは金縛りから解けたかのように背を向けて逃げ出した。少々厄介な事に、三人は別の方向に駆け出している。


「馬鹿が馬鹿なりに頭を使ったか。だがなぁ……ッ!」


 オリアスは瞬間移動と見紛うばかりの速さで距離を詰め、野盗の膝を蹴り砕いた。これでひとまずは動けない、残るはふたり。


 次の男に追い付き、肩を掴んで強引に振り向かせた。そしてふと何かを思い付いたか、腰袋に手を入れて宝石を取り出した。恐怖に顔を引きつらせる男の喉に、オリアスは宝石を摘まんだ指ごと突っ込んだ。


 壊れた蛇口のように血が噴き出す。それも一時的な事ですぐに傷口は塞がった。男は死神に迫られた恐怖を忘れ、性的興奮を感じているような蕩けた眼をしている。


「行け」

「はい……」


 オリアスが短く命じると、男は肉食獣のような速さで逃げた仲間を追った。


 回り込まれ、残るひとりの退路が正面から塞がれた。オリアスではない、つい先ほどまで仲間だった男だ。


 喉に奇妙な宝石を埋め込まれた男が腕を伸ばし、仲間の首を絞める。首を絞められた男は朦朧とする意識の中で必死に剣を抜き、相手の腹を突き刺した。


 腹を刺された衝撃か操られた男の腕に力が入り、ゴキリと無機質な音を立てて仲間の首をへし折った。ふたりは折り重なるように倒れ、しばらくはピクピクと痙攣していたがやがて動かなくなった。


 そして再び戻る、不気味な静寂。


「ふ、はは……、あっはははははは!」


 野盗の哀れな最期をつまらなさそうに見ていたオリアスが、突如として笑い出した。


「なんだ、あるじゃないか。殺したところで何の問題もない、くっだらねえ命が……ッ!」


 オリアスは笑っていた。空を見上げて泣いていた。


 実験材料となる人間は公爵が用意したものしか使ってはならない、そう考えて疑問すら持たなかったのがそもそもの間違いだった。動物や魔物と同じように、人間もさらって来れば良かったのだ。


 野盗、強盗の類いならば心は痛まない。自らの欲望を満たす為に無辜の民を襲うならば自身もどう扱われようが文句は言えないはずだ。


 それは巡り巡って錬禁呪師たちにも返ってくる言葉なのだが、今のオリアスにそこまで考える余裕はなかった。


 実験材料を自分たちで確保する。もっと早くその事に気が付いていれば錬禁呪術の研究を慎重に進められたはずだ。


 いや、そもそもミィナが犠牲になる必要すらなかった。


 必死に足掻いて足掻いて、そして後悔ばかりが積み重なる。


「それでも……」


 と呟き、オリアスは膝を砕かれ呻いている野盗を担ぎ上げ、遺跡に戻って行った。


 生き残った野盗がどうなったか、その件については描写を差し控えたい。

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