第10話 楽園の扉

 目を覚ますと既に日が暮れていた。


 ベッドが狭い。隣に目をやると、小さく寝息を立てるクラウディアがいた。


 ルッツは立ち上がり掛け布団と呼ぶのもはばかられる薄い布を剥がすと、白い裸身が薄闇の中に浮かび上がった。


 比べるのもおかしな話であるが、刀に勝るとも劣らぬ美しい身体であった。特に尻が良い。


 クラウディアの尻を撫で回すと、滑らかでありながら吸い付くような不思議な肌触りであった。撫でているだけで一日潰せそうだと本気で考えながら撫で、顔を埋め、舌を這わせた。


 尻が、いや、クラウディアの身体が起き上がった。お前は何をしているのだと、その冷たい視線が語っていた。


「ルッツくんは本当に私のお尻が好きだねえ」


「国宝に申請したいくらいだ」


「受理されたら君だけのお尻ではいられなくなるよ」


「それは困るな。止めておこう」


 クラウディアは散らばった衣服を拾い集め着替え始める。その様子をルッツは名残惜しそうに眺めていた。


「そんな残念な顔をしないでくれたまえ。君が求めればいつでも応じるし、求められていなくてもこっちから押し倒す」


「素晴らしいな、実に良い。ただベッドが狭いことだけは問題だな」


「隣の部屋からベッドを持ってきて繋げて使おう。私は食事の準備をしているのでルッツくん、やっておいてくれたまえ」


「わかった」


 ベッドと言っても木枠を組んだだけの簡素なものである。刀鍛冶で鍛えたルッツには造作もないことであった。


「ああ、それと……」


「なんだろうか」


「いい加減、それをしまいたまえよ。男にも女にも良きものだが、晒しっぱなしではありがたみが薄れるぞ」


 と言って、クラウディアはひらひらと手を振りながら部屋を出た。


 ルッツは苦笑いを浮かべながら衣服を拾い集めた。ここまで深い仲になっていながら、変わらぬものもある。それが少し嬉しくもあった。




 翌日、ルッツとクラウディアは揃って騎士団の詰め所にやって来た。


「ただ商品を納めて金を受け取るだけなんだが……」


 と、クラウディアは言うが、


「刀を差して不機嫌な面をした男が後ろに控えていた方が話も通じやすかろう。口出しはしない、腕組んで黙っているよ」


 と言って半ば強引に付いてきた。


 先日、クラウディアが牢獄でどんな思いをしてきたか聞いたばかりである。一人で行かせるのは気が引けた。


 今さら奴らがクラウディアに危害を加えるとも思えないが、それでも気分の良いものではないだろう。


「意外に過保護な奴だな君は」


 などと言いつつ、安心もしているクラウディアであった。


「こんちわ! ご注文の品を届けにまいりました!」


 元気よく詰め所に入るクラウディア。相変わらず騎士団の詰め所と言うよりも安酒場のような雰囲気だ。


 テーブルの一つに近づき短刀を並べた。集まってくる騎士たち。クラウディアは相手の名前を確認しながらこれはあなたに、こっちはあなたのと渡していった。


 短刀を抜き、それぞれの口から感嘆の声が漏れる。


 あの妖刀ほどではないが、実に美しい刀身であった。むしろ妖刀と同じでは困るのでこれくらいが丁度いい。


  軽く振ってみると重量のバランスもよく、手に馴染む。今まで使っていたナイフが出来の悪い玩具のようにすら思えてきた。


 早く誰かを刺してみたいと言い出して笑いが起きたが、どこまでが冗談だったのか怪しいところだ。


 そんな中、一人が値下げをしろと言い出した。


 さやが地味である、伊達男オシャレボーイが提げるに相応しからず彫刻をし直す必要がある。これは欠陥品だと言うのだ。


 恫喝どうかつに近い抗議をする騎士。こうした手合いには慣れているのか、クラウディアは怯えたりはしていないが酷くうんざりとした表情であった。


 ドアの付近で待機していたルッツがずかずかと歩み寄り、男の手から短刀を奪い取った。


「貴様との取引は中止だ」


「なんだと、勝手なことをぬかすな!」


「勝手、勝手ときたか、ふん。俺はな、ハッキリ言ってこの短刀は気合いを入れ過ぎて作った。銀八十どころか金貨五枚の価値がある。だが俺たちはこれを銀貨八十枚で売りに来た、最初からそういう約束だったからだ。それが商売の誠実さというものだろう」


 文句を付けてきた男から視線を外さぬまま、ルッツは短刀をクラウディアに投げ渡した。


「しかし何だ貴様は。短刀の価値を認めるどころか今になって銀六十にしろだと。ふざけやがって。目玉も根性も腐りきった奴にこの短剣は不要だろう」


「ああ? さっきから黙って聞いてりゃ舐めたこと抜かしやがって! 鞘が地味なのは事実だろうが、図星を突かれて逆ギレかコラ!」


「刀に彫刻をしろとか金銀宝石を散りばめろなんて注文をしたか?」


「それくらいやっておくのが常識だろうが!」


「常識っていうのはな、馬鹿の寝言を正当化するための言葉じゃないんだよ」


 男は剣に手をかけて、ルッツは刀の柄に手を伸ばした。いつでも抜いて斬りかかれる、険悪にして剣呑な空気が張り詰めた。


 ルッツは雑魚一匹を叩き斬る自信はある。しかしここは敵地でありクラウディアも守らねばならない。


 男はルッツの殺気に圧され、自分は勝てるだろうかと自信が揺らいでいた。しかし仲間の手前、ここで引き下がるわけにはいかなかった。


「まいどぉ」


 クラウディアの間延びした声が聞こえた。風船から空気が漏れるように男とルッツから殺気が抜けて、振り向くと他の騎士がクラウディアに銀貨を渡していた。


 きっちり八十枚、掛ける四。取引成立である。


 ルッツたちが言い争う裏でこんな会話があった。


「金貨五枚の価値って、マジ?」


「マジマジ、大マジですとも。いやあ、久々の大仕事で彼ってば張り切り過ぎちゃいましてね。どうですかこの美しい刃紋。叩いて重ねてを何度も繰り返して、火入れも完璧にしないとこうもくっきりと浮かび上がりませんよ」


「むぅ……」


 クレームを付けた男に任せておけば全員分を値下げ出来るかとしれないと口を挟まなかったのだが、こうなってはむしろ取り引きの機会を逃してはならぬと一人、また一人と素直に金を払い出した。


 クレーマー男は梯子はしごを外されたようなものである。


「おい、俺がまだ交渉中だろうが!」


「お前はお前で勝手にやってろよ。俺たちの分まで取り引き中止にされたらたまらんぜ」


 言い争いの矛先が代わり、騎士同士が襟首を掴んで唾を飛ばして怒鳴りあっていた頃、ルッツとクラウディアの姿は既に消えていた。




 詰め所から二人並んで街道を通って帰る。これも二度目である。あの時よりも少し距離が近い。


「……すまない、結局口出ししてしまった」


「ま、いいさ。あまり長いお付き合いをしたい客でもないからねえ」


 詫びるルッツ、力なく笑うクラウディア。確かにまとまった金額は手に入ったが、毎度毎度この騒ぎには付き合っていられない。どこかで破綻もするだろう。


「ところで余ったこれはどうするかねえ」


 クラウディアが振って見せたのは騎士から取り上げた短刀だ。銀貨八十枚の取引が台無しになったが、あそこで値下げしてしまうことこそ悪手だと、クラウディアはさほど気にしてはいなかった。


「いっそのことクラウディアの護身用に……」


 とルッツが言いかけたところで、


「おおい、待ってくれ!」


 後ろから声をかけられた。


 詰め所に居た騎士だ。ルッツはクラウディアを守るように、ずいと斜め前に出た。


 よく見ればその男は短剣を注文した者たちではなく、取引をご破算にした男でもない。はて何事であろうかとルッツたちは不審に思いながらも話を聞くことにした。


「一本余っただろう。それを売ってくれよ」


 よほど急いで来たのか、男は息を荒く吐きながら言った。


「金貨五枚はさすがに出せないけど……」


 男は重そうな革袋を差し出した。銀貨百枚くらいはありそうだ。


 ルッツはクラウディアと顔を見合わせてから、首をすくめてみせた。任せる、好きにしろ。そういった意味だ。


「お値段変わらず、銀貨八十枚でお売りしましょう。見る目のあるお客さんは大歓迎ですよ!」


 クラウディアは営業スマイルを張り付けながら短刀を差し出し、男の革袋から手慣れた様子で銀貨八十枚きっちりを取り出した。まるで手品でも見ているかのような鮮やかさだ。


 男は鞘から抜いて刀身の輝きを確かめてにやりと笑った。仲間たちが持っているのを見て羨ましくなり、居ても立ってもいられなくなって追いかけてきたようだ。


 ありがとよ、とだけ言って去る騎士を見送り、ルッツたちはまた歩き出した。


「まあ、喜んでもらえたようで何よりだ……」


 クラウディアに懐刀としてプレゼントしようとした矢先の出来事である。売れたのは結構な事だとしても、なんとなく複雑な気分のルッツであった。


「ルッツくん、私に何かをくれるなら、もののついでではなく最初から私の為に作っておくれよ」


 クラウディアは銀貨をルッツに渡しながら言った。計四百枚ともなれば銀貨も相当な重さである。


「手作りのプレゼントとはなんともロマンティックじゃないか。そういうのに女心はぐっと揺れるものだよ」


「女に手作りの刀をプレゼントする奴なんて、そうそう居ないと思うが…… 」


「オンリーワンだねえ!」


 すっかりテンションの上がりきったクラウディア。ルッツとしても、作ってやってもいいかなという気になっていた。それで喜んでもらえるならば良い事だ。


「あいつらの短刀が羨ましくなったか?」


「ドブ川野郎どもが名工ルッツの作を持っているのに、私が何も持っていないのはおかしいだろう。惚れた女を守るのに相応しい逸品を打ってくれたまえよ!」


「自分で言うかね」


「ふふん、君も否定はしないのだな」


「まったく……」


 クラウディアの強引さに呆れつつ、どのような刀を作るか頭のなかで組み立てるルッツであった。


 その頃、街中では勇者が帰還したという噂が流れていたのだがルッツたちには関係のない話であった。


 少なくとも、この時点では。

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