第2話 人魚との暮らし

 翌日、彼女は前日の宣言通りに服や生活に必要なものを次々に買い揃えていった。ちなみに部屋と寝具は来客用のものを使っている。


「そのお金はどうしたんだ?」

「前に地上で暮らしてたって言ったでしょ。その時のお金。節約して残してたんだ」

「人魚ってこっちでも暮らしてんの?」

「そだよ。まぁ地上の人には見分けはつかないと思う」


 彼女いわく、人間の姿になれるタイプの人魚は普通に陸上で暮らしているらしい。海底資源などの取引ビジネスとか、海で暮らせなくなった人が生活しているのだとか。

 とは言え、人魚なら誰でそう言う事が出来る訳でもなく、それなりに能力やら資金やらが必要になるのだとか。


「ルーリアって結構なお嬢様?」

「まぁ、そんなトコ」

「じゃあ生活に不自由なんてしてなかったんじゃ? 何で家出?」

「それはね……」


 彼女は海底を泳いでいて遺跡を見つけたらしい。好奇心に任せて探検をしていると、迷い込んだ部屋で古代文明の遺産である紅い水晶を見つけたのだとか。


「で、適当に触ってたら遺跡のシステムが稼働し始めたんだよ。私は異物認定されて、そこから飛ばされちゃったんだ」

「地元の沖にそんなものが?」

「多分違うよ。あの竜巻は時空の穴に繋がってたから」


 ルーリアの話は正直あまりよく理解出来なかった。ひとつ言えるのは、彼女の好奇心が想定外の出来事を引き起こしたと言う事。遺跡をいじった加害者であり、遺跡の作動で被害を受けた被害者でもあった。


「何で浜辺で1人になった後に海に戻らなかったんだ? 事情を話せば……」

「その遺跡って立入禁止区域にあったんだよ。戻ったら捕まっちゃう。だから頼れるのはヨシトモ、あなたしかいなかった」


 彼女は目を潤ませながら、懇願するような視線を俺に向けて飛ばしてくる。人魚の世界に戻れないなら、初対面の時のあの行動理由も納得出来ると言うものだ。

 俺はため息を吐き出すと、目の前で祈るようなリアクションをしているルーリアに手を差し出す。


「少しの間くらいならここにいてもいいよ。よろしくな」

「私に出来る事は何でもします! よろしくお願いします!」


 俺達はがっちり握手をして、同居の約束をする。少女とおっさんの同居生活は危険な雰囲気しかなかったものの、少女に見えるそれが人魚だと言う事実が俺の心の暴走を抑え込んでいた。

 ルーリアは可愛い。アイドルクラスの美少女だ。彼女が人間でない事実を知らなかったら、理性なんてすぐに弾け飛んでいただろう。


 そうそう、ルーリアが最初に俺に見せた衣装魔法。彼女はそう言う見た目の変化以外の魔法を習得していなかった。生活に必要ないかららしい。ただ、人魚によっては護身用などの目的で攻撃的な魔法を使うものもいるのだとか。

 と言う訳で、ルーリアが出来る事と言うのは普通に体を動かして家事をしてくれると言うものだった。


 地上での生活経験が既にあるので、俺から教える事は何もない。って言うか、細やかな気遣いを含めたその振る舞いは俺が知らないものまであった。一人暮らしだと、どうしても必要最低限な事しかしなくなる。掃除、洗濯、料理、全て彼女は完璧にこなしてくれていた。ミスらしいミスもない。

 そう、高級メイドさんをタダで雇う事が出来たようなものなのだ。


 そんな彼女との生活は夜明けと共に始まる。俺が布団に包まって気持ち良く夢を見ている時に、ルーリアはズカズカと遠慮なく部屋に入ってきた。


「朝だよ! 起きて起きて!」

「いいんだよ、今は……」

「いい訳ないでしょ! 無職だからって惰眠を貪っていたら普通の生活に戻れなくなるよ! 常に生活リズムはキープして、ちゃんと就活しなきゃ!」

「分かったよォ」


 こうして目覚まし時計よりも早く起こされ、洗顔と歯磨きを終える頃には既に朝食が出来上がっている。来て2日で俺の好みを把握し、美味しそうな和食の朝メニューが並べられていた。


「朝はご飯と味噌汁だけでいいのに」

「そう言う訳にもいかないでしょ。朝は生活の始まり。ガッツリ栄養つけないと」

「むちゃくちゃこっちの暮らしに慣れてるなぁ。人魚の世界もこんな感じ?」

「先生に地上で生活するためのイロハを叩き込まれてね。でも、その前からこう言う生活が夢だったから」


 そう話すルーリアの笑顔を見る限り、本心からそう思っているようだ。日本に憧れる海外の人ってこう言う感じなのだろうか。テレビで見るその手の人々の笑顔と、彼女の笑顔が重なって見えた。


 朝食を終えた俺は、身だしなみを整えてハローワークへと向かう。まぁ、すぐに良い感じの求人が見つかる訳でもない。いくらかの候補を見つけて、吟味して、相談する。時には面接の段取りを付けてもらう。

 帰り道に買い物をしたりして戻ってくると、掃除も洗濯も終わっていた。


「お帰りなさい。いい求人あった?」

「う~ん、正直言うとなかった。今は景気が悪いからなぁ」

「時間は限られてるんだよ。どこかで妥協しないと」

「むうう……」


 そんな会話をしながら台所に向かうと、テーブルには昼食が並んでいる。彼女のためにも早く再就職をしなければ。

 同居人が増えて一週間も経つ頃には、俺はルーリアに完璧にコントロールされていた。家事はテキパキこなすし、可愛いし、俺の事をよく考えてくれるし、とても有難い。


 ただ、少し困った事もあった。風呂で湯船に浸かっていた時だ。ドアの向こうから人の入ってくる気配を感じて、俺は焦って意識をそちらに向ける。


「ちょ、そこで何を?」

「背中を流そうと……」

「しなくていいから! 1人にしてくれっ!」


 お風呂で背中を流してくれるシチュエーション自体は悪くない。悪くないけどそれは恋人同士とか夫婦の話であって、これを許可してしまうと色々とダメになる気がする。だからこそ、一線は越えないようにきっぱりと否定した。

 それに、そもそも入浴中は孤独でないとダメなんだ。だからわざわざ湯船にお湯を溜めるし、この時間は自分にとってとても大切なものだった。


「ふ~、いいお湯だった」


 風呂上がりに気分の良くなった俺がリビングに顔を出すと、頬を膨らませたルーリアがじいっと俺を見つめてくる。


「私の裸は見たのに……」

「アレは事故みたいなものだろ? それに、ちゃんとは見てはいないから」

「私、魅力ないですか?」

「いやそう言う話じゃなくて」


 どうにもこの会話は歯車が噛み合わなかった。それでも何とかなだめてお風呂の件を納得させる。まぁ一方的に裸を見ちゃった事に罪悪感がないかと言えば嘘にはなるけど……ラッキーだったなとも思うけど……。正直、衝撃的すぎてほとんど記憶に残っていないんだよな。


 彼女の暴走は更に続き、今度は寝室にまで入ってきた。


「ん? もう寝たいんだけど」

「いっ、一緒に寝よ?」

「だから、そう言うのはいいからあ!」


 俺は理性をフル動員してルーリアを無理やり部屋から追い出す。この子は何か変な本でも読んだのだろうか? 彼女の本心がどうであれ、俺自身はそれ目的で家に置いていると思われるのは不本意だった。

 自然な成り行きでお互いに恋愛感情を持ってそうなるならまだしも、宿泊料金代わりに身体の関係になるのは違う。


 翌朝、何故か彼女はすごく不機嫌だった。でもそう思わせるくらいがちょうどいいだろう。頬を膨らませてはいてもちゃんと家事はやってくれているし。俺はそれだけで十分なんだ。

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