第548話 仮面の隙間
「待て、ちょっと待て。何故貴様がここにいる?」
ルッツは内心の動揺をなんとか抑えて言葉を絞り出した。
「あら、ここは天下の往来で誰が歩いたところで不都合はないでしょう?」
相手が何を言わんとしているかは理解しているが、それはそれとして
「……ハッキリ言わなきゃわからんか、錬禁呪師の犯罪者」
「お姉さん悲しいわあ。他はともかく、少なくともこのエスターライヒ領内においては功労者だと思うのだけれど?」
「むむむ……」
何も言い返せなかった。ディアドラは悪名高き錬禁呪師の一味であり、ツァンダー伯爵領内で野盗に魔術付与をして騒ぎを起こした事もある。
一方で彼女の言う通り『ヘンケルスの乱』を引き起こした最悪の錬禁呪師、フォリーを倒す為に協力してくれたのは確かな事なのだ。
フォリーを倒した後でルッツは当時の愛刀『鏡花水月』をディアドラに奪われたという経緯があり、敵なのか味方なのか、憎むべきか感謝すべきか、どう判断すればよいのかわからなかった。
強いて言えば、苦手な相手である。
ルッツは眉根を寄せてディアドラを睨みながら聞いた。
「俺の『鏡花水月』はどうした?」
「仲間にあげちゃった。仕事が捗るって凄く喜んでいたわ」
「まだ仲間がいるのか」
ディアドラの端正な眉がピクリと動く。余計な情報を与えてしまったかと考えたが、すぐに彼女らしい軽口を続けた。
「そうね、百人くらいかな」
などと言ってにやにやと笑う。
やはりこいつは苦手だなと、ルッツはため息を吐いた。
「緊張している? それとも何か、期待しているのかしら……?」
いつの間にか距離を詰めていたディアドラが熱い吐息を吹きかけ、なめらかな指先でルッツの頬をなぞった。
ルッツの脳裏に先日、別の錬禁呪師に拘束され恐怖を覚えた体験がフラッシュバックし、思わず大袈裟に飛び退いてしまった。しかも無意識のうちに刀の柄に手をかけていた。
反応が大きすぎてディアドラは驚き眼を見開いていた。
「そこまで嫌がる事はないんじゃない? ちょっとショック」
「え、ああ、すまん」
ルッツは思わず謝罪し柄から手を離した。馬鹿な事をしてしまったという自覚はある。
やれやれ、とディアドラは肩をすくめて見せた。
「ひとつ忠告しておくけど、断るにしても断り方ってものがあるでしょう?」
「はい……」
「こういう時はね、男の余裕を見せて欲しいのよ。『おいおいダメだぜ子猫ちゃん』とか言って、そっと手をどければよかったじゃない」
「そういう台詞はな似合う奴と似合わない奴がいるんだ。俺は多分、後者だろう」
「うん、まあ、そうね……」
納得されるのもそれはそれで嫌だなと考えながらルッツは軽く首を横に振った。
「……それで、お前は一体何をしに来たんだ?」
「ああ、ごめんなさいね。あなたとの会話が楽しくてつい忘れていたわ」
見え透いたお世辞である、そうとわかっていながら悪い気はしない。我ながら単純だなとルッツは内心で自嘲した。
美女に言われちゃ仕方がない、男とはそういうものだ。
「ちょっとね、人を探しているのよ。ここにいるらしいっていう噂を辿ってね」
「ふぅん、どんな奴だ?」
「ええと、四十歳くらいの紳士で、学者風で、知人からは『教授』って呼ばれていて……」
ディアドラはどこまで話してよいのかを考え、言葉を選びながら答えた。ディアドラから見たルッツは『ちょいといい男』ではあるが、決して味方という訳ではない。与える情報は無制限とはいかなかった。
そんな彼女の努力は無駄であったようで、ルッツはあっさりと答えた。
「そりゃあひょっとしてオリアスって奴の事か?」
そう言った瞬間、ルッツの両肩はガシリと掴まれていた。すぐ目の前にディアドラの、いつになく真剣な顔があった。
「何処? 何処で会ったの!?」
「近い、ディアドラ、顔が近い……ッ」
「だから何!? 早く答えないとまた舌いれるわよ!」
「何だその脅し文句は……。とにかく落ち着いて話せる体勢じゃないだろう」
「つい最近までエスターライヒ領にいて暴れまわってくれたよ。準男爵を
こうして羅列するとやはり無茶苦茶であり、錬禁呪師という非合法非常識集団の中でもオリアスの存在はかなり異質であった。
「うんうん、それは間違いなく『教授』だわ」
ディアドラは探し求めていた男の手がかりを得てパッと表情を明るくした。
「それで、『教授』は今どこにいるの!?」
「知らん、どっか行っちゃった」
「どこかに行ったぁ!?」
ディアドラの表情がコロコロと変わる。荒らされた村やヘンケルス城で会った時はもう少し落ち着いた印象の女であったのだが、ひょっとするとこちらが素なのだろうか。などと考えるルッツであった。
「俺たちが鬼三体を倒したら大袈裟に感動して、この迷宮はくれてやるとか言いながらフラッと出て行った」
「何で引き留めなかったのッ!?」
「何で引き留めなけりゃあならんのだ、あんな危険人物!」
ルッツに言い返されて、今度はディアドラが黙ってしまった。錬禁呪師たちにとって『教授』がどれだけ重要人物であろうと、ルッツたちからすれば死んで欲しい、それが無理ならさっさと出ていけと思うのが当然であろう。
「ぐぬぬ……」
「それともうひとつ」
「今度は何ッ!?」
「オリアスのおっさん、お前らの事を覚えてなかったぞ」
「……なんですって?」
ディアドラは口を半開きにして聞き返した。
「錬禁呪師の仲間はどうしたと聞いても、お前らの名前を出しても首を捻るばかりだった。目的があって研究を進めていると言ったが目的を忘れているようだった。それと何やら頭痛に悩まされているみたいだな」
「……記憶を失っている?」
「かもな」
呻きを洩らし、手で口元を覆ってディアドラは考え込んだ。
「そう、か……。記憶がないから帰って来ないし、向こうから私たちに接触しようともしないのね。合点がいくけど、ならばどうして記憶を失ったのか……?」
ひとりでブツブツと呟くディアドラに、ルッツは眉をひそめて聞いた。
「なあ、『教授』が忘れている目的って何なんだ?」
「それは……」
話してよいものかと迷うディアドラに、ルッツは少々厳しめの声でピシャリと言った。
「俺は結構、色んな情報を渡したつもりだぜ。それでそっちからは何も出せないっていうんじゃあ、今後は交渉にも取引にも応じられないぞ」
敵同士であるとはいえ交渉の伝手は残しておきたいし、ルッツの意見は道理であり不義理を犯したくはないという意識がディアドラの中にあった。
ディアドラは小さく頷き、薄桃色の唇を重々しく開いた。
「……娘さんの身体を治す事よ」
それ以上の事を話すつもりはないらしい。だが、その一言でルッツはある程度の事情を察した。
恐らくは怪我や病気などではあるまい。錬禁呪術の真理を解明せねば成せぬ事、それはきっと魔術付与を施し改造した身体を元に戻すという話ではないだろうか。
「……冷たい言い方をするようだが、娘さんひとりを治す為にあっちこっちで人体実験を繰り返し、不幸を撒き散らすのは勘定が合わねえんじゃないか」
「仕方ないじゃない、やらなきゃ国が滅ぶかもしれないんだから」
「国が?」
ルッツが思わず聞き返し、ディアドラはしゃべり過ぎたと苦い表情を浮かべていた。
「何でもないわ。それじゃ、私は『教授』を探しに行くから」
「待て、まだ話は終わって……」
食い下がろうとするルッツの唇に、ピタリとディアドラの白い指先が当てられた。
「逃げる女を追うつもりなら、それなりの覚悟が必要だって事は覚えておきなさい。じゃあね」
と言って微笑みながら手を振り、路地裏の奥へ溶け込むように消えていった。シンと辺りが静まりかえる。
彼女が本当にここにいたのか、それすら疑わしくなってきた。
「次から次へと、まったく……」
ひとり取り残されたルッツはぼやきながら、ガリガリと強く頭を掻いた。
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