第9話 存在理由

 「ここに描かれた人物は架空の存在だし、その人生もそのとおりのことがあったわけではない。そういう意味では作り話だ。しかし、人間の生涯がおおむねこのような経過を辿ることについては間違っていない」


 だから小説には「本当のこと」が描かれていると男はいう。


「人は家族の中に生まれ――、そしてひとり死んでゆく。そういうことだね」


 我が身を省みて、本屋は粛然とせざるを得なかった。彼はひとりだ、家族はない。そして自分が子供の頃の記憶もなく、果たしていつからこうして存在しているのかすらあやふやだ。ことによると自身が存在し始めた頃から本屋は、いまのとおりの本屋だったのかもしれない。家族の記憶、過去の記憶、あるべきはずの本屋の「人生の記録」はいったいどこへいったのか。それとも不要な記録として本屋から――自身も【Book】の一部である彼の中から、切り離されてしまったのか。


 雨に霞むデブリファイルの黒い山が、これまでとは異なる意味を携えて視界の果てにそびえている。


 ――花屋と金物屋は、今ごろなにをしてるんだろうか。


 ふと、そんなことを思ったりした。


「これが」


 凝然として動かない本屋に男が話しかけた。


「――小説だ。これの持つ意味を少しはわかってもらえたと思う。ぼくはこれを本にしたい」


 本屋は事務机の上にある三つのファイルに目を落とした。古ぼけたファイルである。しかし、ただのファイルではない。これは小説なのだ。


 この日も男はいくつかのを小説を本屋の元に持ち込んでいた。いずれもずっと昔にシステムから切り離されたデブリファイルだった。


「本にしてあげたいのは、やまやまだが――」


 これでは足りないと本屋はいった。

 本として出版するためにはある程度のテキスト量が必要で、あまりに分量が少ないと製版コストを販売利益で回収できなくなってしまう。本屋が商売である以上、利益の出ない書籍を出版することはありえない。


「今日持ち込んでくれたものを含めても、まだわずかに足りない。あといくつかの小説を採掘できないだろうか」


 そう聞いた男は何か言いたそうな様子を見せたが、それ以上はなにも言わず、ふたたび本屋の元を去り、霧雨に煙る道を黒い山へと帰っていった。

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