黒の皇女 その3
フィリアナが去った後、アイドラントは背もたれに寄り掛かり深く息をつく。
「今日も断られてしまったな。せっかくあの子がまた食べたいと言っていた焼き菓子を用意したのだが……また明日までお預けか」
「今日は、この前あの子がお話したお菓子を覚えていてくれたことに喜んでいたみたいですけど、あの子は外出があるとどうしてもそちらを優先してしまいますから」
「そうだな……あの子は喜んでいたか」
(ジュリアス、今回ばかりはお前を恨むぞ)
アイドラントは愛娘の先ほどの様子を聞いて安堵すると同時に、はるか遠くの王国にいるであろう友人の顔を思い浮かべ空を睨みつける。
「しかし最近、訪問をした時に顔色が優れないようであったから何かあったのではないかと思ってはいたのだが、まさかあいつの息子が国から追われる事態になるとはな」
「…………」
アイドラントは近くで聞いているはずの妻が反応しないのを訝しみ彼女の方を窺うと、フィアンナは俯きがちに眉をひそめ目を閉じていた。これは彼女が怒っている時に見せる表情だった。
「あ……あああぁぁあ! す、すまないフィア。君の前で仕事の話をしてしまって……」
彼は妻が怒っている理由を瞬時に察して謝罪する。それを聞いたフィアンナは一瞬だけ彼の方を見て呆れるようにため息を吐いた。
彼女は仕事の話をされるのが嫌いというわけではない。皇后である以上、当然公務に携わるため否が応でもその手の話は耳に入れる。
だが今回のような夕食の時間は『今』のフィリアナと話せる数少ない時間。張り詰めた話ではなく穏やかな――できれば楽しげな話をしたかったのだ。今日はそれが出来なかったこともあるがこんなことが一度や二度ではないこともあり、フィアンナは夫に不満を見せずにはいられなかった。
「……確かにそうですね。王族が自国から追われるなど前代未聞です。まして彼が治める国で起こったことに驚きを隠せません。いったい何があったのでしょうか……」
さすがに夫の話を無下にすることは出来なかったフィアンナはいったん心を落ち着かせ、申し訳なさそうにこちらを見ている彼に調子を合わせた。
「あ、ああ……それはあいつの息子や部下の者に聞けば自ずと分かるだろう。もっとも、無事に保護されない限りは話が始まらないがな」
「そうですね……」
とりあえず怒りを鎮めてくれた妻に安堵して話すアイドラントだったが、彼女の言葉を思い出し顔を曇らせる。
「あいつが治める国で起こった、か……確かにそうだな。あいつは平和を揺るがす事態は何としてでも避けるよう人一倍努力するやつだ。だからこそ影を通して伝えられたあいつの伝言に正直度肝を抜かされたよ」
水の王国ウォルス。
清らかさと美しさを象徴するかの国は国王も含め民が一丸となって平和を重んじている。そのためこれまで国政に関しての事件を起こすことは現国王が就任して以来一度たりともなかった。
また、現在国王を務めているジュリアス・エイヴァンスという男は家族のみならず国民にも穏やかな暮らしを送らせることを第一に考えるほどの優しさを持った人物である。
水の王国で大きな問題を一番に出したくないのは他ならない彼だからこそ、今回の件に皇后も皇帝も驚かざる負えなかった。
「とにかく一刻も速く情報が欲しいところだ。あいつの息子が逃げるほどの事態……一体ウォルスで何が起こっているのか把握せねば」
「彼を助けることが出来ない、ですよね」
そんなことを妻から唐突に言われたアイドラントは目を見張る。
「あなたは本当に本音を言わないのですね。本当は今すぐにでも彼のところへ行きたいのでしょ。いつもの癖が出ていますよ」
フィアンナの指摘でアイドラントは視線を移すと自身の組んでいる手が僅かに震えていた。彼は大きな悩みを抱えると無意識に拳を強く握ってしまうのだ。
自らの癖に苦笑し気を緩めたアイドラントは組んでいた手を解き、ティーカップを持って中身を一気に煽ろうとしたが、既に紅茶は空だった。
そんな彼の間抜けな様子が面白くてフィアンナはつい笑ってしまう。それにつられてアイドラントも笑い声を上げ、その場は少しだけ和やかな空気になった。
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