第49話 折れた刃の邂逅

 ベオウルフ・エルデンバーガー侯爵はツァンダー伯爵領を訪れていた。


 爵位が下の相手は通常、自分の所に呼び出すものだが今はそんな事を言っている場合ではない。


「こいつを返そう。贈答品にする事はなかったが、見せ刀として十分に役に立った。初めて見た奴はどいつもこいつも眼を丸くしていたのはちょっと笑えたな」


 ベオウルフは鬼哭刀を差し出し、マクシミリアンはそれをしっかりと受け取った。


 帰って来てくれた。やはり鬼哭刀は自分の刀なのだと、マクシミリアンは少し感動していた。


「なんだよ涙ぐんで、大袈裟な奴だな」


「嬉しいのです、愛刀との絆が繋がったことが」


 鬼哭刀を渡して和平会談終了とはいかなかった。申し訳ないがマクシミリアンにとってはありがたい事である。


「それでは、こちらをお返しします」


 マクシミリアンはエルデンバーガー家の宝剣を差し出した。武器愛好家の集いで交換していたものだ。


「確かに受け取った。こいつを失くすと天国あのよで先祖に怒られるからな」


 二人は笑い合い、本来の持ち主の手に戻った差し料を抜いて刀身に魅入っていた。やはり自分の刀が一番だ。


「その剣に付呪を施したいとは思いませんか。うちのゲルハルトは良い仕事をしますよ」


 マクシミリアンの誘いにベオウルフは心動かされたようだが、思案の後に首を横に振った。


「止めておこう。こいつはエルデンバーガー家の象徴だ、私の代で勝手にいじるのも気が引ける。それよりも私自身の新しい刀が欲しいな」


「刀に興味がおありですか」


「鬼哭刀に惚れた、と言いたい所だが実はもう何十年も前に素晴らしい刀と出会った事がある」


 ベオウルフは宝剣を納めて、昔を懐かしむように語り始めた。


「私は二十歳そこそこ、若かったな。父も当主として健在であった。一人の鍛冶屋が珍しい剣を献上したいと言って来たのだ。一目で気に入った父は中庭で皆と共に見たいと言い出して、ちょっとしたお披露目会になった訳だ。父と、私と兄と、側近数名がいたな」


「それが刀であったと?」


「そうだ。鍛冶屋の男は目の前で何でも斬って見せた。石でも、兜でも鎧でも、スパスパと真っ二つだ。まるで魔法でも見ているような気分だった」


 そこまで言ってからベオウルフの声に暗さが混じる。刀が今、ベオウルフの手元に無い。何かがあったのだろうとマクシミリアンは黙って続きを待った。


「彼をエルデンバーガー家のお抱え鍛冶師にしようという話まで出た所で、兄が余計な事を言い出した。自分も斬ってみたい、と」


「兄上様は剣が達者でしたので?」


「さあな、腰を振る方は得意だったようだ。そんな奴が刀を寄越せと言い出したのだ。鍛冶屋も何かを察したのかな、酷く青ざめた顔をしていた。だが侯爵家の嫡男、跡取り様に向かってお前には無理だとは言えなかったのだろう。観念して刀を渡したよ。何も起こらないでくれと祈るようにな」


 ベオウルフは吐き捨てるように言った。愚かな人間の軽率な振る舞いによって芸術が失われる、それが何とも腹立たしい。もう何十年も前の話だが思い出す度に怒りが沸いてきた。


「お察しの通り、酒の入ったへっぴり腰の兄が鎧に叩き付けた刀は見事に折れた。兄は顔を真っ赤にして怒り狂ったよ。こいつはペテン師だ、こんなもので石も鎧も斬れはしないと」


「それは、なんとも……」


 あまりの話にマクシミリアンは咄嗟に言葉が出て来なかった。


「鍛冶屋の肩は震えていた。貴族の怒りを買った恐怖じゃない、悔しさで身を震わせていたのだろうな。違う、そうじゃないと言いたかっただろう。だが身分の差が反論を許さなかった」


「その鍛冶屋はどうなったのですか……?」


「兄は処刑しろと喚いていたのだがな、結局は侯爵領からの追放処分で収まった。侯爵家で騒ぎを起こした罪に対して驚くほど軽い処分だったが、俺はそれでも納得いかず夜になると父に直談判したよ。あれは兄が悪い、あの男を手放すべきではないと」


 いつの間にかマクシミリアンは身を乗り出すようにして聞いていた。


「父は言った。あの刀は確かに鋭い、だが傲慢ごうまんであると」


「傲慢、ですか」


「意味がわからないよな、俺もそうだった。父は続けた。あの刀で垂直に刃を立てれば斬れぬ物はあるまい。だが実戦で常に正しく刃を入れるなど出来るはずもない。あれは使う者の事を考えず、ただ己の腕を見せびらかす為に作られた刀だ。武門の家系に見せかけだけの刀は相応しくない、とまで言われたな」


「手厳しいですね。それを鍛冶屋に指摘してやれば次はもっと良い物を作ってくれたのではないですか」


「もう一度くらいチャンスをやっても良かったとは思うんだがな、兄が騒ぎ立てたのが問題だったのだろう。それからもう一回、何て言えるはずもなかった」


 逃した魚は大きい、とはまさにこの事だ。あの鍛冶屋を召し抱えていればエルデンバーガー侯爵領の鍛冶産業はどう変わっていたのだろうかと思わずにはいられない。


「それから数年で父は病で亡くなり、後を継いだ兄もすぐに娼館の階段で足を滑らせ首の骨を折って死んでしまった。世の中、何が起こるかわからないものだなあ……」


 ベオウルフの声は感情の籠らない淡々としたものだった。偶然、偶然だ。酒癖も女癖も悪い兄がこんな死に様を迎えるのはある意味で当然だった。


 娼館をすぐに壊したのは構造上に問題があるからだ。店主を処刑せずに穏便に追放としたのは、大袈裟に騒ぎ立てて兄の醜聞を広めたくなかったからだ。


 そういう事だ。


 ベオウルフは無表情でマクシミリアンの顔を覗き込んでいた。


 マクシミリアンの背に冷や汗が流れる。


 ……この話、真相がどうであれ突っ込む事に意味は無い。


「悲しみを乗り越え、ベオウルフ卿は領地を見事に発展させたのですね。天国のお兄様もさぞお喜びでしょう」


 少しわざとらしかったか。そう思ったがベオウルフは薄く笑っただけで何も言わなかった。


 ……どうやら、試されていたらしい。お前は私の敵か味方かと。


 ベオウルフはまたいつもの明るい調子を取り戻して手をひらひらと振った。


「鬼哭刀は良い刀だな。鋭さを重視しているが、決して実用性を疎かにもしていない。もっと薄くしようと思えばいくらでも出来たはずだが、切れ味と強度でギリギリのバランスを取っている。……あの男が今も打ち続けていたならば、きっとこうしただろうな」


 何故こうも鬼哭刀にこだわるのか、自分でも持て余していた感情に答えが出たような気がした。


 あの日無惨に折れてしまった刀が新たな姿で帰って来たように思えたのだ。心の奥底にこびりついた後悔や罪悪感が、鬼哭刀の前ではスッと消えた。


「……うむ。やはり欲しいな、私だけの刀が。切れ味を重視し刀身を長くした、あの日の刀の改良型のような物を」


「和平交渉が終わったら、ゲルハルトたちに命じて作らせましょう。きっとベオウルフ卿に相応しい刀が出来ますよ」


「そうだな、交渉が終わったら……」


 まだまだ問題は山積みだが、明るい未来を思い描くのも大切な事だ。頼れる同志もいる、きっと大丈夫だ。




 同時刻、場内の付呪工房にて怒りに震える老人がいた。


「ふざけんな馬鹿野郎ぉぉぉぉ!」


 ゲルハルトは吠えた。侯爵から伯爵を通して贈答用の刀のリクエストを聞かされたばかりである。その内容があまりにも酷かった。


「光属性だと、いいともやってやる。最高の刀と大粒の宝石を大量に用意して、それで三文字が限界だがなぁぁぁぁ!」


 発狂するゲルハルトを、ルッツとパトリックは複雑な心境で眺めていた。彼らも打ち合わせの為に呼ばれていたのだ。


「パトリックさん、光属性の三文字ってどれくらいの強さだかわかりますか?」


 と、ルッツが聞いた。彼は刀作成に関しては超一流だが、付呪術など他の業種の仕事にはうとかった。幅広い知識という点では先輩方に一歩劣る。


「ゾンビに斬りつけて、傷口の再生が遅くなるくらいですかねえ……」


 と、パトリックは首を振りながら言った。正確ではないにしろ、大きく間違ってもいなさそうだ。


「何と言うか微妙ですね。傷口からゾンビの身体が崩壊とかしないんですか」


「それこそ五文字の世界じゃないですか。残念ながら私は五文字の光属性を刻んだ武器なんて聞いたこともありませんが」


 ルッツとパトリックは唸ったまま動けなかった。どうも今回の依頼は現実離れしすぎている。


 叫び疲れたゲルハルトがようやく大人しくなった。


「……とにかく、無茶でもなんでもやるしかない。国家の威信がかかっているのだ。個人的にはそんなものどうでもいいが、やらねば我らが処分されてしまう」


「いっそ皆で逃げちゃいますか」


 ルッツが笑って言うと、パトリックは渋い顔で頭をいた。


「うちは弟子と職人で三十人近く抱えているので、逃げられないんですよねえ」


「……すいません、軽率でした」


 ゲルハルトは一人しか弟子を取っていないし、ルッツは相変わらずのモグリである。一番立派に親方をやっているのがパトリックであった。


 別に謝るほどの事でもないが、パトリックは素直に謝罪する青年に好感を抱いた。さすが私の推しだと。


「調印式は四ヶ月後、準備や移動時間などを考えれば我々に与えられた期間は三ヶ月だ。ルッツどのは二ヶ月で刀を打ってくれ。その間にパトリックは装飾の図案を、わしは付呪の手段を考えておく。刀が出来上がったら装飾と付呪で二週間ずつ使って仕上げるぞ」


 ゲルハルトは険しい顔で見回し、ルッツとパトリックは頷いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る