第5話 老人と騎士と刀

 城塞都市の中心部。城内の工房にて白髪の老人が苦悩し顔を歪めていた。


 鋭い視線の先にあるものは青白く発光する長剣。禍々しい儀式台と、砕け散った宝石類。


 その男、ゲルハルトは高名な付呪師ふじゅしであり、長剣には魔法の力が込められていた。


 気に入らなかった。ただ出来の良い剣に、重量軽減の呪術を施しただけの、ごく普通の名剣だ。そこに驚きもなければ、自分の作品だと胸を張って言えるような要素も無い。


「駄目だ、こんな物では駄目だ……ッ!」


 スランプである。もうどうすれば良いのかわからない。これが自分の限界なのかと思えば身が震えるほどに恐ろしくなった。


 しかし宮仕えである以上、調子が悪いので出来ませんとは言えなかった。彼の研究費は領地の税金、伯爵家の資産から出ているのだ。成果物を出せと言われれば出すしかなかった。


 たとえそれが納得のいかない物でも。


 付呪師ゲルハルトも終わったと陰口を叩かれる、そんな光景が目に見えていたとしても。


 ……ああ、やはり駄目だ。耐えられそうにない。


 いっそ逃げ出してしまいたかった。


「神よ、私を導いてください。あるいは私以外の付呪師を皆殺しにしてください……」


 物騒な祈りを捧げていると、ノックの音が聞こえた。


「開いているぞ」


 不機嫌な声で入室許可を出すと、騎士であり付呪術の弟子でもある三十代の精悍せいかんな男が入って来た。


「ジョセルか、どうした?」


「早馬が到着しました。ワイバーン退治に向かった勇者どのですが……」


「ふん、何だ。死んでくれたか?」


 不機嫌さを隠そうともしない師匠に、ジョセルは困った顔を向けた。師匠ながらこうなった時は本当に面倒臭い。


 勇者というのはただの渾名あだなであり、別に魔王討伐の使命を背負っているとかそうした話ではない。伯爵お気に入りの冒険者であり、厄介な魔物が現れた時などに討伐の依頼をしている相手だ。


 変わった所で彼は魔物討伐の褒美に金銭を求めず、武具を願った。褒美として相応しい魔法武器を作るのがゲルハルトの役目である。


「いえ、討伐を終えて戻ってくるそうです。何日か周囲の警戒をしてからとのことで、十日ほどで」


「何が警戒だ。村娘と乱交してくるとはっきり言ったらどうだ」


「お師様、勇者どのが何か悪事を働いた訳ではありませんよ」


「むう……」


 ゲルハルトは勇者を毛嫌いしているが、勇者から不倶戴天ふぐたいてんの敵と見定められているわけではない。あくまで一方的な憎悪である。


 勇者は今まで何度も伯爵の依頼をこなし、何度も褒美を貰ってきた。武具を作ってくれる者、使ってくれる者として、親子どころか祖父と孫くらいの歳の差がありながら二人の間には確かな敬意と信頼があった。


 事件が起きたのは前回の謁見の場においてだ。もっとも、それを事件と感じていたのはゲルハルトただ一人だけだが。


 大型魔物の討伐を終えて戻った勇者を伯爵は上機嫌で出迎えた。


 街一番の鍛治屋に作らせた長剣にゲルハルトが魔法効果を付与したものが褒美として与えられたのだが、許しを得てその場で剣を抜いた勇者の顔に一瞬だけ失望の色が浮かんだのだった。


 ゲルハルトだけはそれを見逃さなかった。いっそ何も気付かなければ幸せでいられたのだろうが、そうもいかなくなってしまった。


 なんだ、こんなものか。勇者の表情はそう語っていた。大した特徴の無い、良い剣ではあるがコレクションとしての価値は何も無い物。


 屈辱であった。恥辱で頬が赤く染まり、次に怒りで真っ赤になった。まるで人生そのものを否定されたような気分だった。


 とはいえ、ゲルハルトが提出した剣は絶対の自信作というわけでもなかった。惰性だせいと手癖で作ってはいなかったかと自省もしていた。


 次こそ、次こそは武器マニアの小僧が飛び上がって喜ぶような逸品を作り上げたい。奴の感謝と尊敬の眼差しだけがゲルハルトの名誉を回復させる。


 現実はそう上手くいかなかった。傑作とは作ろうと思って作れるものではない。剣に込められた魔力はどれも平凡としか言い様の無いものであった。


 また凡作を提出し、失望され、勇者の口からもう武具は結構ですなどと言われては、付呪師としてのゲルハルトは死んだも同然である。


 悩んでいる最中に弟子がやって来たのも何かの導きだろうか。藁にもすがるような気持ちで言った。


「ジョセル、武器を手に入れてくれ。わしの生涯最高傑作に相応しいだけの武器を」


 付呪で込められる魔力は武具の出来にも大きく左右される。


「それは……」


 ジョセルの視線がちらと失敗作に向けられた。


 街一番の鍛治屋に金に糸目は付けないと言って作らせた一級品である。これ以上の武具など、どうやって用意しろと言うのか。


 そもそもあれを平凡だの失敗だのと言っているのは勇者やゲルハルトのような過剰に目が肥えた者たちだけである。


 中堅どころの冒険者に与えれば泣いて喜ぶだろうし、場合によっては靴だって舐めるかもしれない。いらないと言うのであればジョセルだって欲しい。


「頼む、もうお主しか頼れる者はおらんのだ」


 ジョセルは付呪術の弟子であると同時に、伯爵家の高位騎士でもある。ゲルハルトには無い伝手つても使えるだろうと期待しての頼みだったが、ジョセルは渋い顔で首を横に振った。


「あれ以上の物となると、王都の宝物庫に忍び込むくらいしかないでしょう」


 冗談のつもりだったのだが彼の師匠は笑ってくれなかった。それどころか瞳に危険な色が宿ったように見えて、慌てて話を打ちきった。


「手を尽くしてみましょう。しかし、あまり望みは……」


 期待はするなと言葉の中に入れたつもりだが、それが伝わっているのか、どうか。


 師の憔悴した姿を哀れと思い、なんとか力になりたいと考える一方で、この人とは距離を置いた方が良いかもしれないと心の片隅に冷徹なものが浮かんでいた。




 それから数日の間、ジョセルは鍛冶屋を訪ね商人に訪ね、冒険者ギルドにも行ってみたのだが収穫と呼べるものは何もなかった。


 名剣、聖剣というものは畑で採れるようなものではない。ゲルハルトの手元にあったものが、考え得る限り最高のものであったと再認識しただけであった。


 傑作が出来たから次はもっと良いものを。その次はさらに良いものを。それが当たり前だと感じてしまえばいつか破綻するに決まっている。


 ジョセルはゲルハルトが伯爵領で一番の付呪師と信じている。あるいは国一番かもしれない。ひょっとすると大陸一かもしれない。


 そんな男が自らを追い込み、潰れていくところなど見たくはなかった。


 どうしたものか。城内の私室にて思案していると、騎士見習いの少年が遠慮がちに入ってきた。


「ジョセル様、警備隊の詰め所で騒ぎが起きました。怪我人も出ているようです」


「またあいつらか……」


 ジョセルは苦々しく呟いた。


 貴族とも言えず、平民とも言いきれぬ中途半端な家柄。家督の継げぬ次男三男あたりの受け入れ先。正式な騎士叙任式を受けたわけでもない半端者の集まりだ。


 礼儀作法は知らず、素行が悪く大した武芸も身に付けていない。騎乗許可を持っただけの雑兵ども。ジョセルとしては彼らを騎士と呼ぶことすら嫌悪していた。


 見習いの少年が騎士団と呼ばず警備隊と言ったのは、そうしないと主が不機嫌になると知っていたからだ。


「で、あいつらは何をした。酒の席で殺し合って全滅したとかならば祝杯を用意するが」


「新しく手に入れた剣に頬擦ほおずりして、大出血をしたそうです」


「……以前から馬鹿だと思っていたが、俺の評価はまだ甘かったらしいな」


 あの貧乏騎士どもがどうやって新たな剣を手に入れたのか。その辺も含めて調査せねばなるまい。


 正直に言って面倒だ。ジョセルは溜め息を吐きながら立ち上がり、腰に剣を差しマントを羽織った。


「そういえば……」


 天井を見上げながら、ジョセルはふと思い付いたように言った。


「何故そんなことをしたのかは聞いたか?」


「剣があまりにも美しすぎた、とのことです。その時のことはよく覚えておらず、気が付いたら頬が切れていたとのことで」


「なんだそりゃあ……?」


 怪訝な表情を浮かべるジョセルであった。まるで意味がわからないが、その剣には少し興味が湧いてきた。

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