第32話 鉄を抱いて倒れ

 ボルビスの葬儀が終わると、ゲルハルトはそのままルッツの工房へと向かった。


 テーブルの上に置かれた作りかけの刀にルッツは首を傾げる。


「これは?」


「奴は刀を打っている最中に死んだ。別に捨ててしまっても良かったのだが、あの野郎はこいつを大事そうに抱いて倒れていたそうでな。なんとなく気になって、貰って来てしまったのだよ」


「ボルビスさんの工房の方々からは何か言われなかったのですか」


 ルッツが聞くと、ゲルハルトはつまらなさそうに鼻をフンと鳴らした。


「処分してくれるならば大歓迎、といった態度だったな。前の親方の匂いなどさっさと消して、工房を自分色に染めたいのだろう。後継者の心理とはそうしたものだ」


「それは、なんとも……」


 眉間に皺を寄せるルッツに、ゲルハルトは首を横に振って見せた。


「工房の連中が特別冷たいなどとは思わんでくれ。はたから見る限り、ボルビスの奴も良い親方ではなかった。ろくに物を教えずこき使っていただけなら、そりゃあ人望も得られまい。上手くきずなを育めなかった、これはその結果だ」


「ゲルハルトさんがこうして作りかけの刀を保護したのも、ボルビスさんの生き方の結果ですか」


「……そうだな。わしにとっては良い友人であった。いや、思えば面倒事ばかり押し付けられていたような気もするが、まあ良い友人だったのかな」


 微笑みながら何度も頷くゲルハルトを見て、本当に良い友人だったのだろうと確信するルッツであった。


「それで今日はルッツどのに頼みがあって来たのだ」


「この刀を完成させろ、と?」


「話が速くて助かる。やれるだろうか?」


「もう八割方出来ていますね。後は焼き入れと研ぎが残っているだけです。刀の良し悪しは結局、研いでみないとわからない所があるのでまだ何とも言えません。仕上げ代は金貨一枚、いかがですか」


 ゲルハルトは財布から金貨を取り出し、パチリと音を立ててテーブルに置いた。名刀かなまくらかもわからない刀の仕上げの為に、迷う事もなく。


「明日の昼過ぎには仕上げておきます」


 ルッツは金貨をポケットにしまい、刀を手にして鍛冶場に向かった。ゲルハルトも勝手知ったる他人の家とばかりに、案内も受けずにそのまま帰った。


 ボルビスという男の思い出話などをしようとは思わなかった。あの刀に全ての答えがある、職人同士の会話などそれでいい。




 刀身に土を盛る。刃の部分には薄く、峰の部分には厚くといったように違いを付ければ、炉に入れた時に刀身へ伝わる温度も違ってくる。


 この温度差が刀身に反りを生み、刃紋はもんを浮き上がらせるのだ。


 土を盛った刀身を七百度近い炉に入れて、十分に熱した後に水に浸ける。刀に強度を付けるために必要な工程であり、下手をすれば刃が割れてしまうため、経験とカンが必要な作業であった。


 それをルッツは無事にやってのけた。ここで刀を破壊してはボルビスにもゲルハルトにも合わせる顔が無い。


「第一段階、突破だな……」


 ルッツは台所へ向かい、湯冷まし水をむさぼるように飲んだ。熱と緊張で喉が乾ききっており、二リットル近く飲んでようやく落ち着いた。


 気を静めてから研ぎに入った。


 濡らした荒砥あらとの上で刀を前後に擦った。刃紋が浮き出て輝きが増していく。


 ……ひょっとして、これはかなりの名刀なのではなかろうか。老人たちのノスタルジーに付き合うつもりで受けた仕事だが、風向きが変わってきた。


 ボルビスは刀作りに関しては初心者である。しかし、武器製作という意味ではルッツよりもずっと大ベテランであった。そうした彼の経歴が、無骨なれど名刀という形で表現されたのか。


 荒砥から目の細かい砥石に切り替え、また研いでいく。


 芸術的な美しさは無い。イメージとしては正に鉄塊。刀の形をした斧。こいつを振り下ろせばなんだって斬れる、そう思わせる力強い刀であった。




「これがあいつの打った刀か……」


 ゲルハルトは出来上がった刀を前に染々しみじみと呟いた。未完成の鉄棒をここまで立派に仕上げてくれたルッツの腕に改めて感心し、感謝もしていた。


「気に入った、銘も付けてくれぬか」


 正面に座るルッツ、ではなくその隣のクラウディアに語りかけた。


「私が付けてよろしいのですか。ボルビスさんという人の事をあまり知りませんが」


 と、クラウディアが遠慮がちに聞いた。


「刀をぱっと見て、思い付いたような名前で良い」


 ゲルハルトは名前を考えるのはあまり得意ではなく、ルッツに至ってはネーミングセンスを母親の腹の中に置き忘れたのかと思えるほど壊滅的である。今までの経験からクラウディアならば信用できた。


「それでは……」


 クラウディアは刀を手に取った。ずしり、と手の中に重さが伝わってくる。鈍く光る刀身をしばらく眺め、そして思い付いた。


一鉄いってつ、という名はどうでしょう」


「ふむ、どういった意味かな」


「ただひたすら鉄の持つ力を追い求めた、そうした刀であると」


 鉄と共に生きた、あいつの人生をそう評してくれるのか。ゲルハルトに異存は無い。一鉄、それがあいつの墓碑銘だ。


 その後、ルッツに『一鉄、ボルビス』と銘を刻んで貰ってから工房を後にした。




 刀には切れ味強化の魔法を刻んだ。質実剛健こそがこの刀の本質であると考え、属性付与などあまり余計なことをしたくなかったからだ。


 鞘や柄もルッツに頼んだ地味なものである。


 ゲルハルトはこの刀を己の佩刀はいとうとして持ち歩いていたが、正直なところ少し重い。茎尻なかごじりを削って少し短くしようとも思ったが、それをやるとなんだかボルビスに負けたような気がしてやらなかった。


「おっ、やっぱりジジイには重すぎたか」


 などと言ってにやにやと笑うボルビスの顔が容易に想像できた。


 こうなったら自分の身体を刀に合わせるしかない。ゲルハルトは半ばムキになって身体を鍛え直していた。現役の冒険者時代はこれくらいの重さの剣を振っていたはずだ、ならば今出来ない道理はない。


 パンとワインと干し肉をバスケットに入れて、森に出掛けて刀を振るった。


 一日目は少し素振りしただけで全身が痛くなったものだが、二日、三日と繰り返すうちに身体が馴染んできた。


 自分の身体がまだ冒険者であったことを忘れていない、それが少しだけ嬉しくもあった。


 ある日、森の中を歩いていると大きな岩を見つけた。普段ならば何て事の無い、ただの岩である。邪魔ならば迂回すれば良いだけの話だ。


 ……これ、斬れるんじゃないか。


 魔が差したと言うのか、ふとおかしな事を考えてしまった。刀というのは岩を斬るための道具ではない。こんな物を叩けば刃が欠けるか、最悪の場合二つに折れてしまうだろう。


 岩を砕きたければ隙間にくさびを打ち込んでハンマーで叩くか、焚き火で十分に熱してから水をかけて温度差で割るなど、それくらい大がかりな作業が必要なのだ。刀でスパッと斬れるようなものではない。


 無理だ、無謀だ、無意味だ。頭ではわかっているのにゲルハルトは刀を抜いて上段に構え、じりじりと大岩へにじり寄った。


「仕方がないだろう、やれそうな気がしちゃったんだからさ……」


 言い訳にもなっていない言い訳を口にしながらゲルハルトは岩をじっと見ていた。


 やがて岩の弱点、脆い部分が見えてきた。ここを打てば斬れるのではないか。


「てぇいッ!」


 気合一閃。ゲルハルトは刀を振り下ろし、それから数歩引いた。岩は見事に割られ、刀は刃こぼれひとつしていなかった。


「これが俺たちの聖剣だ。なあ、ボルビス……」


 老剣士の呟きに答える者はおらず、ただ木々のざわめきだけが聞こえていた。


 四十年追い求めた、その答えが手の中にある。

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