第30話 活路
人生何事も初めてというものがある。
ジョセルは短剣を使った付呪術の実践訓練を始めていた。
一本目は流れる魔力が強すぎて刃が砕けてしまった。高価な短剣も宝石もゴミになってしまったが師であるゲルハルトは少しも怒りはしなかった。
それどころか指差してゲラゲラと笑っていた。
「それそれ、その失敗な。最初は誰でもやるんだよ」
と言って、短剣と宝石であったものを屑箱に放り込んだ。少々芝居がかっているようにも見えたが、これも付呪術師がいちいち損害を気にしたりするなという師の教えの一環なのだろう。
金額いくらの宝石であったとしても、儀式が終わればただのゴミだ。
二本目は流す魔力量が少な過ぎて、刻んだ文字がぼんやり光るだけの短剣が出来上がった。
ゲルハルトは少し不機嫌な様子で、
「ビビるな。怯えて縮こまったらその程度の付呪術師にしかなれんぞ」
と厳しく言った。
今、三本目が出来上がりゲルハルトは布の切れ端に短剣を押し付けていた。
五秒、六秒、七秒。ボッと小さな音がして火が着いた。
「おっとと……」
ゲルハルトは慌てて布を振って火を消した。そしてニィっと満面の笑顔をジョセルに向けた。
「やりおったな、ジョセル。火属性の短剣の出来上がりだ」
「はい、ありがとうございますお師様! もっとも、火が着くのがこうも遅くては戦闘に使えそうもありませんが……」
「簡単に火を着けられる道具というのは便利なものだ。欲しがる冒険者はいくらでもおるぞ。汎用性の高さでは火が一番だ」
「そこまで見越しての火属性付与でございましたか」
「相場は金貨三枚くらいかな」
「はい! ……あれ?」
短剣の仕入れが金貨一枚。宝石や水銀などの材料費が金貨二枚。上手くいったところでトントンであり、儲けが出なかった。
ジョセルの拍子抜けしたような顔から言いたい事を察したゲルハルトは豪快に笑って見せた。
「はっはっは。付呪術で儲けようとすれば、もう二つ三つカラクリを挟む必要があるのだ」
「カラクリ、ですか」
「仕入れの仕方とか、商人との付き合い方とかな。今はそんな事を考えずともよろしい。まずは短剣の一字刻みを確実に成功させるようになれ」
「はい、お師様」
「今日はこの辺にしておこう、帰って良いぞ。わしはこの後、客を迎えねばならぬのでな。別にこちらから呼んだ訳ではないが……」
心底面倒である。ゲルハルトの表情がそれを雄弁に語っていた。
「悪いな、
「まったくだ。儲け話以外で人の手を
ボルビスはまったく悪びれぬ顔で言い、ゲルハルトも遠慮なく言い返した。
硬い干し肉をツマミにビールを
「それにしても、随分とあっさり親方職を手放したものじゃないか」
「……固執し過ぎたんだ。本来ならもっと早くに譲っても良かった」
親方になれば何でも自由に行える。だから親方を目指していたというのに、いざ親方となればその地位を守ることだけが仕事のようになっていた。
十年、まるで成長していない。それを仲間から指摘され、自分自身も認めてしまったのではもう親方ではいられなかった。
この肩書きは自分にとって足枷でしかなかったのだ。
「鍛治場の一つを自由に使わせろって条件でな、弟子に工房を譲ってやった訳だ」
「そりゃまた、弟子には迷惑な話だ」
と、笑いながらゲルハルトはビールを呷る。ボルビスもジョッキに口を付けるが、あまり減ってはいなかった。
「で、今度はどんな面倒事を頼むつもりだ?」
ゲルハルトが目を細めて聞くと、ボルビスは少し困ったような顔で答えた。
「ルッツという男を紹介してもらいたい」
「ルッツどのを、何でだ?」
ゲルハルトは警戒心を表に出した。
ルッツは最高の武器を作り出すために絶対必要な人材である。それを鍛冶ギルドに身柄を確保される、あるいは危害を加えられたのではたまったものではない。
「待て、もう同業者組合は何も関係はない。俺が個人的に教えを請いたいだけなのだ」
「いきなり押し掛けて技術を教えてもらえるとでも?」
「代わりに俺の持つ技術の全てを教えよう。それならば少しは興味を持ってもらえるんじゃあないかな」
ルッツが刀製作の技術をどのように学んだかは知らないが、正規の修行を受けた訳ではないだろう。この国の剣作成技術が学べるとなれば食いつく可能性は十分にあった。
「……わかった。ダメで元々、一度頼んでみようかい」
「もうちょっと勇ましい言葉が聞きたいもんだな」
「一応言っておくが、ルッツどのはかなり若いぞ。今さら若造に頭を下げて、教えて下さいとお願いできるか?」
「それこそ今さら、だ。俺たちの人生はずっとそんな事の繰り返しだろう」
二人とも職人の世界に入ったのが二十半ばを過ぎての事である。年下の先輩に怒鳴られ、殴られとしながら修行に耐えてきた。それが彼らの原点だ。
……もっとも、あまりいじめが酷いようなら路地裏に呼び出して『お話』などもしていたのだが。
「そうだな、それだけの覚悟があるならもう何も言わん。わしも一緒に行って頼んでやる」
「助かる」
二人はしばし、黙って酒を飲み続けた。やがてゲルハルトはふと思い付いたように言った。
「この一件が落ち着いたら、あいつらの墓参りにでも行ってみないか」
あいつらというのが、四十年も前に死なせてしまった仲間たちの事だと理解するのに、ボルビスは数秒の時を要した。
「あいつらの墓なんて無いだろ。まさか迷宮の最深部に行って花でも供えようってのか」
「そのまさかだよ」
あまりにも馬鹿げた話だ。冒険者を引退して四十年、歳を重ねて六十半ば。昼飯に誘うような気楽さで凶悪な魔物が
常識的に考えればあり得ない話だが、今のボルビスにはどこか魅力的にも感じられた。様々な挑戦をすることが、たまらなく楽しいのだ。
「いっその事、自作の武器を宝箱に入れてくるか。青銅の剣より喜ばれるだろ」
「あんまり良すぎる物を作るなよ。手放すのが惜しくなるからな」
二人は顔を見合わせ、ゲラゲラと笑っていた。
あの日に戻ったような、楽しい一夜であった。
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