第3話 公開処刑
「何がいいところだったんだ雪谷?」
数学教師のドスの利いた声を耳にした途端、俺ははっと我に返って辺りを見渡した。
先ほどまでの昼休みの騒がしい喧騒はそこには無く、クラスメイト達は皆自席に座り、教科書とノートを机に広げて、俺に憐れな視線を送ってきている。
パッと視線を教室前の壁時計へやると、時刻は一時三十分を指していた。
つまり今は、五時間目の授業中ということになる。
どうやら俺は、ゆらちゃんのASMR耳かきの心地よさでうたた寝してしまい、いつの間にか夢の世界へと誘われていたらしい。
「雪谷、スマホをこっちに渡しなさい」
「……はい」
数学教師に言われた通り、制服のズボンのポケットからスマートフォンを取り出して、Blueto〇th接続をオフにする。
再生停止ボタンを押して、数学教師へスマホを手渡そうとした時――
『チュッ! えへへっ……君の心地よさそうな顔見てたらキスしたくなっちゃった♪ それじゃあ今度は、耳フーフーするね?』
なんと、ゆらちゃんのバイノーラル囁きボイスが、教室中に大音量で流れてしまったのだ。
しかも、リップ音付きというおまけ付き!
どうやら、勝手に再生が自動停止していたらしく、再度再生ボタンを押したことで、逆に再生されてしまったらしい。
俺は慌てて、三角形の再生停止ボタンをタップして音声を止める。
慌ててバックグラウンドをすべて削除しようとしたところで、しびれを切らした数学教師がパッと俺の手からスマートフォンをかっさらった。
そして、数学教師は険しい表情のまま、スマートフォンの画面を覗き込む。
「『絶頂ゾクゾク、癒しの耳かきマッサージ……。極上の眠りへイってらっしゃいませ』……雪谷なんだこれは? 数学の授業中にいかがわしいボイスを聞いて就寝とは、ずいぶんといい度胸してるじゃねーか」
動画タイトルまで読み上げられ、まさかの公開処刑。
背筋がぞっとして、体中からぶわっと嫌な汗があふれ出す。
恥ずかしさのあまり、俺は顔を上げることが出来ず、ただただ俯くことしか出来ない。
クラスメイト達からは、ドン引きしたような、冷えた空気感が伝わってくる。
次第に、教室内にザワザワとした声が漂い始めた。
「えっ……今のなにあれ? なんか、女の人の囁き声みたいなのが聞こえたんだけど」
ASMRを知らない奴らが首を傾げ。
「今、リップ音聞こえたよな? 雪谷ヤべぇよ。授業中にエロボイス聞いてやんの」
「マジかよ。どんだけ欲求不満だったんだよ」
ASMRボイスをエロボイスと勘違いする奴らに
「昼間っからASMR動画とか。ヤってんなー雪谷」
「うわっ、雪谷学校でASMRとか聞いてんのかよ。きっしょ」
「ASMRって確かバイノーラルマイク? みたいなので快感を得るみたいなヤツだよね?」
「えっ、雪谷そんなの授業中に聞いてんの⁉ 雪谷気持ち悪い……」
「マジ最低」
ASMRの存在を知っている程度の人達からの、幻滅する声が聞こえてくる。
だいぶ世間的にASMRも認知されてきたとはいえ、まだまだニッチなジャンルであることには変わりない。
もちろんASMRを知らない人からすれば、その音声はただの
物によっては少し過激なセリフもあったりするので、中には『ASMR=エロい動画』と認識している人もいる。
クラスメイト達からの憐みの視線が降り注ぎ、
特に女性陣からは、嫌悪感丸出しの軽蔑の眼差しを向けられていた。
終わった……。
俺はこの時、クラス内で平凡人畜無害男子ポジを確立していた自分の立場が、一気に地の底へと急転落していくのをひしひしと実感していた。
まさに今、授業中にASMRを聞いている変態男と認定された瞬間である。
「雪谷。放課後、職員室へ来い」
「……はい、わかりました」
「ほらお前ら、授業再開すっぞ」
数学教師は場を仕切りなおすように手を叩き、何事もなかった様子で教壇へと戻っていき授業を再開する。
俺は居た堪れない気持ちになりつつも、教科書とノートをカバンの中から取り出して、授業を受ける準備をした。
とそこで、じぃっとこちらを見つめている奥沢さんと視線が交わる。
彼女の視線から、感情を読み取る事はできないが、恐らく幻滅したに違いない。
俺は奥沢さんから視線をそらし、何事もなかったかのように前を向いて授業を受け始める。
しかし、クラスメイト達が何事もなかったと切り替えられるはずもなく、数学の授業が終わるまでの間、俺のことをちらちらと見てきては、嘲笑される羽目になるのであった。
「……ASMRかぁ」
彼女の呟いた声が、俺の耳に届くこともなく。
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