第61話 緑が丘ミドリの正体
「えっ……雪谷君⁉」
「奥沢さん⁉」
そこにいたのは、私服姿の奥沢さんだった。
半袖の青いシャツにロング丈の白のフレアスカートを身にまとい、黒のショルダーバッグを肩に掛けている。
「えっ……も、もしかして、緑が丘ミドリって……奥沢さんだったの⁉」
俺が言うと、奥沢さんはキョロキョロと視線を泳がしながら、俯きがちに首を振った。
「うん……ごめんね、今まで黙ってて」
「……マジか」
衝撃の事実に驚きを覚えるとともに、どこか納得している自分もいた。
通りで、あれだけ耳かきが上手だったり、男子が理想としている女の子とのイチャイチャシチュエーションを良く理解しているわけだ。
「えっと……このことは、誰にも言わないで欲しいんだけど……」
「当たり前だよ。誰にもいわないよ」
「本当に? だって私、雪谷君にもずっと黙ってたのに」
「流石にこれは言いずらいでしょ。俺が奥沢さんの立場でも、多分言えないと思うし」
「そっか……ありがとう」
「どういたしまして」
感謝されるほどの事ではないと思うが、まあアダルト系のASMRコンテンツに現役の高校生が声を当てている時点で結構際どいもんなぁ……。
とまあそれはさておき、今日の奥沢さんは紫音のお客さんだ。
しっかり兄として、おもてなしをしなくては!
「ごめんね、今紫音は配信の機材準備してるから、とりあえず上がっちゃって」
「うん、それじゃあお言葉に甘えて、お邪魔します」
まさか、こんな形で俺の家に奥沢さんが来ることになるとは予想外だったけど、ひとまず玄関で靴を脱いでもらい、リビングへと案内する。
「ソファでもリビングの椅子でも、好きなところに座ってくつろいでて。俺は飲み物用意してくるから」
「うん……ありがとう」
相変わらず奥沢さんは落ち着きのない様子で、辺りの様子をキョロキョロと見渡している。
俺はキッチンへと向かい、冷蔵庫で冷やしておいた麦茶をグラスへと注ぎ込む。
注いだグラスをおぼんにのせて、俺は奥沢さんの座るテーブルへと持っていく。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
ぺこぺこお辞儀をする奥沢さんの向かい側の席に俺も座り込む。
奥沢さんがコップに入ったお茶を一口飲むと、ほっと息を吐いた。
「おいしいです」
「ならよかった」
「……」
「……」
しかし、そこで俺たちの会話は途切れてしまう。
気まずい沈黙がリビングを包み込む。
それを払しょくするようにして、俺は口を開いた。
「それにしても、まさか奥沢さんが家に来るとは夢にも思ってなかったよ」
「私も、まさか雪谷君の家にお邪魔することになるとは……」
「ごめんね、なんか突然になっちゃって」
「ううん。私の方こそ、黙っててごめんなさい」
「いいって、いいって。さっきも言ったけど、仕方のないことだから!」
俺が手を振りながらそう言うと、奥沢さんはちらりと様子を窺うように見据えてきた。
「幻滅……しないの?」
「どうして?」
「だって、雪谷君に今まで黙ってたんだよ? それに、アダルト系のASMRに声当ててるわけだし……」
「まあ、正直驚きはしたけど、それで奥沢さんに嫌悪感を抱いたりとかは全くしてないよ」
「本当に?」
「あぁ……というかむしろ、あんな過激なセリフを奥沢さんが囁いてるんだって思ったら、ちょっとゾクゾクしてたりしてます……はい」
「も、もう! 雪谷君のバカ」
頬を赤く染め、拗ねたように唇を尖らせる奥沢さん。
俺たちの間にあった気まずさは、もう既に消えていた。
「お待たせしました!」
すると、機材の確認を終えた紫音がリビングへとやってきた。
「お邪魔してます、紫音ちゃん」
「どうも奥沢先輩。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
お互いペコペコと頭を下げ合う中、俺はふと思った疑問を口にする。
「ってか、紫音はいつ緑ヶ丘ミドリが奥沢さんって知ったんだ?」
「知ったのはボイスを収録した時だから意外と最近だよ。まさか奥沢先輩だとは思ってなかったからびっくりしたけどね」
どうやら、紫音も最初から知っていたわけではなかったらしい。
「それで? どうなわけ? クラスメイトの美少女が、実はエッチなASMRボイスに声を当ててるって知った感想は?」
そう言って、茶化すように突いてくる紫音。
「正直、めっちゃそそられるな」
「ちょっと雪谷君!」
俺の感想に、顔を真っ赤にして声を上げる奥沢さん。
とまあ、そんな感じで、コラボの時間まで、三人で和気藹々とした時間を過ごした。
そして、迎えたコラボ配信――
俺はドキドキしながら自室で配信が始まるのを正座待機して待っていた。
だがしかし、まさかこの後、俺の予想をはるか上に行く出来事が起こることなど、この時の俺は全く想像もしていないのである。
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