第8話 凶刃と狂人

 翌日。ジョセルは騎士としての業務を終えて付呪工房へ向かった。ノックをするが返事はない。


 まさかお師様も刀の魔性に飲まれて自傷、あるいは自害なされてしまったのでは。最悪の想像をしてしまった。


 ドアに鍵がかかっているが、それほど頑丈な作りではない。思い切り蹴飛ばすと簡単に開いた。


「お師様、ご無事で!」


 血の匂いがしないことに安堵しつつ周囲を見渡す。ゲルハルトの姿がない。


 剣の柄に手をかけて慎重に進むと、足元に何かが転がっていた。


 ゲルハルトだ。刀を抱いて、楽しげな顔で寝息を立てていた。まるで玩具が気に入った子供だ。これが伯爵領で一番と言われる、名誉を欲しいままにした付呪師の姿と誰が信じるだろうか。


 あまりにも気持ち良さそうに寝ているので起こすのも気が引けたが、高齢の師を床で寝かせて風邪でもひかせる方が不忠であろうと考え直し、揺すって起こした。


「お師様、起きてください。寝るならばベッドで寝てください」


「……ん、おお、ジョセルか。早起きだな」


「もう昼過ぎにございます」


 ゲルハルトは不思議そうに辺りを見回した。床で寝ていたことも、刀を抱いていたことにも初めて気が付いたらしい。


「太陽に、昇ってくれと頼んだ覚えはないのだがな……」


 師が寝ぼけているのか本気なのか、判断の付かぬジョセルであった。


「お師様、その剣……、ではなくカタナでしたか。いかがなりましたか?」


 よくぞ聞いてくれた、とばかりにゲルハルトはニヤリと笑った。自慢したい気持ちはあったし、ここで興味を持たぬようでは付呪師たる資格は無い。


「見たいか?」


「是非とも」


 ゲルハルトは立ち上がり、箪笥から禍々しい装飾のネックレスを取り出してジョセルに渡した。


「精神異常耐性の付いた魔道具じゃ、着けておけ」


 騎士の精神力を持ってすればいかなる幻覚にも惑わされはしないと言おうとしたのだが、師の真剣な表情にジョセルは素直に従うことにした。


 たかが武器、魔法がかかっただけの刀に過ぎないはずなのに、ジョセルは猛獣の檻を開けるような気持ちで鞘から抜いた。


 部屋中に甘い香りが広がった。いや、刀からそんな匂いがするはずはない。これは幻覚だ。


 まるで夢の中で夢だと気付く明晰夢めいせきむ。夢と知りつつ身動きが取れなかった。


 目の前に全裸の美しい女が現れた。頭から血のバケツを被ったかのように血塗ちまみれで、ジョセルが持っているのと同じ刀を握っていた。


 その微笑みは聖女か慈母か。女が刀を振り上げるが、ジョセルはそれでも動けなかった。


 斬られると思った瞬間、ピシリと石が砕ける音がした。女の幻覚も甘い香りも霧散して、薄暗い工房の景色が戻ってきた。


 ジョセルは首筋に刃を当てていた。もう少しで訳もわからぬままに自害していたかと思えば全身から冷や汗が吹き出してくる。


 震える手で刀を鞘へと戻し、ネックレスを確かめると中央の宝石が見事に砕けていた。


 先ほどまでとは性質の違う恐怖が襲ってきた。想像もつかぬほどに高価な魔道具を壊してしまったのだ。具体的にいくらかはわからないが、騎士がそう簡単に払えるような代物ではあるまい。


 砕けた宝石がどれだけの大きさだったのか、怖くて見ることも出来なかった。


「お師様、申し訳ありません。我が身の未熟さ故に、お預かりした魔道具を壊してしまいました……」


 詫びながら刀を渡す。応じるゲルハルトの声は優しいものであった。


「気にするな。付呪師にとって耐性魔道具など消耗品に過ぎぬ。むしろここでケチるような奴は早死にするぞ。よい経験が出来たと思うがよい」


「お師様……、ありがとうございます」


 この人に付いてきてよかった、そんな感動で胸が一杯になるジョセルであった。それはそれとして割れた宝石の値段は聞かないことにした。


「さて、ジョセルよ。お主は何を見せられた?」


「はい、それが……」


 甘い匂い、血塗れの女、明晰夢のような感覚。出来る限り詳しく話すジョセルに、ゲルハルトは何度も頷いて聞いていた。


「我ながら恐ろしい刀に仕上がったものよのう。ふふふ……」


 恐ろしいと言いながら、完全に楽しんでいるような口調であった。


「お師様、あの刀にいかなる魔術を刻んだのですか?」


魅了チャームだ」


「なんと……」


 基本的に武器に魔術付与する場合は軽量化や切れ味の向上、あるいは炎や氷などの属性を付けることが多い。


 戦う前ならともかく、相手に斬り付けて初めて効果を発揮する魅了などまるで意味がないので、安くない金額を費やして魅了を付ける者などいなかった。


 それを、ゲルハルトはやったのだと言う。


「刀がな、わしに語りかけてきたのだ。魅了を刻めとな。その結果どうなったかは、お主が経験した通りだ」


「刀自身が決めたと言うのですか」


「無論、本当にしゃべった訳ではあるまいよ。わしが勝手にそう感じただけだ。長く付呪師などやっているとな、武器を見ているだけでどうすればよいのか、何が一番適しているのか自ずとわかることもあるのだ」


 ゲルハルトは暗い笑みを浮かべながら刀を少しだけ抜き、また納めるといったことを繰り返していた。


「これならばあの坊やも文句は言えまいよ」


「しかし、謁見の間にて勇者どのが自害、あるいは伯爵に斬りかかったりするやもしれませぬ」


「それの何が問題だ?」


 あっさりと言い放つゲルハルトであった。ジョセルはしばし、何を言われたのか理解できなかった。


「問題と言えば問題しかないのですが……」


「わしも勇者どのも罪に問われるだろうな。並んで仲良く首を落とされるというわけだ。だが、騒ぎが大きくなればなるほどこの刀が注目されるというものだ。付呪師冥利に尽きるというものではないか。なあ?」


 忘れていた、そして思い出した。この人はまともではなかったと。


 弟子に優しいことと世間に優しいことは、必ず両立するわけではない。


 勇者どのには一言忠告くらいはしておこうと考えるジョセルであった。

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