ヘリオトロープ
三次空地
1
「アタシ、ほんとは赤毛なの」
彼女は長い金髪を掻きあげた。言葉が白い流れになって夜気と混ざり合う。僕の唇から抜けていく煙が、ゆらゆらと陰になって逃げていった。
ソーダ水を溢した星空の下で、風の吼える声と彼女の乗ったブランコの軋みがお互いの尻尾を追いかけあっていた。不気味にさんざめく木立は昼間の喧騒をまねた亡霊たちの声。
「だからアタシ、自信がなくて。ねえ、男の人にはそんなことわかりっこないと思うけど」
「ありふれててつまんないものに憧れるところはね」
マスカラは涙で剥げちゃって何だか滑稽。だけど肌を沢山の油と色で塗りこめたって、目の色までは変えられない。心の奥に繋がってるから。
「でも、赤毛の女の子は好きだよ」
彼女は僕をバカにしたように鼻で笑ってから、少しだけ泣きそうな目をした。
「いいの。慰めないで。余計に惨めじゃない」
「慰めたわけじゃない」
「……可哀想だって思ったんでしょ、アタシのこと」
「可愛い子がいたからナンパしてみただけだよ」
口紅の剥げた唇が弱弱しく微笑った。
「アンタって優しいのね」
彼女はブランコを緩く漕いだ。僕はちびた煙草を地面に落として靴の先で踏みにじる。
「あの人いったのよ、『僕たちどこにいくのも一緒だ』って。嘘だったの、全部。きっとはじまりから!」
「彼が憎い?」
「そうね、憎い。とてもね」
鎖を握り締める彼女の指はひどく頼りない。彼女の掌に力を込めさせているのは怒りなんかじゃないってこと、僕は知ってる。
「だから、殺したんだ」
彼女は真っ直ぐな視線を僕に向けて、やがて
「よくわからないの。本当はね」
一緒に住んでた男を殺してしまったんだっていう。
隣にいたのは生まれつき金髪で、ブルーの瞳で、少し頭の弱い女の子。知らないわけじゃない、だってその子は自分の妹。
キッチンにあったナイフを握り締めたとき、どんな気持ちだったのかなんて彼女にしかわからない。わからないけど、だからって彼女が悪いだなんて僕にはいえない。血に汚れてる自分の手を見ながら、彼女は震えてた。叫びかたも忘れて。
「悪いことをしちゃったんだわ」
彼女は自分の腕で自分の胸を抱いた。暖かなはずのコートも、彼女の震えを取り去ってはくれない。針の欠けたブローチ。お気に入りの洋服。すべて心を凍えさせてしまうんだから。僕は名前も知らない恋人を抱きしめる。
「君は僕の好きな匂いがする」
チェリーパイみたいに甘酸っぱい匂い。記憶の中でいつも微かに香ってる、あの子によく似た。
「ヘリオトロープって花なの」
女の人の身体って壊れそうなくせに、その実すごくしなやかで。こんな風にされるために出来てるような気がする。でも、回される腕が誰のものかなんて関係ない。大切な事だって思い込んでるだけだ。鼻腔に流れ込んだ脂粉の甘ったるさが劣情を掻き乱してくるから、バランスを失って揺れたブランコのせいにしてキスをした。
人が孤独を語るときはいつも鹿爪らしい顔して難しい言葉を並べるけど、本当に寂しいときは一瞬の渇望を癒すことができたならそれでいいんだ。僕はそういう風にして生きてきた。僕のどうしようもない欲望に応じてる彼女だって、きっと。
愛なんて神様の作ったトラップだから、貪り尽くしたらどこかに消えてしまう。はじめからなかったみたいに。そんなこと失う前からわかってるのに。
湿った吐息を絡めあったあとの空気は、深く透明に冴えていた。
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