第4話 これから

「ただいま……」


「はっはっは! 私もただいま、と言うべきなのかなこれからは!」


 ルッツは自宅に帰って来た。余計なおまけ付きで。


 色々な事がありすぎて疲れている。もう日も暮れている。適当に晩飯を食って寝てしまいたかったが、そうもいくまい。


「付いてこい。君の部屋に案内する」


「おや、余った部屋があるのかい?」


 クラウディアは意外そうに言った。部屋が一つしかなければこの女はどうするつもりだったのか。本当に考え無しに行動していたようだ。


 もっとも彼女に選択の余地があったわけでもない。野宿をして暴漢に襲われるよりも、顔見知りの男の部屋に転がり込んだ方がよほどマシだろう。


 少々振り回されたとしても相手の気持ちをおもんぱかり、納得出来れば文句を言わずに済ませてしまうのは己の長所か短所かどちらであろうかと考える。多分、両方だ。


 少なくとも、クラウディアの大きな尻を蹴飛ばして出ていけなどと言うつもりが無いことだけは事実である。


 鍛冶場を通り、居間兼台所に入る。正面に二つのドアがあった。右の扉を開けるとそこはベッドとチェストがあるだけの埃臭い部屋であった。


「好きに使ってくれ」


「ここは何の部屋なんだい?」


「父が使っていた。もう三年も前に亡くなったがね」


「ふぅん。パパルッツと言うと、確か君のお師匠さんでもあったんだっけ」


「ああ。刀鍛冶の技術は父が放浪修行中に学んだそうだ。この国の剣とはかなり作り方が違う」


 なるほど、と頷きながらクラウディアは掛け布団も枕も無い、木組みだけのベッドに近付き軽く叩いた。


 もわっ、と埃が舞い上がる。ルッツはばつが悪そうに顔を逸らした。


「一応、定期的に掃除くらいはしているのだが……」


「ズボラな男の言う掃除した、という台詞ほど信用ならないものは無いねえ。本人はやったつもりだから余計に始末が悪い。どうせ気が向いた時にだけ埃を払ったり空気を入れ換えたりするだけだろう?」


「いいんだよそれで。鍛冶場に道具を放置などしたらこっぴどく叱られたものだが、部屋が散らかっていても何も言われなかった。むしろ父上の部屋の方が酷かった。遺品の整理に一ヶ月もかかったくらいだ」


「まったく、男所帯って奴は……」


 ぼやきながらクラウディアは埃を払い、ベッドに倒れ込んだ。不満はいくらでも出てくるが、全て眠気に押し流された。


「私は寝る。積る話は明日にしてくれ」


「ああ、おやすみ」


「それと……」


「何だ?」


「ありがとう」


「おう」


 ルッツの返事を聞いてすぐにクラウディアは寝息をたて始めた。ルッツは静かに扉を閉じて、その場を後にした。


 鍋に残っていたスープに火をかけて遅い食事を始めた。色々ありすぎて気が昂って眠れないと思っていたのだが、睡魔に襲われ食器を持ったまま何度も頭ががくりと下がった。


 結局、自分の部屋に戻らぬまま机に突っ伏して寝てしまった。




 ルッツは窓の隙間から射し込む朝日に顔を照らされ目を覚ました。クラウディアはまだ起きていないようだ。


 貧乏暇なしという言葉がある。あるいは暇だからこそ貧乏なのか。ルッツの場合は後者であった。


 かまでもくわでも包丁でも、何でも作れるが注文を受けていない。


 ある程度作りだめをしておけば注文にすぐ対応出来るではないかと考えたこともあったが、保管するには相応のスペースが必要である。また、刃物は保管の仕方が悪ければ錆びてしまうので気を使う必要がある。ついでに盗難などの心配もしなければならなかった。


 客が細かい注文を付けたので在庫がそれに合わなかったという事もあった。


 結局、割に合わないので受注生産のみでやっていくことにした。もっと大きな鍛冶屋ギルドであれば商品を並べて置くのもいいだろうが、個人でやっている鍛治屋が在庫を抱えるのは難しい。


 これからの商売についてクラウディアと話したかったのだが、彼女は惰眠継続中である。


 焦っていた、苛立ってもいた。しかしそれはあくまで自分の都合でしかないのでクラウディアに八つ当たりをするのはお門違いだ。


 時間が空いた時にこそ手放した妖刀の代わりとなる刀を打つべきなのかもしれないが、先の生活に不安を抱えている状態で集中出来る自信は無い。


 ついでに、どんな名刀が出来上がったとしても売る手段が無いことを思い知らされたばかりである。


「んもぉぉぉ! 俺にどうしろって言うんだよぉん!」


 頭を抱えて転げ回る二十二歳児。ふと見るとそこに女の足があった。見上げれば女の呆れ顔があった。


「ルッツくん、何をしているのだね……?」


「人生のどこかで落としてしまった、大切な何かを探しているんだ」


「……見つかったかい?」


「何を落としたのかすら覚えていない」


 クラウディアが無言で椅子に座るのを見て、ルッツも立ち上がり向かい側に着席した。


「しばらくはルッツくんの専属でやっていこうと思うんだ。私が注文を取ってくる、ルッツくんが作る、私が納品する。その繰り返しだ」


「結構なことだが、そんなに需要あるか?」


「ふふふん、私に任せておきたまえよ。それはそれとして先立つものが必要でねえ。斧の代金、まだ残っているだろう?」


「金のかかる女だ……」


「いい女とはそういうものさ」


 財布代わりの革袋から銀貨を何枚か摘まみ出そうとすると、革袋の方をひったくられてしまった。


「朗報を待ちたまえ。ではッ!」


 と、クラウディアは元気よく飛び出していった。


 騎士団に言いがかりのような形で捕らえられていたのは昨日の話である。無論、捕まったのはそれよりも前だから拘束期間は一日や二日ではないだろう。


「まあ、元気が出たならなによりだ」


 頭を掻きながらルッツは炭や鉄を揃えておくことにした。やる気を出したクラウディアが手ぶらで帰ってくるということは恐らくないだろう。




「はっはっは、ただいまルッツくん!」


 夕暮れ時になってクラウディアは戻ってきた。出て行った時よりさらに元気が良く、うるさい。


「お疲れ。で、包丁砥ぎの注文でも入ったか?」


「聞いて驚きたまえ。短剣五本の契約を取ってきたよ。一本につき銀貨八十枚だ」


 ぽかんと口を開けて固まるルッツ。


 その様子を見てクラウディアは満足げに笑った。


「それそれ、その反応が見たかった」


「どうやってそんな注文を取れたんだ?」


「騎士団の詰め所に行ったのさ」


「昨日の今日で気まずくないのか……」


「商機があるならば気まずいのなんのと言っている場合ではないよ」


 商人は精神的にもタフでなければならない。急に目の前に居る女が偉大な人物のように思えてきた。多分、気のせいだろうが。少なくとも自分には無いものを持っていることだけは確かだ。


「あの妖刀を打った作者の武器ならば欲しがるのではないかと思ってね、ドンピシャリって訳さ。無論、あれだけの作品はそうそう出来るものではないと念押しはした。それと初めての取引でいきなり金貨何十枚もする長剣というわけにもいかず、まずは短剣を持って来てもらおうということで話がまとまったんだねえ」


 あの妖刀、という言葉に胸がチクリと傷んだ。ひょっとしたらあれが生涯最高傑作になるかもしれない。手放したことは仕方がないにしても、やはり名前くらいは付けてやりたかった。


 まるで我が子を棄てたような罪悪感がそこにあった。


「あの刀はどうなった?」


「それがねえ、笑える話なのだが上官に持っていかれてしまったそうだよ」


「笑う要素あるか?」


「刀を手にした騎士の一人が、頬擦ほおずりして大怪我をしたそうだよ」


「……わざわざ刃を立ててか」


「正気ではなかったのだろうね。もうね、血がブシューッと出て頬骨ほおぼねまでザックリ斬れたそうだよ。実際、詰め所内に血の跡があったからね」


 他人の痛そうな話を聞くと胃のあたりがキュッと縮む。ルッツもクラウディアも、浮かべる表情は笑いというより苦笑であった。


「で、騒ぎを聞き付けた上官に怒られて、刀も没収という訳さ。お客様にこう言っては何だが、少しは溜飲が下がったよ」


「そんな目に会って、奴らはまだ短剣が欲しいと言うのか……」


「人は真なる美しさに抗えぬものだよ。あの刀を所持することはまず無い、ならば同じ作者の短剣くらいならよかろうと考えたのだろうねえ」


 一人で納得したように頷くクラウディアであった。


「さて、私は約束を果たしたぞ。後はルッツくんのお仕事だ」


 ルッツは力強く頷いた。


 クラウディアが敵地と言えるような場所へ乗り込んで取ってきた注文だ。ここで下手なものを作れば彼女の顔に泥を塗ることになり、努力を否定することになる。


 不良騎士どもは気に入らないが、クラウディアの為とあらば全力を尽くすこともやぶさかではない。


「短剣を気に入ってもらえばさらに大きな仕事に繋がるかもしれない。頑張ってくれたまえ」


「任せろ。ああ、それと……」


 ルッツはひどく言いづらそうに周囲を見渡し、やがて意を決したように口を開いた。


「もう一度、キスしてもいいか」


 クラウディアは一瞬だけ驚いた顔をして、すぐに妖しくも優しげな笑みを浮かべた。


「ふふん、やっぱりルッツくんは私のことが好きなんだねえ」


「クラウディアはどうなんだ」


「さぁて、どうかな……?」


 クラウディアの腕がルッツの首に絡んだ。この細く小さな身体で凶悪な連中と交渉してきたのだと思えば愛しさが込み上げてくる。


 女は刀によく似ている。妖しいまでに美しく、危険である。そうと知りつつ離れられない。


 最高傑作を手放して、代わりに手にしたものは何だったのか。そこに未練はあっても後悔は無い。


 揺れる松明に照らされた二つの影が、ゆっくりと一つに重なった。

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