クディアルク=ヒル
矢田川怪狸
第1話
僕は十五の歳になるまで、とある山奥にある施設で育った。外から人が来るようなことはなかったけれど、衣食住に不自由することはなかったし、清潔で陽の良く当たる幸せな場所だった。
建物は、今思えばどこかの廃校なのだろうか3階建ての無愛想な四角いコンクリートの校舎が二棟、その中を細かく仕切って小部屋が作られていた。子供は4〜5百人はいただろうか。下はようやく乳離れしたような子供から、上は18歳まで。
その中で特に仲が良かった友達が二人。一人は一つ年上のヨッツェムと、もう一人は同い年のネミュアと。僕たちはいつも、何をするにも一緒だった。
あれは僕が15歳になった年の夏、寝支度をしながらヨッツェムが言った。
「そういえばさ、エルディムのことは聞いたか?」
エルディムはヨッツェムと同い年の、少し太った少年だった。性格も見た目通りおおらかでのんびり屋で、悪く言えば少し愚鈍であった。
僕らは生活の面倒を見てもらう代わりに畑仕事や炊事や洗濯といった仕事が割り当てられていたのだが、エルディムはいつも自分の仕事を時間内に終わらせることができなかった。見かねた女の子たちが「何やってるのよ、ちょっと貸してみなさいよ」とか言ってエルディムの仕事を手伝ってやるのだが、そんなときもだらしなく笑ってゆらゆら体を揺らして立ち尽くしているような、そんな少年だった。
だから僕とネミュアは、またエルディムがなにか失敗でもしたんだろうと気楽に考えていた。
「今日は何をやらかしたんだよ、あいつ」
「また雑草と間違えてトマトの苗でも引っこ抜いたのかい?」
ヨッツェムは枕を抱えて弄びながら、不服そうに唇を尖らせた。
「そういう話じゃないよ、あいつ、養子縁組が決まったらしいんだ」
それ自体は、ここでは珍しくない話だ。ここに居られるのは十八歳まで、それまでの間には、どの子も養子に出されることになっている。
だけどヨッツェムは自分より先に愚鈍なエルディムが養子に選ばれたことに不服を感じている様子だった。
「だってさ、俺の方が勉強だってできるし、運動だってできるのにさ、養子にするなら俺の方がお得じゃん」
「まあまあ、やっぱ養子にするぐらいだとさ、相性とか性格とか、そういうのが大事なんじゃないかな」
「なんだよ、俺はあいつより性格悪いってことかよ」
「そういうことじゃなくてさ......」
「絶対俺の方が『外』に向いてると思うんだけどな」
ヨッツェムも、別に施設での暮らしに不満があったわけじゃないだろう。ただ彼は誰よりも外の世界へのあこがれが強かった。
施設にはテレビがなくて、外から訪れる人もいない。立派な図書館があって書物は潤沢に与えられていたけれど、それは紙の上に固定化された過去の情報でしかなくて、僕たちはリアルタイムでの『外』の情報に飢えていた。
「俺さ、ここを出たらオリンピックの選手になりたいんだ」
「なんだよ、オリンピックって」
「百科事典に書いてあったんだけどさ、すごく大掛かりな運動会さ。俺は誰にもかけっこで負けたことがないんだから、きっとオリンピックでも優勝できると思うんだ」
「それにはまず、『外』に出なくっちゃな」
「そうなんだよ、あ〜あ、俺も早く養子縁組したいよ......そうだ!」
ヨッツェムは急に枕をボフンと叩いた。どうやらとびきりのアイディアが浮かんだらしい。
「エルディムの養い親を見に行かないか?」
「そんなことをしてなんになるんだよ」
「わかんないかな、直接売り込むんだよ、エルディムよりも俺の方が優秀ですよって」
「そんな上手くいきっこないよ」
「上手くいくかいかないかは、やってみないと分からないだろ、俺はやるぜ」
あの時のヨッツェムの表情を、僕は今でも覚えている。明るい未来を信じて疑わない、まぶしいくらいの笑顔だった。
さっそくその翌日、ヨッツェムは施設職員の『大人』と話をつけに行った。それは僕たちも気づかないうちに。
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