第29話 主従関係成立?

 恐怖の中迎えた放課後、俺は理科実験室へと足を運んでいた。

 ドンドンと、恐る恐る扉をノックする。


「はい」

 

 直後、中から悠羽の声が聞こえてくる。


「し、失礼します……」


 ゆっくりとスライド式のドアを開き、教室の中を覗き込むと、昨日と同じように教壇のところに置いてある机の前、三脚台の上に乗せられた三角フラスコの中に入った水を、火のついたアルコールランプで沸騰させている白衣姿の悠羽がいた。

 悠羽は昨日よりも機嫌が良いようで、にこやかな表情を浮かべている。

 不気味に微笑んでいる悠羽を見て、俺は思わず足下がすくんでしまう。


「入りなよ」

「お、おう……」


 入り口で立ち尽くしていると、悠羽に促されたので、俺はそっと扉を閉めて、教室内へと入った。

 昨日と同じように、適当な木椅子を持ってきて、悠羽の向かい側へと腰掛ける。


「ちょっと待ってて、もうすぐ沸騰するから」


 悠羽の言う通り、俺が椅子に座ってから十秒も経たぬうちに、ブクブクと水面が波打ち、フラスコ内のお湯が沸騰する。

 そして、フラスコからビーカーへと沸騰したお湯を移し、どこからか取り出しのか分からないココアパウダーをビーカーへと注入し、ガラス管でぐるぐるとパウダーが溶け込むようにかき回していく。


「はい、お待たせ」

「あ、ありがとう……」


 ビーカーに注がれたココアを受け取り、俺は何度かフーフーっと口で冷ましてから、ちびちびと啜った。

 その様子を、頬杖を突きながらにやにやと眺めてくる悠羽。

 飲んでいる姿を見られるのが居心地悪くて、俺はん”ん”っと咳払いをする。


「えっと……何?」


 気まず過ぎて声を掛けると、悠羽はにやりと微笑みながらこてんと首を傾げた。


「分かってるくせに」

「うっ……」

「ふふっ……今の雪谷からかうの面白―い」

「ひ、人をおもちゃみたいにからかうな!」


 そう言って、俺はココアをもう一口飲んでから本題へと入った。


「悠羽って、園田わかばっていうASMR配信者だったんだな」

「ふふっ、驚いた?」

「そりゃまあびっくりしたよ。でも、なんでASMR好きがバレた俺にも寛大だったのかは理解した」

「そう」

「それでさ……昨日探したんだけど、結局奥沢さんらしき配信者は見つからなかったんだよね。悠羽は何か知ってるんだよな?」


 俺が尋ねると、悠羽は意味が分からないといった様子で首を傾げた。


「別に、何も知らないけど?」

「……はっ?」


 悠羽の疑うような言葉に、俺は唖然とする。


「だって私、奥沢優里香がASMR配信者なんて一言も言ってないでしょ?」

「はぁ⁉ 悠羽はそれを知ってるから、自分がASMR配信者だってことを俺にばらしたんじゃないのか?」

「違うけど。雪谷は何勘違いしてるわけ? 私はただ、アンタがASMR好きなのを知ってたから、もしかして私のことも知ってるんじゃないかと思ってヒントを与えただけだっての」

「えっ⁉ それじゃあどうしてあの時、奥沢優里香とこれ以上関わらない方が良い。何か裏があるとか言ったんだよ」

「そ、それは……」


 俺が問い詰めると、悠羽は頬を赤く染めて、唇を尖らせた。


「だって、雪谷のASMR好きがバレたのをきっかけにして、奥沢優里香にリアル耳かきしてもらったって聞いて、嬉しそうにデレデレしてるから、むかついて忠告しただけだし。これ以上奥沢優里香に関わると、ASMRの世界に戻ってこれなくなるよって」

「ってことはなんだ。つまり、俺が奥沢さんのリアルで耳かきに嵌っちゃったら、もうASMRの世界に俺が戻ってこないと思ったのか?」

「そうだけど?」

「な、なんだよそれ……」


 まさかの取り越し苦労だったことが判明し、俺は脱力して机に突っ伏してしまう。


「俺てっきり、悠羽が奥沢さんの秘密を何か知ってるんだと思って、ASMR関連の動画探しまくってたのに……」

「それは勘違いした雪谷が悪い。でも、私としては嬉しい。雪谷がASMRの世界に戻って来てくれて。それに、私の動画を見てゾクゾクしてくれたみたいだしね」

「べっ……別にゾクゾクなんてしてないぞ?」

「嘘乙。大体ASMR好きは、Mっ気気質の男ばっかだから、嵌っちゃうのも仕方ないしね」

「ねぇ、俺の話聞いて⁉」

「それに。私はずっと探してたの。ASMR好きの男の子♪」


 そう言って、まるで格好の獲物を捕らえたかのように、悠羽は舌なめずりをしながらにやりと微笑んでくる。

 そんな悠羽の姿に、俺は身震いしてしまう。


「俺、そろそろ帰ろっかなぁ……」


 身の危険を感じた俺は、バックを手に取り、そのまま理科実験室を後にしようと立ち上がる。


「逃がさないよ」


 すると、俺よりも早く悠羽が扉の元へと向かっていき、通せんぼしてきた。


 そして、カチャリと理科実験室の内鍵を閉められてしまう。


「お、お願いします。どうか……どうかこの命だけは勘弁してください」

「ダーメ。だって、こんな身近にASMR好きな男の子がいたら、リアルで調教したくなっちゃうものでしょ?」


 にやりと悪い笑みを浮かべながら、悠羽はどこから取り出したのか、ゴム手袋を両手に装着したかと思うと、トコトコと俺の元へとゆっくり近付いてくる。


「ちょ、待って⁉」

「大丈夫、安心して。今からじっくり身体で分からせてあげるから♪」

「全然大丈夫じゃないんだけど⁉」

「とりゃ……っ」

「うおっ⁉」


 俺がその場で立ち尽くし、ガクブル震えていると、悠羽が両手でとんと押してきて、俺は簡単に地面へと倒れ込んでしまう。

 床に思いきり尻もちをついてしまい、俺は打ったお尻を手で押さえた。


「いててててて……きゅ、急に何するんだよ悠っ」

「えいっ!」


 刹那、床に倒れていた俺の両肩を悠羽は手で押さえつけてきて、俺はそのまま床へと押し倒されてしまう。


「ちょ、悠羽、いきなり……はぁ⁉」


 驚いたのも束の間、悠羽は俺のお腹にボンっと身体を乗せ、馬乗りの体制になってしまう。


「へへっ、捕まえた♪」

「ちょ、悠羽……一体これはどういうつもりだ?」

「ふふっ、本当はわかってるくせに?」

「いや、全然わかってないけど⁉」

「ふぅーん。じゃあ教えてあげる。今からたーっぷり雪谷の事、リアルで調教して感じさせてあげる」


 リ、リアルで調教……だと⁉

 悪魔の言葉を悠羽が発し、俺の身体はぞわりと身震いしてしまう。


「ふふっ、いいよその反応。もっと見せて?」


 まるで、獲物を捕らえた肉食獣のような目で見据えて来る悠羽。

 俺の知っている、無表情で何を考えているのか分からない彼女とは違い、今は完全に園田わかばとしての顔がそこにはあった。


「まっ、待ってくれ悠羽。一旦話し合おう。な⁉」

「私が話し合いに乗る事なんてあると思ってるのかな? ど・れ・い・く・ん♪」


 二人の会話は、俺が聞いた園田わかばのドS系ASMR動画のシチュエーションそのもので、悠羽はSっぷりを存分に発揮してくる。

 もう既に押し倒されて馬乗りになった時点で、どちらが有利かは、答えが出てしまっているようなもの。


「それじゃあ……今日は特別に、リアルで指掻きしてあげるからねー」

「待て待て待て……本当に無理だから」


 懸命にもがくものの、悠羽に跨がれていて、がっちり身体をホールドされてしまっているため、容易に抜け出すことは出来ない。


「大丈夫、ちゃんと耳傷つけないように、加減はするから」

「いや、そう言う問題じゃなくて――」

「それに、動画越しじゃなくてリアルでしてもらえる機会なんて、もう二度とないかもしれないよー? こんな特別な体験が出来るんだから、むしろ感謝してもらわなきゃ」

「そもそも、俺はリアルで指耳かきなんて望んでないし、奴隷になった覚えなんか――うぉっ⁉」


 刹那、ズボっと悠羽の小指が無造作に俺の両耳へと突っ込まれる。


「いいから黙ってろクゾザコ……今からオイル縫ってやるからちょっと待ってろ」


 悠羽の威圧感に気圧され、俺の身体は硬直してしまう。

 どこからか取り出したのか、オイルをゴム手袋をした手へと垂らして、薄く伸ばしていく。


 ネチャネチャネチャネチャネチャネチャ。


「安心して……優しくいじめてあげるからねー」


 そう言いつつ、悠羽は俺の耳穴へとその細い小指をゆっくりと突っ込んでいき――


「あっ……♡」


 この瞬間、俺は悠羽の奴隷へと成り果てた。



 ◇◇◇



「はぁ……はぁ……はぁ……」

「ふふっ……満足した?」


 五分後、俺の絶え絶えの息と、悠羽の満足そうな声が理科実験室に響き渡る。

 リアルオイル指掻きは、想像以上にやばかった。

 オイルのねっとり感とか、耳に指を突っ込まれているという屈辱感、だけどもそこに来る抗えない気持ちよさ。

 我を忘れ、俺はビクン、ビクンと身体を震わせ、何度昇天しかけてしまった。


「ゆ、悠羽……もうギブ……ギブだから……」

「ねぇ……そんな目で懇願されたら、もっといじめたくなっちゃうんだけど。雪谷Mの素質あり過ぎ」

「そ、そんなことは……ない……」

「ふふっ、今一瞬躊躇したってことは、自覚ありってことだよね?」

「う、うるせぇ……! いいからどいてくれ」

「はいはい」


 悠羽がようやく俺の身体の上からどいてくれて、身体を起きあがらせる。


「はい、タオル」

「サンキュ」


 悠羽からタオルを受け取り、ほじられまくって犯された、オイルまみれになった耳穴を綺麗に拭き取っていく。


「ってか、なんでこんなことになったの?」

「えっ、だって雪谷が自分から求めてきたんでしょ?」

「求めてないわ! ただ俺は、悠羽が園田わかばだっていう確認に来ただけだ!」


 俺が突っ込むようにして叫ぶと、悠羽が再び俺を突き飛ばして馬乗りになってきた。


「うわっ⁉ ちょ、悠羽⁉」


 刹那、またもや両耳に指を突っ込まれ、ぐりぐりと耳責めされる。


「うぐっ……」

「ふふっ……生意気な子にはお仕置きが必要だからね。これから二人きりの時は、言動に気を付けなさい? 愛しい愛しい私の奴隷君♪」

「は、はい……かしこまりましたお嬢様」

「んふふっ……よろしい」


 こうして俺は、悠羽とリアルで秘密の主従関係を結ぶことになってしまった。

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