第550話 錬禁呪師
錬禁呪師オリアスは最初から錬禁呪師であった訳ではない。元々は武具や装飾品に魔術付与を施す付呪術師であった。しかもアルタール帝国学会に所属する優秀な職人であり研究者でもあった。
彼の下には優秀な弟子たちが集まっていた。ディアドラ、ミザリィ、フォリー、イヴァン。公爵家の次男でありながら職人の道を目指した変わり者のグラウコス、そして愛娘のミィナがいた。
幸せな日々であった。そして彼らの生活はとある遺跡を発見してから大きく変わった。その遺跡は何百年も前のものであり、地下深くにあって保存状態が良かった壁画から様々な新情報、新技術を得る事が出来た。生物に魔術付与を施し、その生命力を大幅に強化する技術。それこそが錬禁呪術であった。
大発見である。元々好奇心と知識欲が旺盛であったオリアスは大いに興奮していた。少しだけ足元を見失っていたのかもしれない。ここで彼は大きなミスを犯した。
安全性が確保できぬまま学会で発表してしまったのだ。
彼がこうまで焦っていたのは興奮していたという他にも理由がある。学会から資金を引き出す為である。
魔術付与には大量の宝石が、つまりは資金が必要なのだが、オリアスの家はそこそこ裕福といった程度であり研究費が無尽蔵に出て来る訳ではなかった。
学会はこの研究にそれなりの興味を示したものの、ここに教会からの横槍が入った。錬禁呪術は生命を冒涜する許されざる技術である、と。
この意見には一定の説得力があり、学会はこれを受け入れオリアスたちに研究の中止を申し付けた。
そこまでならまだいい、不満は残るものの納得は出来たかもしれない。
学会員たちはオリアスたちを神への反逆者であるとして糾弾し始めたのである。本来ならば研究の中止と厳重注意だけで済むはずだった。また、そうでなければ誰も新しい研究を始めようなとどは思わない。
この時、学会員たちが教会の尻に乗るような形でオリアスを責め立てたのは、大した家柄でもないくせに優秀な研究者として持て囃されているのが気に入らなかったという面が大きい。
こうしてオリアスたちは学会を追放された。これでは研究が続けられない。いや、それ以前に生活すらままならなかった。どれだけ優秀であろうとも教会から批難され学会を追放されたような付呪術師に仕事を依頼する者などいないからだ。誰だって面倒事に関わりたくはなかった。二大組織の影響力とはそれほどまでに大きかった。
オリアスは焦った。妻と娘、そして五人の弟子を抱える身で収入が途絶えてしまったのである。しばらくは宝石や魔術付与された武具などを売り払って生活していたが、それもいつまで持つかわからなかった。
先行きの見えない日々の中でグラウコスがもの凄く嫌そうな顔をして、
「朗報です」
と言った。表情と内容が一致しておらず、どうしたのだとオリアスは首を傾げながら聞いた。
「父が……、レヒト・シュトラーヘ公爵が教授に援助を申し出ております。シュトラーヘ家で秘密裏に召し抱えたい、と」
「おお、それはまさしく朗報だ!」
家族や弟子たちに忍従を強いていた申し訳なさから解放されたように、オリアスは久々に見せる明るい笑顔でポンと手を叩いた。
「……で、何故そんなに不満顔なのだ?」
「父は野心家です。援助の見返りに錬禁呪術の軍事利用を求めてくるでしょう。しかもそれは帝国全体の利益ではなく、己の権力を高める為に使うのではないかと」
「むぅ……」
オリアスは唸った。よくよく考えれば生物に魔術付与を施して身体能力を大幅に向上させる技術など、軍事利用されるに決まっている。怪我の治療や肉体労働の効率化、それだけで済むはずがなかった。
ならば学会や教会の言うとおりに封印すべき技術であったのか。否、可能性が目の前に広がっているというのにそれをみすみす捨て去るなど、研究者としての誇りが許さなかった。また、ただの嫉妬や派閥争いで自分たちを追い出した学会員たちに対する意地もあった。
……このまま引き下がってなるものか。
怒りと恨みが、オリアスに悪魔との取り引きを承諾させた。
「グラウコス、お父上への仲介を頼みたい」
「……はい」
「済まないな、あまり会いたい相手でもないだろうに。無理をさせてしまう」
「いえ、教授のお役に立てるならば何てことはありません」
「私の為、か。本当にそれだけかな?」
オリアスが茶化すように言うと、純朴な青年は顔を赤くして俯いてしまった。愛弟子のそんな反応が面白くて、オリアスは声を上げて笑った。
グラウコスが自分の弟子になった切っ掛けは、娘のミィナが目的であった事は知っている。動機こそ不純極まりないものであるが、彼は実際に努力を重ねて付呪術師としても錬禁呪師としても確かな力を付けた。そしてミィナ自身にも気に入られているという事で、オリアスはふたりの婚約を認めたのだった。
ひとしきり笑った後でオリアスは急に表情を引き締めて頭を下げた。
「君には本当に苦労をかける。あの追放騒ぎがなければ今頃とっくに式を挙げていただろうに」
「苦しい時に支え合ってこそ家族でしょう」
「そう言ってもらえると助かる」
オリアスとグラウコスは深く頷き合った。
こうしてオリアスたち錬禁呪師はレヒト・シュトラーヘ公爵から資金援助を受けて遺跡の奥深くに研究所を設け、様々な実験を行った。
まずはネズミに魔術付与をしてみた。それを何度か行った後、次に犬を使った。その次は鹿や馬を使った。さらにはレヒトが調達した死刑囚の身体をいじくり回し人体実験を行った。
そうして得た知識を元にオリアスは自分自身と弟子たちに少しずつ魔術付与をし、肉体を強化していった。
レヒトが裏取引をしていた連合国の将軍に魔術付与した事もあった。やはり戦争の道具にされるのかと少々うんざりとしたが、これも研究資金の為だと割り切るしかなかった。
少々後ろ暗く、それでいて平穏で楽しい日々が続いたある日の事。レヒトが酷く顔色の悪い男を連れて自ら研究所までやって来た。誰かと聞くと、その男は王国と連合国の和平会談に見届け役として参加した帝国貴族であるという。
男は会談の様子を語った。蛮族の王が聖剣を手にして、皆が一斉に跪いた光景は帝国にとっても脅威であると。
そしてレヒトが話を引き継ぐように言った。
「我らがアルタール帝国にも独自の、強大な力が必要だ。その為にも……」
じろり、と敬意の欠片もない冷たい眼でオリアスを睨み付けた。
「最強の生物兵器を造れ。貴様らに拒否権はない、これは命令だ」
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