第3話 ふたり、夕日の中で

 日の傾きかけた街道をルッツとクラウディアはゆっくりと歩いていた。店じまいや夕食の準備をする人々が行き交う中で、二人だけが場違いであった。


「ルッツくんは何故、私を助けたんだい?」


 ずっと無言であったクラウディアが絞り出すような声で聞いた。


「知人友人が困っているから助けようというのはわかる。実に美しい話だ。しかしだね、物事には限度というものがあるだろう。金貨百枚に相当する剣をぽんと投げ捨てるほどの価値が私にあるかねえ」


「剣ではない。刀だ」


「今、こだわらなければならない所かいそれは……」


 面倒臭い奴だ、という感想が表情に出て隠そうともしなかった。


「無論、助けてもらった事には感謝しているよ。ただやはり納得というのかね、わからないままでいるともやもやするんだ」


「理由か、俺にもわからん」


「おいおい、私は真面目に聞いているんだよ」


 ルッツは少し困ったような顔で頭をいた。ふざけているわけではなく、どうやら本当に説明する為の言葉が見つからぬようだ。


「知人が困っているから助けよう、と考えたのは事実だ。金貨百枚と言うが売るための伝手つてが無いので持っていても仕方がないとも思った。クラウディアがいないと仕事に支障が出るし、騎士団の横暴なやり方が気に食わなかった。つまり、だ……」


 無意識に左腰に手をやるが、そこにはもう何もない。我ながら未練がましいことだと、ルッツは自嘲じちょうした。


「理由はいくらでもあるが、どれも決定的ではない。そういうのがいくつも集まったから行動に出たみたいな感じなのかな」


「そんなものかね」


「人間、誰もが確固たる信念に基づいて動いているわけじゃない」


「そうかそうか、ふぅん。君はそういう男なんだな。君の行動原理を一言でまとめることも出来るぞ」


「聞かせてくれ」


「ルッツくんは私のことが好きなのさ」


「いや待て、なんだって?」


 振り向いたその顔を、クラウディアが両手でしっかりと掴んだ。妖艶な笑みを浮かべた女。見知った女の、知らない顔がそこにあった。


 ぐいと引き寄せられて顔が近付き、唇が触れ合う。五秒、六秒と経って糸を引きながら離れた。そこに捕食者の姿は無く、恥じらう少女のような表情を浮かべるクラウディアがいた。


「借りは必ず返すよ。これはまあ、手付けのようなものと思ってくれたまえ」


 わからない。クラウディアという女の事がわからない。


 自分が何故、この女を助け出す気になったのかもよくわからなくなってきた。


「お、おう……」


 ルッツは間の抜けた返事しか出来なかった。


 それからまた二人は歩き出す。無言でいるのも居心地が悪く、ふと思い出した疑問を口にした。


「商人たちが捕まったのは野盗に支援していたからだと聞いたが、実際の所どうなんだ?」


「おいおいルッツくん、まさか君はそんな寝言を信じたわけではあるまいね」


「いや、どこをどう考えても辻褄つじつまが合わん。だから不思議でな」


「ご理解いただけているようで何よりだ。もしも信じていたら私は君を殴って、その場で泣き出さねばならないところだったよ」


 そう言ってクラウディアは大きくため息を吐いた。疲れている。そしてそれは少し休めば治るようなものではない。


「この世で最も窃盗や強盗といった行為を憎んでいるのは商人だよ」


「ほう」


「君に納めてもらった斧を例にすると、斧を一本盗まれたとしたらその金額を補填ほてんするのに斧を十本は売らなきゃならない」


「そんなにか」


「単価の低い商品なら売らなきゃならん数はさらに増えるだろうねえ。商売で儲けを出すというのはそれくらい大変なことなんだ」


 クラウディアの端正な顔が憎しみで歪んだ。


「それを盗賊どもは力ずくで奪い、金に代えて酒と女と博打で好き勝手に溶かしてしまうんだぞ、ふざけやがって。出来ることなら私がこの手で殺してやりたかったさ」


 声を荒らげ天を見上げ、何の答えも得られぬことを知ると、クラウディアは肩を落として歩き出した。


「……情けない話だがね、これほど憎んでいる相手に私たちは金を渡していた。通行料としてだ。積み荷と命を奪われるよりはマシだからね」


「通行料だけで奴らは納得するのか?」


「毎度毎度、商人を皆殺しにしていたら誰もその道を通らなくなるからねえ。そうなって困るのは奴らの方さ。安定した収入が得られるのは奴らもありがたいらしい」


「盗賊が安定収入を求めるのか。滑稽こっけいだな」


「全くだ。それなら真面目に働けって話だよ」


 二人は顔を見合わせて笑った。乾いた笑いであり腹の底からの笑い方ではないが、それでも少しは元気が出てきたようで安心した。


「安全保障の為に通行料を払っているのを、騎士団の連中は盗賊への支援と拡大解釈したわけだよ。身代金欲しさにねえ」


「それでは商人たちから反発が出るだろう?」


「お貴族様と繋がっているような豪商大商には手出しをしていないさ。狙われたのは騒いだところで何の影響も無い小さな店だけ。騒いでくれれば治安を乱したとしてまた捕まるだけだよ。連中にとっては二度美味しいというわけさ」


 クラウディアは静かに首を横に振った。


「この世が正義や善意で成り立っているわけではないことくらい理解しているが、我が身の惨めさに泣きたくなる日もあるさ……」


 ルッツは何も言えなかった。世の理不尽、それに対する無力感はルッツも常々感じていたことだ。いや、この世に生きる者の大半が抱えている感情ではないかとも思っていた。


「助けてもらった私が言うのも何だが、あのけ……、もとい刀を手放したのは悪いことばかりでもないんじゃないか」


「……どういうことだ?」


「君の作品が世に放たれたということさ。あの馬鹿どもが妖しいほどに美しい刀を手に入れて、見せびらかさないわけがなかろうよ」


「まあ、そうだろうな」


「それで上官の耳に入り、寄越よこせと言われる。まっとうな手段で手に入れたのではないから拒否権は無いねえ。そしてさらに上へと献上される。ここの領主、伯爵サマとかね。さらにさらに上へと送られ国王陛下に送られるかもしれない」


「なんとも夢のある話だな。俺の手元には無いけど」


「そう悲観したものではないよ。献上、献上、プレゼント。その過程で必ず話題になるはずだ。この刀を作ったのは誰かってね。それが名工ルッツが世に名乗り出る時だということだねえ」


「ふぅむ……」


 なんとも壮大で夢のある話である。ルッツは己が天下一の刀匠であるなどと自惚うぬぼれているわけではないが、同時にあの刀ならばあるいは、と期待する気持ちもあった。


 未来は明るいと思いたいのだが、何故だか心にまとわり付くような不安がある。それが何かはよくわからない。


 何か、大事なことを、忘れているような……。


「ああああああああッ!」


 突如叫び出すルッツ。目を丸くするクラウディア。


「どうしたいきなり!?」


めいを入れていない!」


 刀匠は刀の出来に満足した時、なかごと呼ばれる持ち手部分に己の名、刀の名、場合によっては製造年月などを刻むのだが、今回はそうした作業をすっかり忘れていた。


 あの妖刀は作者不明、無銘むめいの刀である。


「それは、うん、困ったね……」


 クラウディアも慰めの言葉が出て来なかった。これでは作者として名乗り出ることが難しくなってしまう。


 私が作りましたと勝手に名乗る者も出て来るだろう。同じ物を作れと言われても、製作中に神が降りて来た、作り方は覚えていないなどと言えば一応の言い訳にはなってしまう。芸術にライブ感は付き物であり、作者といえど同じ物は二度と作れないというのもよくある話だ。


 拍子抜けである。栄光の扉に手を掛けたら鍵がかかっていたようなものだ。


「まあ、いいか……」


 クラウディアは無事だった。自分の生活も変わらない。それはそれで結構な事だ。


 変化に対して臆病であることを自覚しつつ、安心もしていた。貴族社会の悪辣あくらつさを覗き込んだばかりだ、あの世界でやっていける自信はあまり無い。


 嘘つきが馬鹿をだまして社会が回るなら、後は勝手にやってくれと投げやりな気分にもなっていた。


「……あれ、クラウディアの家は向こうじゃなかったか?」


 色々な事があった。考え事をしながら歩いていたから道を間違えたのかと思ったが、意外な答えが返ってきた。


「私の家などもう無いよ。家も家具も、馬車も馬も全て差し押さえられてしまったのさ。もっとも家は借家だったがね」


「それは、大変だな……」


「そういうわけで、しばらく君の家に泊めてくれたまえ」


 言い忘れていただけで当たり前の事だ、そんな風にあっさり言われてしまった。


「待て待て、さすがに俺もそこまでは出来んぞ。何と言うか、困る」


「ふぅん、つまり君は私に野宿しろと言うのだね。城壁の中と言えど悪い奴はいっぱいいる。美女の全裸の絞殺こうさつ死体が朝日に照らされるところが見たいとでも?」


「わかった、わかったよ。悪趣味な言い方をするんじゃない」


「ふふん、良いね。素直と言うのは美徳だよルッツくん」


 こうして二人は真逆の表情を浮かべ、同じ方向へと歩き出した。

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