第8話 恋愛感情
赤いファイルに記述されていたのは、男女の関係性の中において登場し、「恋愛」という言葉で書き表される互いの精神のありようについてだった。
赤のファイル「恋愛」
https://kakuyomu.jp/users/gigan_280614/collections/16817139557981424307
「この恋愛というのはなんだ? この精神状態に陥った者は、例外なくこの恋愛状態を継続させようとして、自身の考えとは裏腹に衝動的で不合理な選択をしているように記述されている」
結果として、そうした恋愛状態にある者は状況判断を誤り、自身にとって不利な立場に追い込まれてしまう。このようなまったく不合理な事象であるにも関わらず、ファイルには延々とこの恋愛に関する記述が続く箇所があるのだ。
「それは恋愛小説だ」
世界に溢れ続ける膨大な量の情報を効率的に取捨選択するため、【Book】内に社会生活の場を移した人類が失ってしまったもののひとつが恋愛感情だと男はいう。
「繁殖し子孫を残すといった、生物としての根源的な欲求に基づいて異性を自身の支配下に置こうとする衝動こそ恋愛感情の正体だ」
互いに恋愛感情を持つもの同士がペアリングすることは、大変な陶酔感と多幸感をその人たちにもたらす。その衝動は強烈で、恋愛感情に囚われた者は、多少不合理ではあっても意中の異性を自身のものとするための行動を起こす。燃え盛る炎ような感情の高ぶりに、小説を読む者の気持ちも同調し、あたかも自身が恋愛を体験しているかのような錯覚を得るのだという。そしてその痕跡は生身の肉体を失ってしまったいまも、人々の内にくすぶり続けているというのだ。
「それが証拠にあなたも、この『恋愛』という現象に強く心を動かされている」
なによりもその事実こそが、恋愛は確かに存在するということを雄弁に物語っているのではないか、と若い男は言った。
「では……この記述も本当にあったことなのだろうか」
本屋は、みっつめの白いファイルを示した。
白のファイル「人生」
https://kakuyomu.jp/users/gigan_280614/collections/16817139557981573241
小説のなかには何人もの人物が登場する。若い両親のもとに生まれた赤ん坊。向こう見ずな冒険に繰り出す小学生。嫉妬する感情を覚えたばかりの若者。祝福された幸福な結婚。裏切りと苦い別離。子どもとともに成長する自分。
やがて、人は老いはじめ、成長した子供らがそれぞれに家庭を持ち独立してゆくことで、その生活は落ち着いたものになってゆく。そして訪れる伴侶の死。ひとり過ごす長い黄昏の年月。やがて訪れる最後の時。
「これはどういうことなのだろうか。人が生まれ、死んでゆくまでの出来事が記述されたこれらの『小説』は、本当のことを描いているのだろうか」
男は黙ってうなずいた。
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