第31話 鉄と共に生き
「いいですよ」
ルッツの返答は実にあっさりとしたものであった。あまりにもあっさりとしすぎていて、本当に話を理解しているのかどうか不安になるくらいであった。
今、ルッツの工房にはゲルハルトとボルビス、ルッツとクラウディアの四人が揃っていた。
「ルッツどの、本当によろしいのか。この取引は独自の技術を流出させることにもなりかねないが」
ゲルハルトが不安げに聞くと、ルッツは手をひらひらと振って笑って見せた。
「話を持ちかけた側がそんな事言い出してどうするんですか」
「それはまあ、そうだが……」
「独自の技術なんか持っていても、城壁内で商売出来ない身ですから独占することにあまり意味が無いんですよね。それと……」
「何だろうか」
「刀の作り方が広まったところで俺が一番であることに変わりはありませんから」
と、ルッツは堂々と言ってのけた。
そこに傲慢さは感じられない。あるのは実績に裏打ちされた自信のみである。
「どうか、よろしくお願いいたします」
ボルビスが頭を下げて、ルッツも深く頷いた。
こうしてルッツたちは鍛冶場へ行き、そこで解説付きで刀作りを実践して見せた。
熱した玉鋼を叩いて平たい板にして、それを小割にする。割った板を積み重ねてまた赤々と熱し、一つの塊とする。叩いて不純物を弾き出しながらたがねで切れ目を入れて折り返し、また叩く。
……ボルビスには見るもの全てが新鮮であった。目の前で鉄に命が吹き込まれていく。こうして他人の仕事をじっくり見るというのも何年ぶりだろうか。
解説しながら、そして見られながらの作業であまり集中出来ず、仕上がった刀はそこそこの物であった。
それでも新しい技術との出会いにボルビスは満足していた。
後日、ボルビスの工房にルッツを招き、洋剣の製作を実践して見せて技術交流は終了した。
「どうだ、参考になったか?」
ゲルハルトが聞くと、ボルビスは眼を妖しく光らせて答えた。
「面白い、実に面白い技術だ。職人の人生は退屈などしている暇はないものだな」
「そうだな。ただ良い物と出会えず
「それもきっと必要な期間だったのさ。燻った後に激しく燃えるためのな。遠回りだったかもしれない、だが無駄な事など何も無かった。俺は今、天と地と神と俺とで一つになっていると感じているよ!」
興奮しすぎてテンションがおかしい。こういう時のボルビスを下手に刺激してはいけないと、ゲルハルトは経験から黙っていることにした。
「それにしてもあの若いの、作り方を教えたってどうせ自分が一番だとは言ってくれるじゃないか」
「……まあ、実際に名刀を作り続けてきたわけだからな。自信過剰は見苦しいが、実力に見合ったものならばそれは威厳と言うのだ」
「なんだよ、若い奴を誉めちぎりやがって。もっとジジイらしく嫌みの一つも言ったらどうだ。最近の若い者は、とかさ」
「わしは若い連中の事、結構好きだからな。未来を繋いでくれる愛しい存在だぞ」
「俺も弟子をしっかり育てていりゃあ、そんな台詞が吐けたのかねえ。親方職を譲りはしたものの、別にあいつは可愛くも何ともねえや」
「酷い師匠がいたもんだ」
ゲルハルトは肩を揺すって笑い、ボルビスも釣られて笑い出した。
「……歳くってからもやりたい事が次から次へと溢れて来る。多分、俺は幸せなんだろうな」
そう語るボルビスの横顔に寂しげな陰が落ちたように見えた。口にしてしまえばそれが現実になるような気がして、ゲルハルトは何も言えなかった。
それからしばらくボルビスは工房に籠り続けた。
鍛冶場の設備に手を加え、刀作成にも対応できるようにした。
一本目、ただの鉄の塊にしかならなかった。
二本目、鉄の棒が出来ただけだった。
三本目、形にはなったが焼き入れに失敗し刀身がひび割れてしまった。
わからない事があればすぐにルッツの所へ聞きに行った。ボルビスの熱意に圧されたか、ルッツも答えられる事は惜し気もなく教えてやった。
四本目、決して出来が良いとは言えないが、初めて刀を作り上げることが出来た。
確かに刀作成の経験ではルッツに遠く及ばない。しかし、自分には何十年も鉄に触れ続けて来た経験がある。ルッツと同じものは出来ないだろう。だが自分の持ち味を生かした刀は作れるはずだ。
五本目の作成に取りかかった。鉄を打つ呼吸というものがわかってきた。
飛び散る火花に心奪われ、恍惚とした空間で、これは傑作が出来上がるという予感が沸いてきた。この瞬間こそ、一流の職人だけが感じられる愉悦である。
早く傑作が見たい、名刀に出会いたい。そんな思いで
「ぐっ、うぅ……ッ!」
突如、心臓を貫くような激痛が走りボルビスは胸を押さえてうずくまった。
……大丈夫、大丈夫だ。こうして大人しくしていれば痛みはやがて引いていくはずだ。しかし今日に限ってなかなか治まらず、痛みが心臓を抉り続けた。
「ごふ、ごほ……ッ」
激しく、何度も咳き込む。大きく咳をした拍子に、ビリィと胸の中で何かが破けるような感覚があった。
右手を見ると、吐血でべったりと塗れていた。
自分はもう死ぬのだ、それがはっきりとわかった。しかし何故今なのだ。
まだ人生最高の一振りを作り上げてはいない。やりたい事を見つけたばかりではないか。
「神よ、どうか俺の人生を否定しないでください。もう少し、もう少しだけ時間を……ッ」
いや、時間ならば十分にあったのではないか。親方としてその地位にしがみついていた、無駄な時間を過ごしていた罰がこれなのか。
悔しさと苦しさに涙を滲ませながら、床に転がった刀に手を伸ばす。
作りかけの刀に指先が触れた瞬間、全てを理解した。
違う、これで完成なのだ。自分は何事も成せずに死ぬわけではない、役目を終えて去るだけなのだと。
「ゲルハルト、ルッツどの、後は頼む。これが俺たちの求めた、せい、け……」
どさり、とボルビスの老体が崩れ落ちた。死に顔に痛みも後悔もなく、満足げな笑みだけが浮かんでいた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます