第553話 錬禁呪師 第四幕

 儀式の後、ミィナは眠ったまま目を覚まさなかった。


 寝息は規則正しく穏やかで、血色も良い。見た目は健康そのもので今にも眼を開けておはようと言ってくれそうな姿であった。


 しかし実際は呼び掛けても揺すっても反応がなく、そのまま一週間が過ぎた。


 何故だ、何故こうなった。グラウコスは必死に原因を探った。


 過去の資料を読み漁り、儀式に使った部屋を何度も調べ、砕け散った宝石を全て回収し調べ尽くした。


 それでも、何もわからなかった。


 何でもいいから片っ端から試してみるべきなのか。いや、一週間待ってダメでも一ヶ月後には目覚める可能性もある。何が正しく何が間違っているのか。自分は今、何をするべきなのかそれすらもわからなかった。


 錬禁呪師たちは皆、疲れ果てていた。特にオリアスとグラウコスは連日の徹夜と自責の念で痩せ細っていた。


 身体が食事を受け付けず、眠ろうとしても眠れない。実際に何度か倒れ、数十分もするとまたふらふらと立ち上がり研究に戻るというのを繰り返していた。


 こんな調子で頭が働くはずもなく、酷い悪循環に陥っていた。


 いっその事、ミィナは処分すべきではないか。そう考えた者もいたがさすがに口にはしなかった。しかし、いつかはそうしなければならないかもしれない。全員が過労死する前に。


 何が悪いのかもわからない。それはつまり基本的な知識が足りないという事なのか。魔物や動物だけでなく、人体実験を繰り返すべきだったのか。


 ならば子供たちを実験に使えばよかったのか。


 わからない。もう、何も。




 儀式失敗から二週間後。研究資料を持って自室に戻ろうとするイヴァンがふと、ミィナの私室を前に足を止めた。


 様子がおかしい。ドアが半開きで、中から血のような臭いが漂ってくる。


 恐る恐る中に入るとミィナの姿はなく、ひとりの女性が倒れていた。


「奥様!?」


 イヴァンは資料を放り出して女性に駆け寄った。それはずっと看病を続けていたミィナの母であった。


 その女性は首筋を何者かに噛みちぎられ、既に失血死していた。


 何者か。この状況ではひとりしか思い浮かばない。イヴァンの背に氷柱を突っ込まれたような悪寒が走る。


「大変だ、奥様が殺された! ミィナが消えたッ!」


 イヴァンは大広間に出て喉が潰れそうなほどの大音声で叫んだ。


 これには疲労で頭の回らぬ仲間たちも一斉に目を覚まし、大広間に集まってきた。

イヴァンに話を聞き、ミィナの部屋を覗き込む。誰もが大きな衝撃を受けていた。


 特にオリアスなどは死人同然の顔色をしていた。妻が娘に殺された、そうさせたのは自分ではないのか。


「とにかくミィナを探そう。話はそれからだ」


 ミザリィが震える声で言い、皆は頷き散らばった。


 古代遺跡を改造した居住区である。調べなければならない場所は多い。


 遺跡の奥深く、あるいは既に地上に出られたのでは探しようがなくなってしまう。


「ミィナ、ミィナ、ミィナぁ!」


 グラウコスは叫び、遺跡内を走り回った。ミィナが目を覚ます日をずっと心待ちにしていた。その日は最悪の形でやってきた。


 悔やんでも悔やみきれぬ、そして今は自分を責めている暇もない。


 悲鳴が聞こえた、ディアドラの声だ。彼女が身に危険が迫ったところで悲鳴をあげるとは思えない。これはもっと他の何か、絶望に満ちた声であった。


 急いで駆け寄るとディアドラはとある部屋の前でへたりこんでいた。


「どうした、何があった!?」


 そう聞いてもディアドラは長い金髪を振り乱すばかりで何も答えてはくれなかった。


 濃厚な血の臭いが漂ってくる。見たくはない。だが自分には恐れている暇も、そんな資格もないと、グラウコスは部屋へと足を踏み入れた。


「うっ……」


 グラウコスは思わず口元を押さえた。胃液が喉までせりあがってくる。最近食事をまともに摂れていなかったのは不幸中の幸いというべきだろうか。そうでなければ確実に吐いていただろう。


 地獄絵図、そんな一言で表す事すら憚られる。ここは連れてこられた子供たちを預かる部屋だった。過去形だ。


 子供の数は十人だったはずだ。それが二十人か三十人くらいいたように感じる。それくらい部屋中に血と臓物、肉片が飛び散っているのだ。誰ひとりとして原形を留めていない。


 これをミィナがやったのか。彼女が実験台になる事を引き受けたのは子供たちを犠牲にしない為だったはずだ。それがどうしてこうなった。


 嘘だ、信じられない。

 嫌だ、信じたくない。


 グラウコスは疲労と衝撃で気を失いそうになった。ふらり、と身体が揺れるが自分の頬を思い切り叩いてなんとか意識を繋ぎ止めた。


 剣士として、研究者としての冷静な部分がふと考えた。これだけ派手な殺し方をしたのなら返り血もかなり浴びているのではないかと。


 薄暗い床に眼を凝らすと、それは確かにあった。真新しい血の跡だ。


 仲間を呼ぶべきか、ディアドラを無理にでも引っ張って行くべきか。グラウコスはその考えを追い出すように首を振り、ひとりで遺跡の奥へと歩き出した。


 ディアドラと弟のフォリーは元孤児である。なればこそディアドラは連れてこられた子供たちを庇い、そしてよく面倒を見ていた。


 もっとも姉と弟は少し考え方が違ったようだ。


 ディアドラは自分が苦労したから他の子供たちは同じ目にあわせたくないと思いった。


 フォリーは自分が苦労したのだからお前たちも苦しめと考えていたようだ。


 ……まさか姉の寵愛を奪われたフォリーが子供たちを殺したのか?


 いや、とグラウコスは仲間に対して失礼な事を考えてしまったとすぐに否定した。いくら重度のシスコン野郎でもそこまではしない。


 あの男は基本的にオリアスやディアドラの前では大人しいし、仲間たちに対しても多少の思い入れはあるはずだ。姉と子供たちが仲良くしているところを見れば舌打ちくらいはするだろうが、逆に言えばそれだけだ。


 子供たちを惨殺などしないだろうし、尊敬する教授の妻を手にかけるなどもっての他だ。


 頭痛がする、頭が重い。グラウコスは胃液混じりの唾を吐き出した。


 フォリーが犯人ではないとすれば、やはり儀式の影響で暴走したミィナしかいないではないか。結局はそこに戻ってしまう。


 ミィナは今、どんな姿をしているのだろうか。何を考えているのだろうか。場合によっては殺さねばならないかもしれない。だから仲間も呼びたくなかった、自分ひとりで決着を付けたかった。


 血の跡を辿って遺跡の奥までやって来た。そこは使っていない小部屋だった、ドアなども付けていない。


「ミィナ、そこにいるのか?」


 ひと声かけてから中に入ると、部屋の隅に膝を抱えてうずくまる女性の姿があった。ミィナだ、全身血まみれである。そして側に子供のものらしき腕が転がっていた。噛みついたような跡がある。


「グラさん……?」


 ミィナがゆっくりと顔をあげる。薄闇の中で妖しく美しく輝く瞳には知性の光がある。正気だ。不幸にも、というべきなのだろうか。


「グラさん、私を……」


 聞きたくない、言わないでくれ。そんなグラウコスの願いも虚しく、震える唇は絶望の言葉を吐き出した。


「私を、殺して……」

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