第41話 理恵さんの正体

「ここよ」


 理恵さんの連れてこられたのは、とあるマンションの一室。

 ピンポーンとインターフォンを押すと、中から出てきたのは赤ふち眼鏡の妙齢な女性だった。


「こんばんはー。初めまして、理恵の同級生の久我原水穂くがはらみずほでーす」

「初めまして、妹の大塚黒亜です」

「えっと、幼馴染の雪谷礼音です」


 家の前で自己紹介を交わすと、理恵さんが申し訳なさそうに水穂さんへ謝る。


「ごめんね水穂。大人数で押しかけちゃって、迷惑じゃなかった?」

「私は全然平気平気!」


 そう言いつつ、水穂さんは四角い赤渕の眼鏡をクイッと上げて、まじまじと黒亜を見つめた。


「ふむふむ、君が理恵の妹さんね。前々から理恵から話は聞いてたわ」

「ど、どうもです……」


 じろじろ見られるのが恥ずかしいのか、黒亜は身体をもじもじとさせて落ち着かない様子。


「意外と似てないわね」

「いや、似てるでしょ!」


 水穂さんの正直な感想に、理恵さんが突っ込みを入れると、今度は俺に視線が向けられる。


「それで、それで! こっちが何と幼馴染とな⁉」


 眼鏡をクイッとさせて、俺を興味津々な様子で舐め回すように見つめてくる水穂さん。


「あはは……理恵さんがいつもお世話になってます」


 俺は苦笑いを浮かべつつ、愛想笑いを浮かべることしか出来ない。


「ふむふむなるほど……むふふ、理恵ちゃんも隅に置けないねー」

「な、何がよ?」

「こんなにイケメンな男を侍らせておくなんて勿体ない。是非私のサークルの顔になってほしいぐらいだよ!」

「言っておくけど、礼音君はどちらかというと聴く側よ」

「おぉ! まさかのそっち側だったかぁー!」


 水穂さんがテンション高く額に手を当てる。

 二人が何の話をしているのか全く分からず、唖然としていると、黒亜が恐る恐る声を上げた。


「えっと……お姉ちゃんと水穂さんは、こんな深夜から一体何をしてるんですか?」

「それは、見て貰った方が早いかな! ささ、上がって、上がって!」


 水穂さんに案内されて、家へと上がらせてもらう。


「お邪魔します」

「お、お邪魔します……」


 恐る恐る部屋へとお邪魔する。

 玄関はいたって普通の家と変わりない。

 靴を脱ぎスリッパへと履き替えて、リビングへと案内される。

 リビングは、中央にテーブルが置かれている、一見普通の家庭と変わりない内装。

 しかし、リビングの奥の方に、異様な光景が広がっていた。

 

 もう一つの小さなテーブルの上に乗せられた大きなデスクトップPCや機材類の数々。

 そして、その横にある謎の敷居で塞がれたテントのような空間が広がっていた。


「あ、あれってもしかして、防音室⁉」

「よくわかったねー! これは私が簡易的に自作した防音室だよ。あそこの中で楽器を弾いたり、音声を録音したり出来るようになっているのー!」

「そうなんですね」


 防音室と聞いて、俺は納得する。

 黒亜も防音室を物珍しそうに眺めつつ、水穂さんへ質問する。


「防音室の中にある人の顔みたいなのはマイクっすか?」

「そうだよー! KU100っていうダミーヘッドマイクで、バイノーラル音声出したりすることが出来るのー!」


 意気揚々と水穂さんが説明する中、俺は驚きの声を上げてしまう。


「KU100⁉ あれって確か、すべて受注生産だったはず……一台百万はする奴ですよね⁉」

「おぉ、よく知ってるね! 流石は聞き専礼音君。よく知ってるじゃない」


 水穂さんが俺を褒める中、一人だけ状況の分かっていない黒亜が袖をくいくいっと引いてくる。


「そのケーユーヒャク? ってやつ、そんなに凄いの?」

「凄いも何も、ASMR界では有名な機材だよ。いつもは音を配信で楽しんでる側だから、本物は見たことがなかったけど初めて見た」

「それだけじゃないよ。黒3dioに白3dio。スタンド型までよりどりみどりだよ!」

「す、すげぇ……」


 俺が感動を覚えていると、さらに混乱した様子で黒亜が袖を引っ張ってくる。


「ねぇねぇ……結局その機材とお姉ちゃんに何の関係があるの?」

「つまり理恵さんは、ASMRのお仕事をしてるってことだよ」


 俺が簡潔に説明すると、黒亜がぎょっとした顔を浮かべる。


「えっ⁉ つまりお姉ちゃんは、ASMRボイスを収録してるってこと⁉」

「まあそんなところだ」

「嘘⁉ あのお姉ちゃんがASMR⁉」


 黒亜が信じられないといった様子で理恵さんを見つめる。


「実は、昔からちょっと興味があったのよ。そしたらたまたま、水穂にASMR配信者をやらないかって誘われてね。思い切ってやってみることにしたのよ」

「そう言う事! 理恵ちゃんの場合、正確には収録っていうより、深夜からY〇uetubeで生配信してるんだけどね」

「えっ⁉ そうなんですか⁉」


 水穂さんの言葉に、俺が驚きの声を上げてしまう。

 そこでふと、一つの仮説が立ち上がる。


 確が理恵さん、俺が手紙を昇降口で見つけた日、学校に来てたって言ってたよな。

 もしかして……理恵さんが、俺の求めていた夏川ゆら……なのか⁉


 突如現れた第三の刺客に、俺が瞬きをしながら呆然としていると、水穂さんがけろっとした口調で言い放った。


「ふふっ、びっくりした? 彼女はね、結構再生回数稼いでるのよ」

「そ、そうなんですね……それでその……配信者名は?」


 俺が緊張した面持ちで水穂さんへ尋ねると、不敵な笑みを浮かべながら答えた。


「理恵の配信者名は――」


 一つ間を置いた間に、俺はごくりと生唾をの込む。

 水穂さんはすっと微笑みながら言い放つ。


「『桜坂ヴィラ』って検索すれば、Y〇utube出てくるわ」

「ちょっと水穂! 恥ずかしいから配信者名を教えないで頂戴」


 頬を真っ赤に染める理恵さんをよそに、俺はポケットからスマートフォンを取り出して『Y〇utube』のアプリを開き、検索欄に『桜坂ヴィラ』と検索をかける。

 すると、数本のASMR配信のアーカイブとチャンネルアイコンが表示された。


「えっ……」


 ひとまず、理恵さんが探し求めている夏川ゆらでなかったことにほっとしたのも束の間、表示されたサムネイルとタイトルを見て、俺は呆然としてしまう。

 そこに書かれていたのは、『ご奉仕レロレ〇耳舐め』、『耳奥グチョグチョ耳舐〇』など、センシティブ用語が羅列しているのだ。

 概要欄には、Twit〇erへのURLも貼られており、俺はすかさずクリック。


 自己紹介には、『悪魔からやってきたサキュバスお姉さんASMR配信者の桜坂ヴィラよ。魔界の学園に通う娘の学費の為に、ASMR配信者として現世へと舞い降りてきたわ。今宵のあなたのお耳をペロペロのトロトロにしてあ・げ・る♡』と書かれていた。


 サキュバス特有の露出度高目な黒水着のような衣装に身を包んだ、銀髪のボインボインサキュバスがアイコンで舌なめずりをしてこちらを見つめている。


 このえっちぃお姉さんの中の人が……理恵さん。


 俺がスマホから理恵さんへ視線を移すと、理恵さんは恥じらうように両手で自身の胸元と顔を器用に隠した。


「やめて……そんな目で見ないで頂戴!」

「まあまあ、別にいいじゃないか。誰にでも特性というものはあるものさ」


 水穂さんが軽いノリでなだめると、理恵さんはぎろりと水穂さんを睨みつけた。


「み、水穂だって、那波ななみつぼみで有名でしょうが!」

「えっ⁉ 那波つぼみ⁉」


 その名前にも聞き覚えがあった俺は、驚きの声を上げてしまう。


「おや、名前を知っているってことは、私の作品でヌいてくれているのかな?」


 恥じらうこともなく、にやりと悪い笑みを浮かべて俺を見つめてくる水穂さん。


「い、いつもお世話になってます」

「ふふっ、どういたしまして」


 またも、何のことかわからない黒亜がくいくいっと袖を引っ張ってくる。


「ねぇ……どういうこと?」

「悪い黒亜、そこは察してくれ……」


 俺が視線を逸らすと、黒亜はきょとんと首をかしげる。


「男の子だもの。仕方ないわよね」


 理恵さんまで微笑ましい表情でこちらを見つめてきている。

 恥ずかしくてこの場にいられない。

 那波つぼみは、販売サイトDOsiteでの歴代販売累計本数二位を誇るエチエチASMRボイスの声優であり、R18ASMRを夜のオカズにしている者にとっては知らぬ人はいないであろう有名なASMR声優さんである。

 まさか、目の前にいる水穂さんが那波つぼみだとは夢を見ているみたいだ。


「黒亜ちゃん。ちょっと」


 すると、水穂さんがにやにやしながら黒亜を手招きして、内緒話をするかのように小声で話し出す。

 話を聞き終えた黒亜はポっと顔を真っ赤にして、俺を睨みつけきた。


「最・低」

「勘弁してくれ……」


 水穂さんが、黒亜へ真実を伝えたらしい。

 俺が肩身狭くしていると、水穂さんやってきて、耳元でささやいてくる。


「何なら後で、お姉さんがリアルでシてあげてもいいわよ?」

「なっ⁉」


 魅惑の誘惑に、俺の意思が揺らぐ。


「こら水穂! 礼音君をそうやって弄ぶのは辞めなさい」

「怒られちゃったわ。残念」


 可愛らしくペロっと舌を出して、水穂さんはすっと俺の元から離れていく。

 水穂さんの魔性の女な雰囲気が半端じゃない。

 これ以上からかわれないように、気を引き締める。


「ほら、そろそろ準備始めないと、配信まで時間ないわよ」

「そうだね。そろそろ始めようか」


 すると、水穂さんは防音室の横にあるデスクトップPCへと向かい、理恵さんはというと、なぜかその場でいきなり身に着けていた服を脱ぎ始めた。


「なっ……ちょっとお姉ちゃん何してんの⁉」


 俺が呆然と立ち尽くしていると、黒亜の手で視界を塞いでくる。


「何って、配信の準備よ」

「だからってどうして服を脱ぐ必要があるの⁉」

「あれなのよ。ASMRってかすかな雑音でも拾っちゃうから、防音室の中でエアコンとか効かせられないのよ。だから、いつも配信するときは下着姿でやってるの」

「な、なんだって⁉」


 防音室完備のASMR配信者は裸で配信するとよく言われていたけれど、まさか本当だったとは……都市伝説かと思っていたのに。


「ほら、アンタはしばらく廊下で待ってなさい!」

「うおっ……」


 黒亜に背中を押されて、俺は一人廊下へと追い出されてしまう。


「えっ……どうすればいいの俺?」


 俺は結局、リビングへ入れてもらうことを許されることはなく、桜坂ヴィラの配信が始まってしまう。

 何もしないで待ちぼうけというのももったいないので、スマートフォンでY〇utubeを開き、せっかくなので桜坂ヴィラの耳舐めASMR配信を聴くことにした。

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