わたしは誰?

 家路はあっという間ですぐに最寄り駅までやってきた。どう謝ろうかとばかり頭は一杯でそれまではずっと沈黙が続いていた。

 家まで残り十分くらいの公園を通りかかったあたりで口を開く決心が固まった。

「本当にごめん。多分何もしなければ和解してたんだろうけど、僕のわがまま気質というか、正義感というか、まじでバカな真似だった。ごめん」

 半歩先で早口で喋り終えると振り返って彩葉を見つめる。

 そして、


「ごめんなさい!」


 腰を直角まで曲げて全力で頭を下げた。未熟なことに僕は厨二病的な考え方から脱していない。自分が無力なのに、何故か行動してしまう。アスファルトを睨みながら後悔と反省がぐるぐると駆け巡った。


「ふふ……」


 プルプルと小刻みに笑いをこらえながら、彩葉は僕の頭を持ち上げた。


「ねぇ、なんでそんな必死なの」

「嫌われたくないからです!」


 麗しい目の光にやられてとんでもないことを口走っていた気がする。


「私に殺されるかもってのに、良くそんな」

「その件はどうにかするから」

「街を出てくとか言い出す気でしょ」

「ば、バレたか」


 ここまでコミカルに殺すとか死ぬとか言う話を始めるのは本当に馬鹿げている。でもこれまでも何度もぶつかりあってきたから、とっくに慣れてしまったのだと思う。


「お願いだから出ていかないで」


 彩葉は珍しくめの声で若干顔を赤らめさせる。色々やべぇ状況ではあるのに今日の彩葉はやけに可愛らしい。


「大体紘は一人じゃとこにも行けないでしょ?」


 ちっとも怖くないぷっくりと膨れた顔で睨まれた。高校生にしてはあまりに過保護で散々な言われようだ。


「そんなことない」

「一日居なくなっただけであなたのおばさんはとっても心配する」

「友達の家に泊まるって言えば」

「どこに泊まる気? 野宿? そんな身体じゃすぐ凍え死ぬよ?」


 矢継ぎ早に飛び出す質問攻めに苦悶の表情を浮かべるしかなかった。さり気なく僕に友達がいないことを突っついてくるし。


「なーんも考えてないじゃんやっぱ」

「これからどうにかするし……」

「へー、随分楽観的なご身分で」


 すると彩葉は公園の自販機を指さして、ねだるように見つめてきた。さっきのこともあるし、首を縦に振る。やったと飛び跳ねる彩葉。やたら無邪気だ。

 高校に進学して行動範囲が広がろうがここの公園はお気に入りだ。のどかでありふれた感じがやけにたまらなかった。

 自販機で僕はブラックコーヒー、彩葉はおしるこを手にとって東屋に腰掛けた。乾杯するとしばらくはふたりしてぼんやりとしていた。


「ねぇ、私のことを縛り付けて」

「は?」


 薄暗い東屋で素っ頓狂なことを言い出したために背筋がゾクッとした。同時にたぶん顔も真っ赤になってる。


「私を動けないようにしてくれれば紘は助かる」


 語気は強く真剣そのものだ。


「トラ助のこと覚えているでしょ?」

「その話はもういいだろ」 

「私が余計なことしたせいであの子は死んだ」


 よく遊んでいた団地で戯れていた野良猫が居た。三毛猫でトラみたいな見た目だからトラ助、とっても安直だった。僕はある日、元気だったトラ助が死ぬ未来を視た。そしてその嫌な予感を彩葉に相談した。

 正義感も情も強い彩葉は子猫の安全な場所を求めて必死に探し回ったのだ。


「あのままならあの子はトラックに轢かれずに済んだよ」


 その最中に普段おとなしいトラ助が突然暴れだし彩葉の腕から飛び出した。トラ助の向かった先は大通りで次の瞬間にはトラウマのような光景が広がっていた。


「私って感情のまま動いていつも失敗する。今日だって、そう」


 彩葉は言葉を続ける。


「私の存在は傷をつける」


 猫は自分の死期を悟ると突然人前から姿を消したがるらしい。懐いた彩葉から逃げ出そうとしたのもきっとそのせいだ。

 あのトラ助の未来に血も道路も出てきていない。しかし彩葉は聞き入れてはくれなかった。私が悪いって自らを責め立てていた。


「彩葉のそういうとこ、好きだ」


 幼なじみ相手に照れくさいけど、感情任せだった。


「我を忘れるぐらい全力でぶつかるのって誰でもできることじゃない」

「頑張らなくちゃ紘は振り向いてくれないもん」

「彩葉の頑張りは知っている。もうちょっと気楽になろう」


 彩葉のはにかんだ顔が街頭に照らされて浮かび上がる。

 だけどその頬には涙の筋が刻まれていた。


「ねぇ、紘ぉ……」


 いつの間にかどんどん溢れ出る洪水のように泣きじゃくっている。

 小枝の最後の葉っぱが地面に落ちた。冬は日が落ちるのが早くて気づけば辺りは闇一面だ。


「もうひとりの私はなんで紘をそんなに恨んでいるの? 彼女は『わたし』のはずなのに、自分のことなのにさっぱりわからない」


 声にならない嗚咽が轟く。


「私は紘のことが好き、でも紘のことが大嫌いな私がいる」


 「教えてよ」と言いながら彩葉は僕の肩にしがみついてうつむいた。


「わたしは何者なの……」


 そんな答え、決まっている。


「彩葉は彩葉だ」


 禍々しい形の雲が漂う混沌とした夜空。だけどその少しの切れ間から一等星がその存在感を放っていた。


「明日、あっちのアヤハと話してみる」

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