第9話 誓い

 少しだけ傾いたテーブルに乗せられた五本の短刀。


 クラウディアはそのうちの一本を拾い黒塗りのさやを掴んだ。


「これを抜いたら自害したくなるとか、そんなことはないだろうね」


 いたずらっぽい笑みを浮かべて向かい側に座るルッツへ話しかけた。


「あんな妖しげな刀がそうぽんぽん作れてたまるか」


 ルッツが眉をひそめて答え、クラウディアは軽く頷いてから短刀を引き抜いた。


「むぅ……」


 見る者を唸らせる重厚な輝き。護身用のナイフとしてはやや重いが、それがかえって力強さを感じさせた。


 妖気のようなものは感じないが、持つ者に勇気を与えてくれそうな武器だ。


 しかし、クラウディアはどこか不服そうに言った。


「銀貨八十枚の価値ではないねぇ」


「……だろうな、いくらだ」


「金貨五枚は取れる」


 返す言葉もなく、ルッツはただ頭を掻いて黙るしかなかった。


 銀貨八十枚と言われれば銀貨八十枚の仕事に収める、これは重要なスキルである。


 むろん、品質の良い物を作るのは大事だが市場価格が五倍以上というのはやりすぎであった。鋼を鍛えるのも、研ぎ上げるのも一切妥協はしていない。


 鉄斧を納品した時は普通にそれなりの物を作っていた。刀鍛冶の師である父からは手抜きの仕方も教わっている。プライドが邪魔をして一切の手抜きが出来ない、などということはないのだ。それほど綺麗な生き方をしてきたわけではない。


 クラウディアは短刀の刃とルッツの顔を何度も見比べてから薄く笑った。


「そうかそうか、うん。私のためか」


「……さあな」


 クラウディアは言いがかりをつけて投獄したような相手の所に乗り込んで注文を取って来たのだ。ここで鉄屑やなまくら刀を渡しては彼女の顔に泥を塗ることになる。そうした事情が余計に、ルッツの気合いに繋がった部分はあったかもしれない。


鍛造たんぞうの刃はどうしたって出来不出来できふできがある。俺の手間が増えただけで、使った材料に変わりは無いから赤字にはならんだろ。……炭はちょっと多めに使ったかもしれないが、まあ許容範囲だ」


 鍛造たんぞうとは鉄を叩いて伸ばして折り返し、また叩くといった製法である。対して溶けた鉄を型に流し込む製法を鋳造ちゅうぞうと呼び、こちらの方が大量生産に向いているが強度は鍛造に比べて弱くなった。


 ちなみに、以前クラウディアに納めた斧は鋳造品を研ぎ上げたものであり、普段使いならばこれで十分である。


「そうかそうか、ふぅン……」


 クラウディアは笑いながら立ち上がり、ルッツの背後に回って細腕を首に巻き付けた。ルッツの耳を唇で愛撫するような形で囁く。


「なあルッツくん、君は私がどれだけ心細い想いをしていたか、よくわかっていないだろう」


「奴らに捕まっていた時の話か。わかる、とまでは言えないな……」


「薄暗い地下牢でさ、自分は何日かしたら騎士団のケダモノどもに凌辱され、その後は何処かに売り払われてよりひどい目に会わされるんだって、そんなことばかり考えていたよ。不安で、不安で押し潰されそうになって、呼吸が出来なくなったり胃液を吐いたりしていたさ」


 クラウディアの声は震えていた。


 下級貴族が市民を脅すなどよくあることだ。しかし、やられた当人はたまったものではない。


 よくあること、という諦めがどこか感覚を麻痺させてはいなかっただろうか。


 ルッツは金貨百枚相当の刀を投げ出してクラウディアを救った。だがクラウディアの気持ちを深く読み取ろうとしたかと言えば自信が無い。いつもの明るさが戻っていたからそれでよし、と考えていなかったか。


 深い、深い絶望の闇から救い出したルッツがクラウディアからどう見られているのか。そこを掘り下げようとはしていなかった。


「ルッツくん、私は君のことが好きだよ。だが、助けられたから惚れただなんて単純な話だとは思わないでくれ」


「ああ……」


 クラウディアはルッツの耳たぶを軽く舐めてから話を続けた。


「以前から君のことは憎からず想っていたよ。そして奴らに向かって刀を投げるのを見た時、ああ、この人は私のためにここまで出来るんだなって、そう感じたのさ。私が危機に陥ればいかなる犠牲を払ってでも助けてくれるのだろうなと」


 ルッツの首に回された腕に力がこもり、クラウディアは顔を伏せた。泣いているのかもしれない。ルッツは口を挟まなかった。


「君の家に押し掛けると言った時、さぞかし図々しい女だと思っただろうねえ」


「すまん、それは思った」


「まったくこのにぶちん男め。私は勇気を振り絞って言ったんだぞ、追い出されたらどうしようかとヒヤヒヤしていたもんさ」


 クラウディアは呆れたようにため息を吐いた。息がルッツの髪に当たってくすぐったいような、気持ち良いようなおかしな気分だ。


「以前から何度も言っただろう。君が、私のことを好きなんだって。私はその想いに応えるためにどうすればいいか、そんなことばかり考えていたさ」


 腕を解いてすっと離れるクラウディア。ルッツが振り向くと、クラウディアは優しげな笑みを浮かべながら羞恥で顔を赤くしていた。可愛らしい、というのがルッツの率直な感想である。


「金貨百枚を私の為に放り出した君が、渋い顔で小銭を数えているのを見るとものすごく興奮する」


「……それは聞きたくなかったな」


「いや失敬。私が言いたいのは、その……」


 と、少し口ごもってから続けた。


「そんな君に私の全てを捧げたい。全身全霊をかけて愛してあげたいと、そういうことなんだ」


「クラウディア……」


 本心ではあるが、やはり恥ずかしい。少し前までただの取引相手であり、悪友のようなものだったのだ。クラウディアは少し早口で話を進めた。


「君のためならば何でもしよう。無論、常識の範囲内でだが。何か私にして欲しい事はあるかい?」


 ルッツは立ち上がり、クラウディアの艶やかな瞳をじっと見つめた。もう、答えは決まっている。


「君を抱きたい。今すぐにだ」


 直球をぶつけられ、戸惑うクラウディア。窓から夏の日差しが漏れ入っている。まだ昼過ぎである。


 こうなるだろうと予想はしていた。覚悟も、期待もしていた。拒む理由があるだろうか。いや、何もない。胸の高鳴りが聞こえてしまわないかと気にしながら、クラウディアは優しく微笑んだ。


「……うん、いいよ。そろそろハッキリさせておこうじゃないか。君が私のものであり、私が君のものであるということを」


 クラウディアはルッツの腕にしがみついて、ぎゅっと身体を寄せた。


 狭い家である。寝室までたったの数歩だが、こうして歩くのはクラウディアにとって神聖な儀式でもあった。


 この日を境に、ルッツは刀を手放したのが正しかったのかどうかと悩むことはなくなった。

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