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僕の母親は愛を売る仕事をしていた。
ウェーブのかかった髪と宇宙みたいに黒い眼をして、夜毎違う男を連れている。彼女は金を受け取り、男たちは皆何ももらってなかった。それを訊いたら「ベイビー、大人になればわかるわよ」って赤い唇でうそぶいてた。
いつだったかの秋の朝、ベッドで死んでいた。アスピリンを飲みすぎたせいだろう。僕は部屋中の洋服や宝石をかき集めて売り払った。大した金にはならなかった。全部紛い物だったから。僕が子供だったからかもしれない。
十六回目の春の夜、僕は愛を買った。一番安い紙幣が五枚と二杯の強いカクテルで。つまらなそうに寝そべる女の背中と仕立ての悪いベッドの軋み。愛っていうのはやけに水っぽいくせに、頭をクラクラさせる。
二十二歳の夏の昼、バスルームで夢を見てた。
空のバスタブで目を覚ました僕は一緒にいたヤツに騙されたことを知った。残されたのはビニールパンツと藍色のシャツ。綿ぼこりにまみれた帽子。トランク一杯の金は跡形もなく消え去った。
そんなことにはもう慣れっこだった。
ボーイの目を掻い潜ってホテルを出ると、メインストリートは人の海。子供たちがわけもわからずはしゃいでる。大人たちの掲げるプラカード、紙ふぶきと軽快な音楽。ドレス姿の女の人が、屋根のない車からニコニコ笑って手を振ってる。その横の偉そうなオッサンも、脂ぎった顔に精一杯の愛想笑いを浮かべていた。
僕の目の前で白いドレスが真っ赤に染まった。射的の景品みたいにコトンと倒れてく。人の流れはぐちゃぐちゃに掻き回され、トランペットの残響が沢山の悲鳴に飲み込まれていった。
それからずっと歩いていくと、人気のない汚れた街に辿りついた。僕は自嘲的に鼻を鳴らした。一時は小奇麗な姿をして上等な生活ができても、戻ってくるのは結局こんな場所だ。
僕の薄汚れた感性には汚れた場所がよく似合う。僕を騙したヤツもいつか気がつくだろう。早かったか、遅いかの違いだ。
目の前にそこらじゅうボコボコの黒い車が止まった。
「あんた、浮かない顔をしてるね」
両腕が刺青だらけの男が窓から顔を出して、僕に話し掛ける。僕は肩をすくめた。
「無一文なんだよ」
「じゃあその帽子をくれよ、一晩奢ってやるぜ」
後ろに座ってたもじゃもじゃ頭の男が、僕の帽子をひょいと奪った。そしてすかさず僕を車の中に引き込む。
「あんたが誰だか知らないけど、今夜はとにかくパーティーしたい気分なのさ!」
もじゃもじゃの頭から変な臭いがする。僕が怪訝な顔をしていたら、二週間洗ってないって、彼は犬みたいな顔をくしゃくしゃにして自慢げにいった。
「愛と平和の象徴だよ」
スパゲッティヘア、最近流行だっていうけど。
真っ赤に塗りたくった傾斜のキツい階段を転げるように下りた先にある店の名前は“Voodoo Club”、スパゲッティヘアが蝙蝠のエンブレムのついたドアを蹴り開けた。
毒々しい紫の照明に沢山の憂鬱な顔が照らされてる。目の落ち窪んだバニーガール、疲れたキャットウォークでドリンクを運んでる。セブンアップとミルクとオレンジジュース。
刺青男が天井のライトを指差してこういった。
「いいか、アイツがオレンジになったら踊らなくちゃいけないんだ。誰よりもイカれたステップで」
スパゲッティヘアがステージに駆け上がってギターを手にした。
フロア全体がザラザラした音色とオレンジ色で満たされる。壊れそうな声とキレたドラムがミキサーの刃みたいになって空気をメチャメチャにする。さっきまで死んでた奴ら、フロアが波打つくらい飛び跳ねる。屈強な男がジョッキに入ったミルクセーキをブチまけた瞬間、鈴の音が僕の心を貫いた。
スカートから見え隠れするストッキングのほつれ、テーブルの上で激しいステップを踏む色のあせた黒いエナメル。彼女のタンバリンは熟れ過ぎた苺の赤色で、髪の毛も同じ色をしてた。うねるリズムに乗って腰と肘とで撃ち鳴らす音が、光になって零れてる。
ツンと尖った鼻、少し上を向いた薄い唇、ソバカスの浮いた頬。夕焼け色に照らされる、不機嫌な黒猫みたいな横顔に見惚れてた。そんなに美人じゃなかったけど。
突然、投げ捨てられたギターの残響が天井で砕け散る。
「逃げろ!」
拳銃を持った制服警官が押し寄せてきて、客は我先に逃げ出した。刺青男が手錠を嵌められるところを見た。僕を見てニヤリと笑う。スパゲティヘアの喚き声を背に、僕は店を後にした。
「お前らなんかに渡すもんか! オレはこのクソみたいな街を愛してるんだッ!」
彼らが狙っていたのは白いドレスの貴婦人じゃない。その隣に座っていた、脂でパンパンの男だった。新しい市長だ。でも、そんなことは僕に関係ない。誰が死んだって、この街がどうなったって。どうせすぐ出ていってしまうから。
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