第544話 羅刹の宴
「先にひとつ忠告しておくが……」
オリアスは倒れた椅子を戻し、腰を下ろしてのんびりとした口調で言った。
「逃げる、というのはあまりお勧めしないな。臓器の道は足場が悪いが、鬼どもはそれをものともしない。すぐに追い付かれるのがオチだよ」
「出入り口が狭いようだが?」
ルッツの意見に、オリアスはいい質問だとばかりに微笑みながら頷いた。
「発想の転換だよ、壁など破壊してしまえばいい。少々風通しが良くなってしまうが、まあすぐに直せるだろう。不完全とはいえ今は私が迷宮の主だからね」
リカルドがいきり立つ鬼たちから眼を離さずにふんと鼻を鳴らした。
「なんだよ、ずいぶんと親切じゃねえの」
「私は君たちがどう戦うのかを見たいのだ。臓器の道を踏破した君たちの実力が見たい。ああ、それと……」
と、オリアスは羽ペンを指先で回しながら思い出したように言った。
「魔術強化兵は素材によって品質が大きく変わる事は知っているかな、この場合の素材とは宝石ではなく人間の事だが」
「ああ、知っているよ。さんざん思い知らされた」
ルッツはまた律儀にオリアスの話に付き合った。話している間は鬼たちをけしかけては来ないだろう、時間を稼ぎながら対策を考えたかった。
「そして彼らは冒険者だ。臓器の道で力尽きたとはいえ魔力の乱れた迷宮の第五層まで来れるほどの実力者たちだ。あの準男爵どの、ええと、名前は何だったかな……」
「バライアンだ」
「そうそう、そんな名前だったな」
ポンと手を叩くオリアス。明日にはまた忘れていそうな態度だ。 何となく気になっただけで、興味があった訳ではないらしい。
「ただ元の実力が高い分、魔術付与に使う宝石は控えめにしたのでスペック自体は同等かな。さて……」
羽ペンの先をインク壺に浸しながらオリアスはにやりと笑った。
「時間稼ぎはもういいかね?」
「あと一時間くらい欲しい」
「ダメだよ」
その言葉を引き金として先頭の鬼が素早く腕を伸ばしてきた。ルッツとリカルドは横っ飛びにかわし、鬼はその勢いのままに壁を粉砕した。
とんでもない威力である。もしもあの腕に捕まっていたら、と思うと背に脂汗が浮いて出た。
他二体は左右からじりじりと回り込んでいた。連携が取れている。それは彼らが元冒険者であったからなのか、それともオリアスの管理下にあるからなのかはわからないが、とにかく大型の魔物が無秩序に暴れまわって同士討ちというのは期待できそうになかった。
「なあリカルド」
「何だよ、遺言なら聞かねえぞ」
リカルドがチラと視線を向けると、ルッツは妙に落ち着いた表情で刀を構えていた。彼の愛刀『夢幻泡影』、その刀身に刻まれた五つの古代文字からまばゆい光が放たれている。
「何とかなるかもしれない」
「かもしれない、か。頼もしいこった」
「めそめそ泣いて死を待つよりは遥かにマシだろう」
「ごもっとも」
ルッツは『夢幻泡影』を強く握って走り出した。狙いは正面の鬼である。
鬼はルッツに向けて
弾かれる、誰もがそう思っていた。意外につまらない戦いをするものだなとオリアスは眠たそうな顔をしていた。
金属音は鳴らなかった。『夢幻泡影』の光輝く刃は鬼の腕を両断し、無敵の盾であり矛でもあったはずの腕はドサリとその場に落ちた。
「ぐわっ、がっ、ぎゃあああああッ!」
困惑と苦痛の叫びが部屋中に響いた。
負傷した鬼は素早く下がり、左右に散っていた鬼が戻って守るように立ちはだかった。しかし、その鬼たちの顔にも同様に動揺が浮かんでいた。
ルッツは刀を振って刀身に付着した血を飛ばし、切っ先を鬼たちに向けて言った。
「たかが無敵で調子に乗るな」
ただの人間が、無敵の力を得た自分たちを見下している。鬼の心に芽生えた恐怖を怒りが塗り潰した。
「おのれ貴様ぁ!」
無傷の鬼が吼えながら襲いかかる。
攻撃が通じるようになったとはいえ、鬼の力が脅威である事に変わりはない。パワー、スピード、耐久力、その全てがド迫力!
鬼はここでひとつのミスを犯した。ルッツに注視するあまり、もうひとりの厄介な男から眼を放してしまったのだ。
死角から懐に潜り込み、リカルドは愛刀『桜花』を振るった。脇腹を浅く切り裂かれ、鬼の動きが一瞬だけ止まった。
傷は浅い、ほんの皮一枚である。問題はどちらを先に叩き潰すかだ。その一瞬の迷いが彼の命取りとなった。
大きく踏み込んだルッツが刀を振り下ろし、鬼の頭は真っ二つに割られた。
もう一体の鬼がハッと夢から覚めたような顔で襲ってきた。
無敵の力を得たのではなかったのか、絶対安全な位置から人間を一方的に捻り殺す権利を得たのではなかったのか。誰も保証などしていない。助けを求めるように創造主に視線を送るが、彼の輝く瞳はルッツとリカルドしか見ていなかった。
「うおお、うおおおおおッ!」
鬼は無茶苦茶に腕を振り回した。右拳が唸り、左手の爪が光る。
ルッツは防戦一方となり、刀で鬼の攻撃を捌くので精一杯であった。強大なパワーの持ち主ともなれば、ごり押しという戦法は恐ろしく厄介だ。
いつの間にか二刀流に切り替えていたリカルドが飛び上がり、背後から鬼の首筋に傷を入れた。
これも浅い、しかし十分。
リカルドはにやりと笑い、片手で器用に『椿』だけを鞘に納めた。
ドクン、と鬼の心臓が大きく跳ね上がる。本来呪いの効かない魔術強化兵であるが、傷口から直接呪いを流し込まれれば抵抗のしようがなかった。
恐ろしい表情は情欲に弛み、息が熱く荒くなり、その巨体に見合った股間が激しく自己主張を始めた。
「あ、ああ……」
黒髪の美女の幻覚に包まれ、口の端からよだれを垂らす鬼は自分の首を掴み、頸動脈を引きちぎった。堤防が決壊したかのような勢いで血が吹き出す。鬼はゆっくりと倒れ、己で作った血溜まりの中へと沈んでいった。
残る鬼は一体、最初に右腕を斬り落とした奴だけだ。
「何だよ、お前ら何なんだよ! 何で無敵の腕が斬られるんだよッ!?」
怯え、腰を抜かして後ずさる鬼に、ルッツは『夢幻泡影』の切っ先を向けた。
「貴様らの硬さは『覚えた』という事さ」
じりじりと迫るルッツ、血の跡を引きながら後退する鬼。やがて鬼の背が壁にぶつかった。
「あ、あああ……ッ」
鬼の力を得た冒険者が最期に見たのは、無慈悲に刀を振り上げる悪鬼羅刹の姿であった。
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