牧場日記1日目:アジト選びは慎重に?

第22話『そうです! 私がシュルルちゃんです!』


 朝を迎えると、周囲の気配に変化が訪れます。

 野生の生き物たちが、夜明けと共に動き出す感じ。星空が掻き消え、深い藍色から群青へと変わり出すと、空気が、水が、その息吹を醸します。


 肌の産毛に、微細な水の玉が生じる様に。

 鱗の表面が水気を帯びて、色艶を増すのです。


「さ~て、やっぱり始めますか!」


 パンと軽く頬を叩き、気合を入れて行きますよ!


 二尾がまだもぞもぞしている間に、私は馬車の幌に下げた魔法のランタンに魔法をかけ直しました。

 この周囲を大岩に見せていた幻覚を解き、今度は私たちの尻尾を、二本の脚に見せかける為の幻覚に書き換えるのです。そして、その際には、ちょっとの事くらい気にならない様に、ほんの少しだけ注意力を鈍らせる精神干渉系の魔法も付与します。

 あれ? 気の性かな? って思わせる程度の軽いもの。あんまり強くかけると、酔っぱらいみたいになっちゃうからね。


 赤いワンピースのたっぷりとしたスカートを閃かせ、二本の生足を確かめます。


「おっお~♪」


 見える! 私にも!

 まるで人族みたい! スラッときれいな細い脚です。細すぎもせず、太すぎもせずといった感じ? 大体、人族の若いメスは、こんな感じに生足をちらちらさせるものなのです。

 小鳥がぴーちく囀る様に、若い異性を引き寄せる武装の一種よね?


 理想はダンサーのおみ足です。

 あれは異性を魅了するわよね~。町の酒場でも群がってたから。あのイメージを拝借した訳です。幻覚も、想像するソースが無いと、なかなか上手にはいかないものですからして。

 てへぺろ。


「う~ん。ヤバいですね~」


 鼻歌混じりに一回り。

 自分で言うのも何ですが、めっちゃ上手くかかってる気がします!


「何か来たで御座るか!?」


 パチリ。鯉口を切る音と共に、抜刀してるし。

 地面すれすれの姿勢のまま、彼女は油断なく周囲を見渡します。

 あれ、刃の届く範囲に誰かいたら、両の足首くらい切り飛ばしてそうね。それくらいに、見事な一閃でした。

 びっくりしたなあ~もう~。


 彼女の所持する道中差しは、片刃の剣でこの地域じゃ結構珍しいものの筈。

 そのこしらえからして、この近辺の工芸品ではありませんね。

 握り何かは、何かの組ひもを独特の巻き方で巻いているし、鞘だってあんまり見ない塗料を塗ってるからね。この辺なら、握りには動物の革とか巻いた物が多いし、鞘全体にあんな塗料塗らないで、木に油を塗り込んだ物を使ったり、それに毛皮を巻いていたりとか、ちょっと違うのよね~。


 変な言葉も覚えてるし。


 もしかしたら、結構私の知らない遠くまで出かけていたのかもね。


「あ~ん。も~、何よ~。騒がしい~」


 姉妹の剣呑な空気に、もう片方も目を覚まして来たわ。

 ごにょごにょ言いながら、両目をぐしぐしこすってて、何か小さい頃を思い出します。


「もう。顔を洗いなさい。みっともないわよ」

「え~。もう少し寝てた~い」

「やれやれで御座る。もし、邪悪な冒険者が襲って来たら、そんななりでどうするで御座るか?」


 まあ、一応荒野でこの年まで生き残って来た我々であるから、ちょっとやそっとじゃやられる事も無いだろうけれど。


「平気よお~。冒険者なんか、尻尾の先でちょちょいのちょいだわ~」


 そんな事を言って、尻尾をぶんぶん振って見せる。

 ど~だか。

 実際、本当に怖いのは冒険者なんて底辺の人族じゃ無いのは、昨夜たっぷり身をもって教わって来た訳なのだけど。

 こればっかりはねえ。

 そう言った意味では、これから敵の腹の中に潜り込む訳だから、びびらせても仕方ないわ。アレに出会わない事を祈るだけね。


「ささ。朝ご飯をさっさと済ませて、門に並びに行くわよ! 急がないと、すっごく並んじゃうらしいだから!」

「「は~い」」


 やれやれと二尾ともようやく動き出します。みんな、朝は低血圧なのよね?




 日が昇り出してから、街の外門へと向かうと、既に百人くらいずら~っと並んでいました。

 まあ、昨夜からそこで一夜を明かしてた人たちが、結構居たから仕方ないんですけどね。

 勿論、私たちはそこに並ぶなんて真似は出来なかったし。


 御者台の私は、馬車をその最後尾に着けてホッと一息。尻尾は隠せる特注品よ!

 二尾は後ろの荷台でごろごろしてるわ。まぁ、いいけれど。


「私、調べたのよ。門の警備をしている騎士団って、数日ごとに交代するんですって。で、今日の当番は、あんまりもめ事を起こさないらしいの」


 気が少し緩んだのか、ちょっと饒舌になっちゃいます。


「何で、で御座るか?」

「バカね~。ケチ臭い奴ほど、何かとゴタゴタ言ってゆすりたかりするものよ~」


 ぶっちゃけ、袖の下を要求しないという、旅の行商人のおっちゃんからの情報による。

 そのおっちゃんの伝手で、紹介状を書いて貰って代行屋を雇ったのだ。

 人族の街は、おかしな連中が入り込まない様に、出入りする人間を結構厳しく取り締まっているらしいわ。

 お尋ね者然り。

 私たちの様な、モンスター然り。むふ。


 と言っても、手配書にある人物かどうか程度を調べるらしいの。

 魔法による検査は一切無いそうよ。


「あはは~。ど~してかしらねえ~」

「むむむ……」

「わくわく。わくわく」


 今日のこの門の当番は、第七騎士団。

 団長さんが、とびっきり良い男で、人気者なんだって。

 ま、この事は二尾には黙っておくわ。ちょっと、びっくりさせてあげようかと思って。


 騎士団長って言うと、人族でも数段ステータスが上の貴族なのよね。

 貴族って言うのは、支配者階級の事で、この公都の主は公王様。百年前に入植を開始した若い国で、国としては一段下に置かれてるみたい。

 だから、この国の貴族も、他の大陸の古い国に比べて若い家系だし、どちらかと言うと傍系が共に入った形だって。なんか家系とか変な仕組み~。


 それから他愛も無いおしゃべりをしながら、列が進むのを待ちました。

 やがて太陽が空に高く昇る頃に、ようやく順番が回って来た訳です。結構、待ちましたね。

 街の門は、こうして下へ来て見ると、とても大きく立派で重厚。夜中に登った時の印象とはまた違います。

 扉は巨木の一枚板を何枚も、とても重そうな金属の枠で囲い、更にはその手前に落とし格子。そして、多分、煮えた油や石を落す為のスリットも覗いています。これを建造するのに、どれだけの労力と財が投入されたか、気が遠くなりそうです。


「はい。次の方~」

「お願いしま~す!」


 担当するのは少し年配の兵士たちです。実に慣れた口調でのやり取りで、必要な書類の羊皮紙を何本も取り出しました。


 身体を少し捻って、荷台に置いていた革の鞄から。

 これは大切な書類だから雨に塗れない様、大事にしまっておいたのよ。

 すると、ズキリ。昨夜のケガが少し痛みます。でも、顔には出さない様に我慢です。何かこの肩のコインが、急に重く、冷たくなった様な気が……


 私の手から書類を受け取ったのは、不意に横合いから伸びた二本の腕でした。


「あ、あの……」


 ちょっとびっくり。


「か、閣下! 如何致しましたか!?」


 担当の兵士は、ぴしっとかしこまって敬礼します。


「あ、良いから。ここは僕に任せて」

「し、しかし!」


 とても穏やかで、ふわり耳障りの良い響き。後ろで息を飲む気配が。

 軽く右手を振ると、兵士はあっさり引き下がります。

 陽光の下、煌めく様なゴールドの輝き。くるっとした巻き毛から覗く青い瞳は、深い湖の様に静かで、穏やかに私を見つめて来ます。


「ようこそ、公都ブラックサンへ。旦那様は後からですか?」

「あ、はい」


 小さな震えが尻尾の先から頭のてっぺんまで走ります。

 この人は。

 この人はもしかして……


「ほお~……きっと御商売も上手く行きますよ。貴方からは、とても良い銭の香りがします。お名前をうかがっても?」

「シュルル!」


 ピキーン。

 全身の骨と言う骨が硬直した音?

 私、思わず蛇語でびっくりしちゃいました! 警戒音です! 警告音です! 後ろでも、これにはビクッとしたけれど。


「後のお二人のお名前は? 皆さん、記入漏れですよ?」


 忘れてたーーーーー!! 自分たちの名前を決めるの忘れてました!

 人族は、お互いに名前を付けて呼び合ってるものなんです!

 私も徒弟時代、へびちゃんって呼ばれてたから……いや、あれは名前じゃないわよね。

 賢者のおじいちゃんもお婆ちゃんも、へびちゃんって呼んでて、それで済んでたから。


「は~い! あたしは~次女のジャスミンちゃんで~す! ほら、そこはかとなくさっきから甘いジャスミンの香りがするでしょう? だから、ジャスミン!」

「うむ。拙者は三女のミカヅキで御座る。拙者も、腰にせんせいの様な銅田貫があれば……せめて名前だけでもそれに近くありたいで御座る。だからミカヅキで」


 何か色々問題のありそうな自己紹介。

 でも、私はもうそれどろこじゃありません。

 二尾が後ろから身を乗り出す様に、このキンピカさんを見に出て来ます。


「もう、びっくりだよね~、シュルルお姉ちゃ~ん!」

「イカサマ左様。びっくりくりで御座るぞ、シュルル姉様」


 そのキンピカさんは、書類を返すと共に、私の右手を取ってぞわりと怖気発つ口づけを。

 そのまま、私の事を見つめるのです。

 正に、ロックオン!


「きっと良い商売になりますよ。私はゼニマール。第七騎士団の団長を預かっております。何かありましたら、いつでも」

「まあ、な~んて素敵なお名前なんでしょう♪」

「頼りにするで御座るよ♪」


 硬直する私の背後から次々と手が伸びて、その口づけを無邪気に受けていきます。


 や、やっぱり来るんじゃ無かった……


 私は白目をむきそうになりながら、辛うじて空に救いを求めました。


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