第546話 ひとつの推理
迷宮の主がいなくなったからなのか、それともオリアスが帰る時に邪魔だから解除して行ったのか、臓器の道は消えてなくなり普通の迷宮に戻っていた。
通路もそこそこ長くはあるが、あくまで常識の範囲内である。数時間かけて歩き通したのは何だったのだろうか。
「これで一件落着、って事なのかねえ?」
リカルドがまだ釈然としない顔で言った。
「少なくとも俺たちの仕事は終わったさ」
ルッツはやや適当にも思える口調で答えた。
「肝心かなめの錬禁呪師を倒せず、相手の情けとか好意とかきまぐれで立ち去ってもらえたようなもんだけどさ、それでもエスターライヒ領から危機が去ったのは事実なんだ」
「一応の目的は果たした、か」
「人生何もかもが上手くいくなんて事はないさ。六割、七割くらいやれたら万々歳ってなもんよ。後は城に戻って、ゲルハルトさんにクッソ面倒臭い報告をして、ちょいと小言をもらってそれで終わりだ」
うへぇ、と顔をしかめるリカルド。確かに今回の流れを説明するのには骨が折れそうだ。
「リカルドはまだいいさ。俺なんかその後で、危ない事ばかりしやがってとクラウディアに怒られなきゃならんのだぞ」
「お前にとっちゃご褒美だろうが」
「……かもな」
などと言って顔を見合わせ、ふたりは笑い出した。馬鹿話をしていると、少しずつ気が楽になってきた。
「進化と探求、か……」
しばし歩いてからルッツが考え込みながら口にした。
「なあ、錬禁呪師たちは別に俺たちと敵対しているって訳じゃないんだよな?」
「んん? まあ、そういう事になるのか?」
「奴らは人体実験をしたり、研究材料を集めたり、権力を掌握しようとした結果、俺たちに潰されたってだけでさ」
「眼を付けられているのは確かだろうな。だが俺たちが直接標的になっているって訳じゃあなさそうだ」
そこまで言って、リカルドは何かに気付いたように前方を指差した。
「あ、ゾンビドッグだ」
腐った身体を持つ犬型の魔物がよだれを撒き散らしながら突撃してきた。ルッツはこれを正面から一撃で斬り伏せ、また何事もなかったかのように歩き出した。
迷宮の魔物を相手に油断していい道理などあるはずはないが、鬼三体を同時に相手して、『教授』と呼ばれる錬禁呪師の気迫に圧された後ではどうしても気が抜けてしまう。
実際、ルッツの動きは端から見れば一切無駄のない、流れるような完璧な一閃であった。これは魔物に恐れを抱かず冷静に動きを見て対処したからこその結果である。
「次、俺にも貸してくれ」
リカルドが軽く手を差し出して言う。
ルッツの愛刀『夢幻泡影』には斬った相手の生命力を奪う効果がある。長い迷宮探索には実にありがたく都合のいい性能であった。
「いいぞ、『桜花』と交換な」
貸すのはいいが無腰になるのは嫌だとルッツは答えた。リカルドは左腰から鞘ごと愛刀を引き抜き、ルッツの『夢幻泡影』と交換した。
「『椿』はいいのか?」
「悪女を押し付けようとするのはやめてくれ」
「ちょっと怖いところもある女がさ、自分だけにはやさしいって考えると少し興奮しないか?」
「……わからんでもない」
けたけたと笑いあった後で、ルッツはまた表情を引き締めた。
「思えば錬禁呪師だの魔術強化兵だのが現れたのはここ数年の事なんだよな」
「それもそうだな。一番古い奴って誰だ?」
ルッツは首を捻って記憶を辿った。今までに戦ってきた非常識な力を持った人間や魔物が次々と思い浮かぶ。今さらだが、本当に今さらだが、鍛冶屋の仕事ではないなと疑問を抱かずにはいられなかった。
「俺たちが戦った中で一番古いのは、恐らく炎の魔人だ。あれは魔術強化された魔物、あるいは魔術強化されすぎて暴走した人間なのではないかと思う」
炎の魔人とはツァンダー伯爵領にある迷宮から出て来て、木こりの村を焼き払い恐怖を撒き散らした魔人である。ルッツが刀に敵の能力を封じる効果を求めるようになったのもこの頃からだ。
たとえばあの時もオリアスが迷宮内に潜んでおり、冒険者を実験台にして暴走したから放り出したと考えれば辻褄は合う。
思い返せば死の間際に恐怖を覚えるなど、妙に人間くさい相手であった。
一緒に戦っていたリカルドも、当時を思い出しながら頷いた。
「俺たちが戦う前にも何かいたのかな」
「これは伝聞に伝聞を重ねた信憑性に欠ける話なのだが……」
と、ルッツは自信なさげに語った。
「戦時中、連合国側に異常なほど強く耐久力も高い敵将がいたらしい。結局正攻法では倒せず、味方ごと焼き殺すしかなかったとか」
「ふぅん、そいつはいつの話だ?」
「そんな昔でもないさ。終戦の一年から半年くらい前じゃないかな。あの英雄レナードが活躍していた時期だから」
「ええと、ちょっと待て。そもそもレナードって誰だっけか。どこかで聞いたような覚えはあるんだが……」
そういえばリカルドは
「ああそうか、そんな話もあったな。それでそのレナードさんとやらが戦時中に戦ったのが魔術強化兵だったとしよう。生物への魔術付与は少なくとも五、六年前から行われていたと考えるべきか?」
「そのくらいだろうな。ただ、戦場での話は後から思い返すとそういえば、といった程度の話であって、当時から魔術強化兵という言葉が知られていた訳じゃないんだよな。奴らが本格的に表に出てきたのはここ二、三年の事だ」
「どこをどう考えたってまともな研究じゃない、本来は隠れて細々とやるようなもんだったんだろうな。だが数年前に何かがあった。手段を選ばず貪るように実験を繰り返す理由、焦り出すような理由がな」
「その何かって奴が……」
「わからないんだよなぁ」
と言ってリカルドは髪をぐしゃぐしゃと掻いた。迷宮に丸一日こもっていただけで、頭がフケだらけになったような気分だ。
錬禁呪師たちの正体について良いところまで手が伸びたと思う。だが、そこまでで途切れてしまった。
「ま、俺たちだけで悩まなきゃならん話でもない。お偉いさん方を巻き込んで、場合によっては丸投げしようぜ」
ルッツが笑って指差す先に日の光が見えた。
ようやく帰って来た、出口である。
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