第2話

 ヨッツェムと『大人』たちの間にどんなやり取りがあったのか、それは知らない。なぜならヨッツェムは急遽引き取り先が決まったということで、そのまま戻ってこなかったから。

 僕たちにそのことを伝えに来た『大人』は、口止め料のつもりなのか、菓子をたくさんくれた。

「こういうやり方が当たり前になると困るんだ、こっちにも予定というものがあるからね、他の子たちにはヨッツェムくんがしたことは内緒にしてね」

 僕とネミュアは素直に頷いた。

「わかった、内緒にするよ」

 別にわざわざ吹聴してまわるつもりは無かったし、僕たちはそれよりも気になっていることがあったし。

「それより、ヨッツェムはもうここにはいないの? 僕たちにお別れもなしに?」

「ああ、お別れは、急なことだから、ちょっと、無理かな」

「そっか、わかった」

 物わかりの良い返事はしたけれど、僕もネミュアも、それで納得できるほどおとなしい子供じゃなかった。昼食の後で、ネミュアが僕に耳打ちした。

「あり得ないよ、ヨッツェムが僕達に何にも言わずいなくなるなんてさ」

 僕らは施設を出ても友人でいようと誓い合っていた。だからいずれ再会するために、自分がどこに引き取られるのかを教えあおうと、もう、ずっと前から決めていたのだ。

 いま思えば箱庭みたいなところで育てられたがゆえの無知だった。例えば『東京』とだけ教えられて、どうやって二十四区内千四百万人の中のたった一人を探し出せるというのだろうか。

 だけど僕らは無知で、おまけに子供だった。

「急に決まったことだから、手続きとか支度とかが忙しくて抜け出せないってのはあると思うんだよ、だからさ、こっちから会いに行ってやろうぜ」

 僕らには一つだけ、心当たりがあった。それはこの施設で唯一、僕ら子供たちの出入りが禁じられている地下室――そこには子供を引き取りにきた養い親が手続きをするための応接室があるという噂だったし、僕たち子どもはそれを信じきっていた。ヨッツェムはまだそこにいるかもしれないし、いなかったとしても、必ず何かしらのメッセージをそこに残しているに違いないと、僕らはそう考えたのだ。

 地下室への入り口は階段の下にあった。それは『大人』の背丈ほどもある大きな鉄の扉だった。

 ――ところで、僕なんかはあの施設を出て初めて知った事だが、あそこにいた『大人』は、人間の大人とは全く別種の生き物である。いや、もしかしたら地球上の生き物ですらないのかもしれない。僕はあそこ以外の場所で、あんな生物を見たことはない。

 見てくれは水を詰めて投げおいたビニール袋に似ている。水分だか肉だかわからないものを薄い皮膚に詰め込んだような。もちろん顔はない。

 開口部は体の頂点に一箇所、そこから八本の触手が伸びて手の代わりを果たす。

 馬鹿馬鹿しいことに僕らは、自分もいずれは『大人』みたいな姿になるのだと信じて疑わなかった。年ごろになると顔に出てくるニキビ、あれが『大人』化するための第一歩で、皮膚が薄くなるほど膿がたっぷりと詰まったニキビがやがて全身を覆って『大人』の姿になるのだと。

『表』で育った君らはこれを笑うだろうか、きっと笑うだろう。だけどこれは、学校二棟分しかない狭い施設の中での情報統制がどれほど簡単であるかということの証左である。

 施設に新しく連れて来られる子は、まだ言葉も知らないような赤ん坊であったし、上は大人になる手前の十八という歳までの子供しかいなかったのだから、『表』での常識など、あの頃の僕らでは知ることすらできなかった。

 だからなのだ、あの鉄の扉の向こうにヨッツェムがいるはずだと無邪気に信じたのは。今の僕ならば、あんな扉を開いたりはしない、絶対に。

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