第65話 術中に嵌る俺

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、起きてってば」

「うぅ……」


 翌朝、瞼を開けると、そこには俺の身体に馬乗り状態になりながら、俺へ声を掛ける妹の紫音の姿があった。


「紫音……おはよう」

「おはようお兄ちゃん。早く起きて、学校遅刻しちゃうよ」

「分かった」


 紫音はすぐに俺の身体から降りて、ベッドの端へと移動する。

 解放された身体を起こして、俺は大きく伸びをした。


「ふぁぁ……うぅっ、耳がぎもぢわるい」

「何ってるの? むしろご褒美でしょ?」

「いや、確かにご褒美ではあったけど、あれはやりすぎだ」

「いいじゃん。いっぱいシてもらえて」

「うぅ……」


 オイルの感触が、まだ耳に残っていて気持ち悪い。

 昨日、夏川ゆらと緑ヶ丘ミドリによる特別両耳マッサージにより、俺は完全に昇天しきってしまい、気づいたら意識を失っていたのだ。

 ふらふらとした足取りでベッドに寝転がった記憶はあるので、恐らくそこから深い眠りに落ちてしまったのだろう。


 にしても、俺が嫉妬してしまったとはいえ、特別マッサージという名の、愛しの二人から送られたダブル両耳マッサージは反則過ぎた。

 もう何もかも忘れて、理性を放棄して二人と一線を越えてしまいそうになるのを必死に我慢するのがやっとだったのだから。

 昨日の俺は、過去最大級に情けない醜態をさらしてしまったのだろう。

 見た感じ紫音は何とも思っていない様子だけど、奥沢さんにはなんと思われているのだろうか?

 不安で仕方がない。

 そんな気持ちを抱きつつ、リビングへと降りて朝食を取っている時だった。


 ピンポーン


 っと、インターフォンの鳴る音が聞こえる。


「はいはーい!」


 紫音が受話器を持ち、画面を眺めながら対応する。


「あっ、どもども! はい、今行きますね!」

「……誰だ?」

「何言ってるの? そりゃもちろん、愛しの彼女さんに決まってるでしょ」

「いやいや、別に彼女じゃねーし」

「はいはい、嘘乙ー」


 そう言いながら、紫音は廊下を出て行ってしまう。


「……何で奥沢さん、朝から家に来たんだろう?」


 もちろん、昨日の配信を通じて紫音と仲良くなってくれるのはとてもいいことなんだけど、俺は俺で色んな勘違いが生まれてしまうのではないかという心配が湧いてきたのだ。

 そんなことを考えているうちに、紫音が奥沢さんをリビングへと連れて来る。


「おはよう、雪谷君」

「おう、おはよう奥沢さん」


 お互いに挨拶を交わすと、何故か奥沢さんは頬を赤く染めてモジモジとしてしまう。


「ん、どうしたの?」

「だ、だってぇ……」


 奥沢さんは、まるで俺が悪いといった様子でこちらを見つめて来る。

 すると、後ろにいた紫音がニヤニヤとした顔で奥沢さんの肩へ手を置いた。


「ほんと、罪な兄でごめんなさい。もうお兄ちゃん、昨日優里香ちゃんの告白にOKしたの忘れちゃったの?」

「えっ……えっ⁉」


 確か昨日は、お互いのことを意識しているかどうかだけで話は終わったはず。

 告白未遂みたいな感じで、俺たちの関係を明確に進めた記憶はない。


「はぁ……やっぱりお兄ちゃん、本当に覚えてないんだね。最低」

「まっ、待ってくれ! 頼むから、俺がいつ告白したのか教えてくれ」

「はぁ……私たちがオイルマッサージしてるときに、優里香ちゃんから聞かれて返事返してたよ」

「……マジで?」

「うん、マジで」


 マジかぁ……。

 俺、やっちまった系?


 恐る恐る視線を奥沢さんへ移すと、彼女は今にも泣きそうな顔でこちらを見つめてきていた。


「雪谷君、あんなに愛の籠った情熱的な言葉を交わしたのに、嘘だったの?」


 ヤバい、ヤバい!

 これはまずいぞ!


 俺は冷や汗をたらたら掻きながら、懸命に言葉を探した。


「そ、そんなわけないだろ。男に二言はないって」

「それじゃあ、昨日私が何て言ったか覚えてる?」

「え”⁉ そ、それは……」


 もちろん、快楽の海に溺れていた俺が覚えているわけもなく、口ごもってしまう。


「はぁ……やっぱり私への愛は惰性で行った嘘だったんだね」

「いやっ、待ってくれ! 違うんだ! その……俺は本当に奥沢さんの事!」

「私のことが……何?」


 目じりを手で押さえながらちらりとこちらを見据えてくる奥沢さん。

 俺はごくりと生唾を飲み込んでから、ゆっくりと今の気持ちを口にした。


「俺は、奥沢さんの事が好きだ。だから、仮の彼女じゃなくて、本当の彼女にしたいと思ってる」

「本当に?」

「あぁ……本当だ」


 俺が言いきると、数秒の沈黙の後、クスクスと笑い声が聞こえてくる。


「お、奥沢さん?」

「ふふっ……ありがとう、雪谷君! やっと素直になってくれたんだね」

「えっ……? ど、どういうこと?」


 俺が困惑しているうちに、紫音と奥沢さんが仲良くハイタッチ。


「やったね、優里香ちゃん」

「うん、ありがとう紫音ちゃん」


 状況が理解できず、俺は唖然としてしまう。


「ど、どういうことだってばよ?」


 俺が尋ねると、紫音がにやりとした悪い笑みを浮かべる。


「だって、別にお兄ちゃん、昨日優里香ちゃんに告白なんて受けてないもん」

「……はぁ⁉」


 つまり、俺は二人にまんまと嵌められたということだ。


「ごめんね、雪谷君。どうしても雪谷君の口から言って欲しくて、紫音ちゃんにお願いしたの」


 二人はグルだったということだ。

 にしてもまさか、朝から妹の前で公開告白をすることになるとは……。


「うぅ……恥ずかしすぎる」


 俺は思わず両手で顔を覆ってしまう。

 二人して俺を嵌めるなんて酷いやい。

 俺が悲しみに暮れていると、俺の肩口がポンポンと叩かれる。

 顔を上げた先には、奥沢さんがこちらを覗き込んでいて、彼女は満面の笑みを浮かべて言い放った。


「雪谷君……じゃなくて、れ、礼音君。これから末永く、よろしくお願いします」


 そう言って、律儀にお辞儀をしてくる奥沢さんに対して、俺はしどろもどろになりながら返事を返す。


「う、うん……こちらこそよろしく」

「えへへっ」


 嬉しそうな表情を浮かべる奥沢さんを見ていると、嵌められたとはいえ、告白したことが良かったのだと思えてきてしまうから不思議だ。

 こうして俺は、高校生活において、初めての彼女を手に入れたのである。

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