第43話 黒亜の決意

 配信が始まって何時間が経過したのだろうか?

 俺と黒亜が座り込む廊下は、静寂で薄暗い空間に包まれていた。

 窓も時計もないため、今何時なのかも全く分からない。


 ボーッと白い壁にあるわずかな傷や汚れなどを見つけてじぃっと眺めながら、俺が意識を朦朧とさせて舟をこいでいると、がちゃりとリビングの扉が開いた。

 ちらりと視線を向けると、リビングの方から水穂さんが顔を覗かせている。


「配信終わったよ。ごめんね、夜遅い時間にそんな狭い所で寝かせることになっちゃって」


 隣では、黒亜が礼音の肩に頭を預け、スヤスヤと眠りについていた。

 俺は、黒亜を起こさぬよう出来るだけ小声で答える。


「いえいえ、むしろ突然押しかけてしまったこちらにも非はありますので、お気になさらず」

「ろくなもてなしが出来なくてごめんね。ささっ、配信も終わったことだし、こっちに入っておいで」


 そう言って、水穂さんがスイッチを押すと、パッとオレンジ色の眩しい蛍光灯の光が廊下を照らした。

 部屋が明るくなり、隣で眠っていた黒亜も目を覚ます。


「んんっ……はっ⁉ ヤバッ、アーシ寝ちゃってた……」

「おはよう黒亜、理恵さんの配信終わったらしいから、リビングに戻ろう」

「う、うん……」


 黒亜は預けていた肩から頭を離して、ゆっくりと立ち上がる。

 俺は黒亜の後に続いてすっと立ち上がり、理恵さんがいるリビングへと向かって行く。

 リビングへ戻ると、配信を終えた理恵さんが服を着終えた状態でソファに座って佇んでいた。

 二人が戻ってくる姿を見て、切ない表情を浮かべている。


「ごめんなさいね二人とも、狭い所で待たせてしまって」

「いえ……俺は平気です」


 俺はそう返事を返して、黒亜へ視線を向ける。

 黒亜はきゅっと唇を引き結び、歯がゆい表情で理恵さんをじっと見据えた。

 そして、ようやく重苦しい様子で口を開く。


「あれが……お姉ちゃんのやりたいことなの?」

「……えぇ、そうよ。私は色んな人に自分の良さを知ってもらいたいの」

「それがたとえ、あんなお金目的の不純な動機でも?」

「あ、あれはその……」


 理恵さんが口籠る中、咄嗟に水穂さんがフォローを入れる。


「黒亜ちゃんに誤解を生まないように言っておくと、理恵はお金集めのためにやってるわけじゃないんだよ。最初はただ、ASMRを純粋に楽しみたいって気持ちで私の誘いに乗ってくれたの。でも、配信を重ねていくうちに、気づいたらあぁいう配信スタイルになっちゃってたってだけなんだよ」

「ですよね。プロフィール見ても、サキュバスのお姉さんっていう癒し設定でしたし……。なのに、どうしてあんな罵られ系配信者になっちゃったんですか?」

「ふふっ……礼音君。それはね、理恵の本能が目覚めちゃったの」

「本能というのは?」

「分かりやすく言っちゃうと、理恵はMっ気の才能があったってことだよ!」

「ちょっと水穂! 変なこと言わないで頂戴!」


 恥ずかしさに耐えられないという様子で、顔を真っ赤にした理恵さんが俺と水穂の会話を遮ってくる。


「お姉ちゃん」


 そこで、黒亜の鋭い声がリビングに響き渡り、辺りは一瞬で静まり返る。

 再び、重苦しい沈黙が流れる中、黒亜が厳かに口を開いた。


「……私もやる」

「えっ?」


 理恵さんが呆けた声で聞き返すと、黒亜は顔を真っ赤にしつつ言い放った。


「だからっ! 私もお姉ちゃんと一緒にASMR配信やるって言ったの!」

「あらぁー本当に? これぞまさに姉妹丼じゃない! 大歓迎よ!」


 喜ぶ水穂さんを横に、俺は慌てて待ったの声を掛ける。


「ちょっと待て黒亜、正気か⁉」

「だって、お姉ちゃんだけがあんなに惨めな姿を世に曝け出してるなんて耐えられない! それならアーシも、お姉ちゃんと同じ土俵に立ってた方がマシだっての!」


 黒亜の強い意志を感じ、俺は返す言葉が無くなってしまう。

 なにより、理恵さんに対するリスペクトと愛を感じているからこその言葉であることが、ひしひしと伝わってきたから。


「黒亜……」


 理恵さんは申し訳なさそうな様子で黒亜を見つめている。


「私だってもう子供じゃないんだよ。少しぐらいは役に立たせてよ……」


 目を潤ませながら、必死に理恵さんへ訴えかける黒亜。

 それは、二人がご両親を亡くしてから、理恵さんが大学を中退してまでお店を継ぎ、ここまで必死に一人で背負ってきた重荷みたいなものを、少しでも分け与えて欲しいという、黒亜の心の底から思う願いだったのかもしれない。


 妹からの気持ちを真正面から受けた理恵さんは――


「別に、これは私の趣味の一環であって、黒亜が無理する必要のない事よ?」

「分かってる。なら私は、あんなすべて身を曝け出さなくても良いように、もっと快適にお姉ちゃんが趣味を堪能できるように手伝うだけ」

「……そう。黒亜の意思は、相当固いようね」


 理恵さんは俯いてから一つため息を吐くと、すっとソファから立ち上がって黒亜の元へと近寄っていく。

 向かい合う形で二人が見つめ合うと、理恵さんはすっと慈愛のある笑みを浮かべた。


「全くもう……本当に黒亜ちゃんは優しくて世界一可愛い妹なんだから」


 そう言って、理恵さんは黒亜の頭に手を乗せて、ヨシヨシと優しく撫でる。

 黒亜も気恥ずかしそうにしつつも、にっこりと理恵さんに向かって微笑みを返す。

 一番近くで二人を見てきた俺にも、付け入る事の出来ない二人だけの空間がそこには広がっていた。


「うんうん、これぞまさに仲良し姉妹丼。早速いいものが見れそうだ」


 姉妹の感動をよそに、俺の隣では、水穂さんが腕を組みながらふむふむと頷いて、妄想を捗らせている。

 何がともあれ、黒亜がASMR配信者になるという方向で話がまとまり、真っ暗だった夜空に陽の光が段々と差し込んでいく夜明け前の日となった。


 結局、俺の収穫といえば、黒亜が夏川ゆらではなかったということ。

 夏川ゆら探しは、振出しへと戻ってしまったのであった。

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