第48話 舌の上の罠

 国境際に王国軍が陣地を築いていた。


 僅か五キロ先に蛮族の軍が駐屯している。


 今すぐドンパチ始まったりはしないが、決して油断は出来ない。そんな距離だ。お互い緊張でロクに眠れもしないだろう。


 王国兵は三千ほど、さらに馬が数百頭。蛮族に備えるという理由でこんな所に張り付けて、金と食糧を垂れ流しているのだ。


 ……馬鹿な話だ。止められるものなら今すぐ止めたいというのが本音だろう。戦う兵も、金を出す貴族も。


 駐屯地を見回るベオウルフ・エルデンバーガー侯爵は不快感で眉をひそめていた。


 和平が結ばれれば軍を完全撤退とはいかずとも、見張りと最低限の戦力を残し百名くらいに減らすことが出来る。そうして浮いた金で何が出来るだろうか。


 道路整備、農地改革、新たな城塞都市の建設。実に素晴らしい。少なくとも不眠症の兵を量産するよりはよほどマシな使い方だ。


「ベオウルフ卿、そろそろお時間です」


 案内と引き継ぎのために連れてきた伯爵が言った。この日、国境へ来たのは蛮族の使者と和平の話を詰める為である。


「ひとつ聞きたいのだが、蛮族の王は七十過ぎたジジイだったな」


「はい」


つのか?」


「……はい?」


 あまりにも明け透けな言い方に、伯爵は引き気味であった。


「そんな嫌そうな顔をするな。こいつは政事だ、外交だ。嫁いだ姫さまが子を産めるかどうかは重要だろう?」


「……王は、裸の女を左右にはべらせて寝るのがお好みのようです。それで若いエキスを吸い取れるとか」


「いい趣味してるな、まったく」


 王族の女性の仕事は他家に嫁ぐことである。とはいえ、最初から不幸になるとわかった婚姻を取り次ぐなどしたくはなかった。


 十三歳の少女の青春を潰す権利がどこの誰にあるというのだ。義務、役目、王家、そんな建前はどうでもいい。嫌なものは嫌だ。


「さて、行こうか」


 ベオウルフたちは厩舎へ向かい、それぞれの馬に飛び乗った。


 大貴族である自分が護衛に騎士数名を付けただけで敵味方が対峙する戦場のど真ん中を走っている。何か罠でも仕掛けられたらひとたまりもないだろう。


 そういえば、同行する伯爵どのは昔はもっとふくよかではなかったか。和平交渉が始まってから二十キロくらい痩せたようだ。


 ……私もそうなる前に話をまとめたいところだな。


 仮設テントが見えてきた。馬が繋がれているところから、どうやら向こうの使者は既に到着しているようだ。


 あまり待たせては悪印象だ。ベオウルフは手綱を握り締め馬を急がせた。戦場で鍛えたその馬術に、伯爵も騎士たちも付いていくのが精一杯であった。




 テントの中でベオウルフたちを出迎えたのは二十代後半の精悍な男であった。


 薄く焼けた肌、無駄なく引き締まった体つき。かなり武芸を修めていると一目でわかった。ついでに言えばルックスもイケメンだ。ベオウルフは得に理由は無いがこいつをブン殴りたくなっていた。


「第二王子、アルサメス様です」


 伯爵が背後から囁いて教えてくれた。


「そうか、殴っちゃダメなのか」


「王子じゃなくてもダメです」


 王国側はベオウルフと伯爵、蛮族側はアルサメス王子と秘書官。そしてテントの中にはもう一人、他国の貴族らしき男がいた。


「ああ、私の事はお気になさらず。不細工な置物とでも思ってください」


 眠そうな顔をした貴族が言った。


 アルサメスが見届け人として呼んだようだ。ここで闇討ちをしたり、宝を持ち逃げするような卑怯な振る舞いをすれば、たちまち大陸中に広まるという事か。なんとも厄介な置物である。


「では、お互いの贈答品を確認しましょう」


 アルサメスが爽やかな笑顔を浮かべて言った。女ならばときめくかもしれないが、男が見ても苛立つだけだ。それともこいつはわざとやっているのだろうか。


 もう相手が何をしても気に入らないベオウルフであった。


「ぬっ……」


 テーブルに置かれた宝石、『覇王の瞳』を見てベオウルフは思わず唸った。こぶし大のピンクダイヤモンド、伯爵の言葉に嘘も誇張もなかったのだ。


 なんと美しく巨大な宝石であろうか。まさに至宝と呼ぶに相応しい。それだけに疑問が浮かび上がって来た。


 ……若い添い寝係が欲しいだけで手放すような代物か?


 それは絶対にない。この贈り物外交というフィールドで奴らは一枚も二枚も上手だ。この宝石以上の成果を期待しての婚姻なのだろう。


 姫様の立場を徹底的に利用し、しゃぶり尽くすつもりだ。あるいは何らかの手段で宝石を取り戻す事まで視野に入れているかもしれない。


 やはり姫様を渡すべきではない。決意を新たにするベオウルフであった。


「我々はこのような物を用意させていただきました」


 ベオウルフが鬼哭刀を差し出すとアルサメスは少し意外そうな顔をしていた。事前に宝石を見せてやったというのに、それに匹敵するような物を用意出来たのかと。


「ここで抜いても?」


「どうぞ、ご存分に」


 鬼哭刀を抜いたアルサメスの眼が驚愕に見開かれた。


 このような形の剣は見たことがない。細く、軽く鋭く美しかった。


 さらに気になるのが刻まれた古代文字が五字。これはよほど剣の出来が良く、そして超一流の付呪術師が手掛けなければ出来ない奇跡の逸品だ。


「この刀の名は、鬼哭刀と言います」


「カタナ、キコクトー……。そうですか、この形の剣をカタナと呼ぶのですか」


 欲しい、アルサメスの眼が玩具を見つめる少年のように輝いていた。。


 もうひと押しでいけるかと、ベオウルフはさらに言った。


「この刀の真価は振ってこそわかります。鬼が哭く刀、ご堪能ください」


「ならば外に出ましょうか」


 アルサメス、ベオウルフ、その他の者たちもぞろぞろとテントの外に出た。


 両陣営の護衛たちが何事かと集まって来て、成り行きを見守っていた。


 人々の輪の中心に立ったアルサメスが刀を抜き、大きく振りかぶった。


 体幹のブレがない、綺麗な構えだ。どうやら顔がいいだけで筋肉は見かけ倒し、なんて事はないようだ。なんとなく面白くないベオウルフであった。


 振り下ろし、風が鳴いた。


「なんだ、これは……?」


 アルサメスは刀と己の手を見比べながら呟いた。


 風切り音と呼ぶにはあまりにも美しすぎる精霊の歌声。素振りではない、空を斬ったという不思議な手応え。これが名刀をという物か、とアルサメスは感動にうち震えていた。


 アルサメスはベオウルフたちを誘ってまたテントに戻った。


 残された騎士たちは顔を見合わせるが、何があったのかさっぱりわからなかった。敵方にも聞いてみるが、やはり首を傾げるしかなかった。




「このキコクトー、大変素晴らしい刀です。しかし……」


 戻るなりそう言い出したアルサメスの口調はどこか寂しげでもあった。


「覇王の瞳には一段劣る、そうは思いませんか 」


 役目とはいえ、こんなにも素晴らしい刀を下に見るような事を言わねばならない。それが彼には悲しかった。


 芸術に点数を付ける事は出来ない。それでもなんとなく感じる圧やオーラのようなものがある。また、それを感じられぬようでは大事な場面での目利きなど出来はしない。


 ベオウルフも総合力では鬼哭刀が少しだけ負けていると感じていた。見届け人もいる中で、これで釣り合っていると押し切ることも難しい。


 しかし、ここまでは想定内だ。


「ならばこうしましょう。正式な調印式の日までに、貴方が望む形の刀を作ります。我々が抱える職人の腕は今お見せした通りです」


「ふぅむ……」


 アルサメスは悩んだ。品質が鬼哭刀と同等かそれ以上という条件付きではあるが、専用の刀を作ってもらえるという付加価値があれば覇王の瞳と釣り合うかもしれない。


 王女を手に入れる事が出来ないのは残念だが、アルサメスは刀の魅力にも取りつかれ抗い難かった。


「では、我が王に相応しい刀を作っていただきたい。キコクトーは素敵なカタナでしたが、少々軽すぎました」


 ベオウルフは黙って頷いた。あの刀は貧弱伯爵の為に作られたものだ、軽すぎるという不満はベオウルフも感じていた。


 王の身長は天を突く程に高く、筋骨隆々との事だ。鬼哭刀とはまったく逆のコンセプトで、一撃で何もかも砕くような豪刀が欲しいと注文された。


「私たちの国では、王は太陽の化身と考えています」


 アルサメスの言葉に、ベオウルフは心の中で舌打ちした。


 ……野蛮人め。人は神にはなれぬのだ。


 宗教観が違いすぎる。やはり彼らを理解するのも仲良くなるのも難しそうだ。


「そんな王に相応しい属性を付与して欲しいのです。天、つまりは光属性を。キコクトーより劣ってはならないので当然五文字で。可能ですか?」


「お任せください。我が職人たちに命じて、最高の逸品をお渡ししましょう」


 したくもない握手を交わし、次は調印式でお会いしましょうと言って別れた。


 ここでベオウルフはひとつのミスを犯した。


 火、風、水、土の四大元素に比べて光属性の付与は恐ろしく繊細で難しいのである。作成難易度は鬼哭刀よりもさらに跳ね上がった。実現可能かどうかも疑わしい。


 大貴族であるベオウルフに、職人の細かい事情まで知っておけというのは無茶な話であった。


 これはアルサメスの仕掛けた最後の罠だった。最高の刀が手に入ればそれで良し。出来なければ王女を手に入れる。


 テントの中でアルサメスはほくそ笑んでいた。いつか全てを奪ってやる。あの刀も含めて、全てだ。

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