第547話 不発弾
ゲルハルトは困惑していた。
迷宮の探索を依頼していたルッツとリカルドが無事に帰還し、エスターライヒ領を騒がせていた元凶である錬禁呪師『教授』のオリアスを追い払ったというのだ。
本来ならば手放しで喜び、彼らの頬にキスでもしてやるべき場面なのだろうが、新たに出てきた厄介事の種が多過ぎてとても浮かれる気にはなれなかった。
封印が解けかけた迷宮を強引に叩き起こしたのがオリアスだというのが確定した。そしてそれは迷宮を掌握する為の実験であったという。
彼はあの迷宮を失敗作だと言っていたが、臓物の無限回廊は本当に恐ろしいものであったとルッツたちは青ざめた顔で語っていた。ふたりには悪いが、自分が行かなくて良かったと思ってしまうゲルハルトであった。
迷宮の奥深くでオリアスは自宅にいるかのようにくつろいでいた。そして魔剣持ちが四人も揃っていながら苦戦した鬼を三体も、いとも容易く呼び出したとの事だ。
もうこの時点で頭が痛くなってきた。
『もういい、知るかバーカ!』
と叫んで部屋を飛び出したくなる衝動を、ゲルハルトは必死に耐えていた。
オリアスは臓器の回廊まで辿り着けた実力者を実験に使い、魔術強化兵として従えていたようだ。こうなるとまた別の疑惑が浮かんでくる。
ゲルハルトが新たな迷宮を危険視し、何度も調査隊を送る事にした切っ掛けは迷宮のそばに魔術付与の跡があり、何らかの手段で人為的に復活させたのではという疑いを抱いた事だ。
魔法陣は足で擦って消したようであり、砂粒の中には砕けた宝石の欠片が混じっていた。一般人が見たところで何とも思わないだろうが、付呪術師ならば違和感を覚える。そんな微妙な証拠の残し方であった。
わざと証拠を残した、という可能性がある。
森の中で儀式を行い、砂のように細かく砕けた宝石を全回収するのはたしかに難しいだろう。しかし話を聞く限りオリアスは付呪術師としても錬禁呪師としても相当に優秀で造詣が深い。痕跡を全く残さない方法くらい他に用意出来るのではないかと思えてならないのだ。
何故証拠を残したのか。この迷宮は危険なのではないか、何か裏があるのではと思わせて、腕利きの調査隊を送り込ませる為だ。事実、ゲルハルトはその通りに動いてしまった。
無論、確実性には欠ける作戦だ。恐らくは垂らした釣り針に食い付いてくれれば儲けものくらいの考えであったのだろう。
……情けないッ!
ゲルハルトは歯を食い縛り、拳を強く握り締めた。
策士、知恵者を気取っておきながらいいように弄ばれてしまった。それでもしルッツやリカルドといった優秀な若者を失ったのでは悔やんでも悔やみきれぬところであった。
「ええと、ゲルハルトさん?」
ルッツの声で目が覚めたように、ゲルハルトはハッと顔をあげた。
「おう、ルッツどのか。どうした?」
「どうした、じゃあないでしょう。いきなり黙り込んじゃって。話を先に進めてよろしいですか」
「若いくせにせっかちな奴だな。何か用事でもあるのか?」
「用というほどではないですが、風呂入って飯食ってクラウディアに会いに行きたいんです」
ブレない男だなと半ば呆れ、半ば安心したようにゲルハルトは薄く笑った。
「後からまた色々と話を聞くかもしれないが、今のところオリアスの話はもういいだろう。そっちからは何かあるか?」
「報酬の話を」
と言ってリカルドが進み出て、小袋をテーブルの上に投げ出した。ゲルハルトが袋の口を開けると、中から色とりどりで大粒の宝石が現れた。
「ほほう、ほほう。こいつは上物だ、かなりの魔力が込められておる。付呪術師垂涎の品だな。どこで手に入れた?」
今までの不機嫌さはどこへ行ったのか、切り替えの早さを発揮するゲルハルトであった。あるいは、引きずらない事が長生きの秘訣なのかもしれない。
「三体の鬼からです」
ルッツが短く答える。
生物への魔術付与に使われた宝石は強い魔力を帯びる。錬禁呪師たちほどではないにせよ、鬼という強敵を倒して手に入れた宝石は一流付呪術師であるゲルハルトが目を見張るほどの逸品であった。
「買い取れ、という意味で良いのだな?」
「はい。調査の成功報酬と合わせて金貨二百枚でどうでしょうか。それをリカルドとふたりで山分けします」
「よかろう。金はツァンダー城に戻ってからにするか、それとも今すぐ欲しいか?」
無駄に大金を持ち歩くのも危険だと考え、ルッツは本拠地で受け取る事を選んだ。リカルドはまず金貨五枚だけ貰っていた。
ゲルハルトは手をひらひらと振りながら言った。
「今日のところはこれで解散だ。後日、鬼との戦いや『夢幻泡影』の効果について詳しく聞かせてくれよ」
「はい、それでは……」
こうしてルッツたちは執務室を出て、次にエスターライヒ城内の風呂場に向かった。
貴族ではない、一介の鍛冶屋である。しかしアルドルとゲルハルトから、ルッツたちを丁重に扱えという通達がされていたようで、風呂場では湯を沸かしてもらい、その後は着替えと食事も用意してもらえた。
至れり尽くせりである。
何で自分たちだけがこんなに苦労して戦わなければならんのだ、という心の底にこびりついたわだかまりも綺麗さっぱり洗い流された気分だ。
働きをちゃんと評価される、それは実にいいものだ。
食堂で肉がたっぷり入ったスープを頬張りながらリカルドが、
「もうエスターライヒ領の子になってもいいかもなあ……」
などと言い出し、ルッツは苦笑いを浮かべた。城主アルドルはそのつもりで俺たちを厚遇しているのかもな、と。
その後、ルッツは街に出た。商人の集会所で冒険者向けの設備を揃える為に働いているクラウディアに会いに行くつもりである。
「お兄さん、ちょっと遊んでいかない?」
道中、路地裏から声をかけられた。普段ならば視線を向ける事すらなく無視するのだが、なんとなく聞き覚えがある声のような気がしてつい振り向いてしまった。
「げぇ……ッ」
女性の姿を見てこんな声を出すのは無礼に過ぎるだろう。だがルッツにもそうなる事情があった。
壁に背を預けてにやにやと笑うその女には見覚えがある。
艶のある金髪。黒い眼帯。大きく胸元の開いた改造修道服。深いスリットから覗く魅惑的な生足。そして何よりもその端正、美麗な顔は一度見れば忘れるようなものではない。
錬禁呪師、ディアドラである。
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