第543話 新たなる探求者

 進み進み進み、壁に何度斬りつけたか数えるのを止め、何時間歩いたかも思い出せなくなった頃、壁に奇妙な物が埋まっているのが見えた。


「なんだぁ、こりゃあ……?」


 注意力が散漫になっており、危うく見のがすところであった。


 怪訝な顔をして立ち止まるルッツとリカルド、その視線の先にあるのはごくごく普通の、いかにも民家にありそうな木戸であった。


 あえて普通でないところを挙げれば、臓物の迷宮にポツンとこんなものがある事くらいだろうか。


「これはつまり、そういう事だよなあ……?」


 リカルドが確認するように言い、ルッツも深く頷いた。禍々しい気配はさらに強くなっている、恐らくはここが終着点だ。同じ景色ばかりが延々と続く無間地獄から抜け出した事で、ふたりは少し気力を取り戻していた。


 刀を抜いて頷き合い、そしてリカルドが思い切りドアを蹴飛ばした。


「勇者さまのエントリーだコラァ!」


 ドカンと大きな音を立ててドアが破壊される。中は臓物ではない、迷宮らしい石造りの部屋だ。


 広く薄暗い部屋の片隅に小さな明かりが灯っていた。


 そこには机がある、椅子がある。そして乱暴な闖入者に怯まず優しげな笑みをたたえた紳士がいた。


「やあ、ようこそ中心部へ。自分の足でここまで来れたのは君たちが初めてだ。みんな途中で倒れてしまうのだがね」


 その男、オリアスはまるで世間話でもするかのような口調であった。ルッツとリカルドが殺気を剥き出しにして刀を向けているというのに、まるで意に介していないようだ。


「オリアス、貴様も錬禁呪師かッ!?」


 ルッツが叫ぶように言うと、オリアスは額を軽く押さえながら答えた。


「確かに私は錬禁呪師だが、『貴様も』とはどういう事かね? 私の他に錬禁呪師がいるのかい?」


 何か様子がおかしい。ルッツとリカルドはチラと視線を交わした。もう少し話を続けてみようとルッツが小声で言い、リカルドもそれを承知した。


 無論、警戒を解くつもりはない。


「エスターライヒ領やツァンダー領で錬禁呪師が暴れまわったから、あんたはここに来たんじゃないのか?」


「いや、封印が解けかけた迷宮があったから実験の為に来ただけだが?」


 どうにも話が噛み合わない。


 彼は嘘をついているのだろうか。いや、そうは見えないし、そんなつまらない嘘をつく必要もないだろう。


「本当に知らないのか? イヴァンとか、フォリーとか、ディアドラとか」


「……イヴァンとは、誰だろうか?」


「クソ野郎だよ」


「……フォリーとは、誰だろうか?」


「クソ野郎だよ」


「……ディアドラとは、誰だろうか?」


「クソ……、いや、ううん、どうなんだろう。あいつだけはよくわからん。悪女と書いてイイオンナって読むタイプだ」


 律儀に答えるルッツに微かな好感を抱いたか、オリアスはくすりと笑った。やはりこうして見ていると知的で穏やかな紳士としか思えなかった。


「……すまない、やはり覚えがないな」


 と、オリアスはまた額を押さえながら答えた。


 そんなはずはないと思うのだが、これ以上追及しても堂々巡りになりそうなので質問を変える事にした。


「あんたはここで何をしている、実験とは何だ? それと途中で死者の遺言とか断末魔らしきものが刻まれていたが、あれは一体何なんだ?」


「ほほう、興味があるのかね!?」


「え?」


 ルッツの尋問を学術的な質問と受け取ったか、オリアスはパッと表情を明るくした。何か、おかしなスイッチに触れてしまったらしい。


 ガタンと椅子を倒して立ち上がり、オリアスは両手を大きく広げて語りだした。


「私の今回の研究テーマは迷宮の掌握だ。つまり、人間が迷宮の主となりその機能を自在に扱えるかという事だな。その為に復活したばかりで魔力が不安定な迷宮が必要だったのだ。安定していると介入する余地もないからねえ!」


「休眠状態の迷宮を無理やり叩き起こしたのもあんたかい」


「ほほう、そこまでわかっているのか! 嬉しいなぁ!」


 こっちは嬉しくも何ともねえよ、とルッツは憮然として呟いた。


 オリアスの反応は見覚えがあるような気がする。少し考えるとすぐに思い出した。テンションが上がりきった時のゲルハルトやパトリックといった職人連中だ。

錬禁呪師は付呪術師の亜種であると考えれば、こんな男がいてもおかしくはないのかもしれない。


 オリアスの講義は絶好調で、まだまだ続きそうだ。


「迷宮の中心部を見付けて掌握したまではよかったのだが、どうも魂の循環が上手くいかなくてねえ」


「魂の、循環?」


 またしても知らない単語が出てきたとルッツたちは眉根を寄せた。


「迷宮のエネルギーとは何か、それはつまり人間の魂だ! 迷宮内で死んだ人間の魂は迷宮に吸収され、その力によって魔物や宝石を生み出すのさ。前者は狩人、後者は餌としてね」


「……それが、上手くいかなかったと?」


「吸収は出来る、出来るんだがなあ。どうも効率が悪いというか、魂の一部がその場に残ってしまうのだよ。それが君たちの見た遺言という事だな」


 うんうん、と頷くオリアス。


 ルッツは彼と話すうちに違和感、妙なズレのようなものを覚えていた。


 オリアスは本当にただ実験が失敗したという認識でしかないようだ。迷宮を復活させた事、多くの冒険者がここで死んだ事、そして準男爵をそそのかして鬼に変えた事など何とも思っていない。


 やはりこの男は危険だ。ルッツは刀を構えたままじりじりと近寄った。


「いずれにせよあんたは重要参考人だ。選べ、一緒に来るかくたばるか」


「ううん、どちらも嫌だなあ……」


 オリアスは笑いながらパチリと指を鳴らした。するとどうだろう、薄暗い部屋の床が激しく輝きだしたではないか。


 何故この妙に広い部屋の片隅しか使っていなかったのか、部屋全体が巨大な魔法陣であったのだ。


 何だかよくわからないがとにかくヤバイ、とルッツたちは足元の魔法陣から飛び退いた。


 そして魔法陣の中心からいくつもの巨大な手が現れた。続いて腕が、頭が、肩が現れた。こうして全身を現したのはつい最近見た覚えのある最悪の敵だ。


「言ったろう? 通路の途中で倒れてしまう奴が何人もいたって。彼らを使わせてもらったのだよ」


 最強の錬禁呪師、教授が得意とする魔術強化兵。それは無敵の四肢を持つ鬼であった。しかも三体である。


 ルッツたちは改めて思い知らされた。ここが、地獄であるという事を。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る