第551話 錬禁呪師 第二幕

 相手は大貴族である、公爵である、そしてスポンサーでもある。尊大に念押しなどされなくとも元より逆らえるはずがなかった。


 潤沢な資金を与えられ壮大なプロジェクトに挑むというのは研究者にとって夢のような話なのかも知れないが、やはりオリアスはどうにも気が乗らなかった。


 何故気に入らないのか、その理由は漠然とした不安としか言いようがなく、説明も出来ないので公爵に対して『恐れながら……』と口にする事も出来なかった。


「では、しかと申し付けたぞ」


 言いたい事だけを一方的に言って、レヒトはくるりと背を向けた。オリアスからも言いたい事は山ほどあるはずなのだが、明確な言葉に出来ずただ飲み込むしかなかった。


「どう、なさいますか……?」


 いつの間にか隣に並んでいたグラウコスが不安げに聞いた。


「どうもこうも、やるしかあるまい。今までずっと資金援助をしてもらっていた、その請求書がまとめて届いたというだけの話だ。愚痴くらいは吐かせてもらうが、公爵を批難するのもお門違いだろう」


 納得しているというより、自身を納得させようとしているような師の口調に、グラウコスは寂しげに頷いた。


「しかし最強の生物兵器と言われてもどうすればよいものやら。父も面倒な仕事を押し付けるならばせめて指示くらいは曖昧にしないで欲しいものです」


「そう言うな、相手は錬禁呪術の素人だ。何が出来て何が出来ないのもわからないのだから、ふわっとした表現になるのも仕方のない事だろう」


「それでも俺たちはやらねばならんのですね……」


「悲しいかな、仕事とはそういうものだ」


 と言って、重く疲れた頭を振って見せた。


「さあ、皆を集めてくれ。これから開発会議だ」


「ミザリィやイヴァンあたりからは、突拍子もないアイデアが出てきそうですね」


「今はむしろ荒唐無稽なアイデアこそ聞きたい気分だな」


 ふたりは無理に笑い合い、殺風景な遺跡に椅子とテーブルを並べただけの談話室へと向かった。




 こうして錬禁呪師たちの挑戦が始まった。


 様々な動物、時には弟子たちが捕まえてきた魔物を使って実験を繰り返し、データを取って試行錯誤を繰り返した。魔術付与した魔物が暴れ出し、皆で慌てて取り押さえるなどといった場面もあった。


 闇の中でまっすぐ歩き続けているようなものだ。最強の生物兵器、そのイメージはまだ見えてこないが、近付いているような気はしていた。


 やがて彼らはひとつの壁にぶつかった。動物や魔物だけでは限界がある。生物兵器と呼ぶからには当然、制御できなければならない。その為に素体は人間である事が望ましいという結論に至ったのだ。


「あまり気乗りはしないが……」


 オリアスはグラウコスに仲介を頼み、公爵に人間の調達をお願いした。てっきりまた死刑囚が送られてくるものだとばかり思っていた。善人ならばダメ、悪党ならば身体を勝手にいじくってもよいという話ではないだろうが、それでも気分的には後者の方がまだマシだ。身勝手であるという自覚もある。


 依頼を出してから数日後、怪しげなローブを纏った男たちが連れてきたのは死刑囚ではなかった。五歳から八歳くらいの子供たちが十人。誰もが薄汚れた格好をしており、怯えた眼を向けている。


 これはどういう事だ。オリアスは呆然としていた。


 ディアドラは口元を手で覆って震えていた。


 フォリーはそんな姉の顔ばかり見ていた。


 イヴァンがピュゥと口笛を吹き、ミザリィに後頭部を叩かれた。


 ミィナは青い顔で黙り込んでいる。


「おい貴様ら、こいつは何の真似だッ!?」


 グラウコスは激昂し、ローブの男の胸ぐらを掴んだ。家を出て何の権力も持たないとは言え主君の息子から脅され、ついさっきまで余裕たっぷりといった顔をしていた男たちは明らかに動揺していた。主君筋であるという点を除いても、筋骨隆々で剣の達人である錬禁呪師に脅されれば怖いに決まっている。


「これを実験に使えと、公爵様からのお達しです……」


「これ、ですって……?」


 子供たちをモノ扱いするような発言に、ディアドラがその端整な顔を怒りに歪めた。どうやら何か気に障る事を言ってしまったようだ。慌てた男たちは言い訳になっていない言い訳を口にした。


「このガキどもは治安と景観を乱す浮浪児です。殺したところで何の問題もありませんし、むしろ処分していただければありがたいというほどで……」


 眼を見開き殴りかかろうとするディアドラを、ミザリィとフォリーが身体を張って止め、別室に引きずっていった。ローブの男たちは公爵の意を受けてやって来た、いわば使者である。彼らともめ事を起こすのは非常にまずかった。格闘特化の錬禁呪師が怒りにまかせてブン殴るなどもっての外だ。


 余談であるが当初は罪の軽い死刑囚たち八名が送られる事となっていた。しかし直前でローブの男たち、オリアス一派とは別で錬禁呪術を研究する者たちが横領し、代わりに裏路地で適当な子供をさらって連れて来たのであった。


彼らはオリアスから提供された研究資料を使って錬禁呪師を名乗る紛い物だ。そうと自覚しているからこそ、独自の成果を挙げようと焦った結果であった。


 薄暗い遺跡の研究所に、錬禁呪師と子供たちだけが取り残された。前者は途方に暮れ、後者は絶望の淵に沈んでいた。


 ……この子たちを、実験材料に?


 それだけは嫌だ、とオリアスは小さく首を横に振った。


 技術の進歩を題目として今まで多くの命を弄び、切り刻んできた。それでも子供にだけは手出しをしてこなかった。それが最後の一線だと信じていたからだ。


 あるいは子供に手を出していないから自分はまだギリギリ真人間であると、勝手なルールを作っていただけかもしれないが。


 どうする、どうすればいい。二十の無垢な瞳がオリアスの忘れかけていた良心に突き刺さる。


 公爵の依頼を断るか、今さらそんな事が出来るはずもない。


 このままでは何やかんやと理由を付けて子供たちを実験に使う事を許容してしまいそうだ。そんな自分に嫌気が差してくる。


「お父様」


 透き通るような、それでいて力強い声。今まで黙っていた愛娘のミィナが話しかけているのだと気付くのにしばし時がかかった。


「……え、ああ、どうしたミィナ?」


「私の身を実験に使って下さい」


「はぁ!?」


 こいつはいきなり何を言い出すのか、オリアスとクラウコスが同時に声を上げた。


 いや、彼女がそう言った理由はわかる。それは子供たちを救う為であり、苦悩する父を救う為だ。


 優しい女性であった。錬禁呪師であるという点を除けば。

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