第7話 魔剣覚醒

 ジョセルが刀を差し出し手に入れた経緯を説明すると、ゲルハルトの憔悴しょうすいした顔にじわじわと赤みが戻ってきた。


「面白い、実に面白いじゃあないか!」


 興奮して刀を抜こうとするゲルハルトをジョセルが慌てて止めた。


「お師様、この剣には呪いがかかっているかもしれません。どうか、慎重に」


「ふん、刀から何の魔力も感じぬよ。それにわしは精神耐性の魔道具をいくつも付けておる」


「失礼しました。しかし……」


「油断はするなと言いたいのだろう。わかった、わしの様子がおかしいとなったらお主が止めてくれ。よいな?」


「はい」


 力強く頷くジョセルであった。


「ところでお師様、先ほどカタナと申されましたが何の事でございましょうや」


「うむ、これはこの国の技術ではない、東方で作られる刀という武具だ。剣と呼んでも別に間違いではないがな」


 何故そんな物が持ち込まれたのか、それを惜しげもなく放り出した男は何者なのか。興味は尽きないが今は目の前の刀とやらを調べるべきだ。


 ゲルハルトは刀を抜いて、眉をひそめた。


「馬鹿どもが……」


 と、憎しみを込めて呟く。


 刀身が血で曇っていた。自傷騒ぎが起きた後、適当に布か何かで拭っただけのようだ。ろくに武器の手入れも出来ない連中が持っていたとしても、いずれ錆びてぼろぼろになっていたかもしれない。


 ゲルハルトは無言で立ち上がり砥石を用意した。ここは付呪術の作業場であるが、武器の手入れ道具もある程度揃っている。


 濡れた砥石に刀身を擦り付けると、ゲルハルトの背にぞくりと走る感覚があった。寒気か、あるいは快楽か。


 奇妙な色気があった。刀を研いでいるのか、女体を愛撫しているのかわからなくなってきた。


 六十五歳の付呪術師は今、刀を研ぎながら痛いほどに勃起していた。


 ぎ、あるいはぎと呼ぶべきか。なんとか終えて自制心を振り絞り意識を現実に引き戻した。荒く息をつきながら、事前情報も覚悟もなくこの刀を見つめていれば引き込まれてしまうだろうという納得があった。


 水気を拭い取り、刀油を塗布して鞘に納め、そこでようやくジョセルが不安そうに見ていることに気が付いた。


「わしの様子はどうであったかな。正直、記憶が曖昧あいまいでな」


「失礼ながら、ひどく興奮しているように見えました。研ぎを中断させるかどうか、悩みましたが……」


「ふむ、ジョセルよ、ひとつわかった事がある」


「はい」


「これが恋だ」


「……はい?」


 言っている意味はよくわからないが、ゲルハルトの恍惚こうこつとした表情からしてどうやら本気のようだ。


「今なら最高傑作が、生涯最高の作品が出来上がるだろうというこの感覚。国王でも法王でも味わえぬ、職人だけの愉悦よのう!」


 刀を持ったままゲルハルトはげらげらと笑い出した。


 このお人も刀の魔性に取り付かれてしまったのか。いや、刀の美しさがお師様ご自身の持つ狂気を引き出したのだとジョセルは悩んでいた。


 ゲルハルトはひとしきり笑った後でジョセルに優しく語りかけた。


「ジョセル、ようやってくれた。よくぞこの刀とわしを巡り合わせてくれた。礼を言わせてくれ」


「もったいなきお言葉です」


「わしはこれから刀に付呪を施す。お主はもう帰るがいい」


「何かお手伝い出来ることはありませんか。お師様が最高傑作に挑むとなれば、是非とも見学したいのですが……」


 付呪師を目指す者として当然の欲求であったが、ゲルハルトは申し訳なさそうに首を横に振った。


「すまんな、一人で集中したいのだ。その代わり出来上がったら真っ先にお主に見せよう」


 集中したいと言われてしまえば無理に居座るわけにもいかなかった。寂しげに立ち去るジョセルの背に、ゲルハルトは軽く頭を下げて詫びた。


 気を取り直し、儀式台に刀を乗せて幾何学的に宝石を配置する。魔力が流れ始め、儀式台がむき出しの心臓のように脈打っていた。


 呪いの逆流に耐えるためにいくつもの高価な魔法耐性アクセサリーを身に付け、鬼気迫る表情で儀式台の前に座った。


 今までにない魔力の奔流ほんりゅう。一歩間違えれば自分は呪いに飲み込まれて死ぬだろうという予感は恐ろしさよりも、むしろ楽しさを沸き起こさせた。


 そういえばこの刀の作者は誰なのだろうと気になり、ストッパーである目釘めくぎを器用に外し、つかつばを取り外した。柄で隠れていた部分、なかごめいが刻んであるはずと思ったのだが、何もなかった。


 これほどの刀が無銘とはどういうことか。刀匠が気に入らずに銘を刻まなかったなどということはあるまい。


 訳ありか。ますますもって怪しい刀であった。


 刀匠の名が知れれば話を聞きたかった。出来ればスポンサーになって刀をいくつも作って欲しかったが仕方がない。現代に生きる刀匠かどうかもわからない。


 ゲルハルトは不気味に光り脈打つ儀式台の上で、刀身に古代文字を刻み始めた。


 一字刻む毎に宝石がいくつも砕け砂と化す。手元が狂わぬよう、手順を誤らぬよう、ゲルハルトは全神経を集中させた。呼吸することも忘れ何度も失神しかけた。


 十数個の宝石が砕け散り、儀式台の光が収まるとゲルハルトは全身汗まみれでまるで何日も徹夜したかのように目にクマが出来て黒ずんでいた。


 しかしその口許には満足げな、会心の笑みが浮かんでいた。

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