黒の皇女 その2

 フィリアナは両親が待っているであろうダイニングルームへ続く廊下を進んでいた。

 本当なら彼女は一刻も早く自分の執務室に行き、仕事に取り掛かりたかった。しかし大切な家族がわざわざ自分のために待ってくれているのにそれを無下にするは出来なかった。

 部屋に辿り着いたフィリアナが扉を開けると、そこには横長のダイニングテーブルの奥にアイドラントが、右側にはフィアンナがすでに出されていたであろうディナーを食べずに座っていた。

 フィリアナはそれを見ても何も思った様子はなく、そのまま左側に用意された椅子に着き、そろって食事を始めた。

 しばらくは誰も何も言わずに匙を運んでいたが、最初に口を開いたのはアイドラントだった。


「フィリアナ、今日の業務は少ない。執務室に行く前に私の部屋で少し話をしないか」


 彼は明るい口調で提案したが、フィリアナは視線を料理に落としたまま事務的に断る。


「……ヨルナから聞いた影の情報を確かめるために業務を終わらせた後、外出しなければならないので遠慮させていただきます」


「……そうか」


 アイドラントはあからさまに落ち込んだが、すぐに気を取り直しどうにか気を引こうとする。


「今日は火の王国から取り寄せた有名な焼き菓子を用意しているぞ」


「…………いえ、結構です」


 甘いものに惹かれてしまうフィリアナは一度眉間にしわを寄せ考え込んだが、きっぱりと言い切った。

 それを聞いて彼はさらに落ち込み、その様子を見ていたフィアンナは悲しげな表情を浮かべていた。

 フィリアナの父に対しての辛辣な対応は今に始まったことではない。

 昔から『今』の彼女は父を含め他の者たちに距離を置くような態度を取っている。彼女がなぜそのような態度を取っているのかはほとんどの者は分かっておらず、その者たちもまた『今』の彼女に距離を置いてしまっている。

 だが父である皇帝や宰相のバークス、彼女を世話するメイドたちは彼女に寄り添うようにしている。そして彼女の性格を理解している上で親身に接するものが一人。


「フィリアナ、この人はしばらくあなたとお話ししてなくて寂しがっているのよ。お菓子も用意してくれるっていうのだから今日は付き合ってあげたら?」


 フィアンナはそう言ってフィリアナに提案する。

 するとフィリアナは顔を上げ、初めて表情を崩し少しすまなそうな顔になった。


「申し訳ありません。書類を片付け次第すぐに外出しますので今回は遠慮させていただきます」


「そう……」


 少し残念そうなフィアンナを見て、フィリアナはばつが悪くなり彼女から顔を背けた。

 しばし沈黙が流れたのち、アイドラントは唐突に咳ばらいをし、今度は真剣な表情で話をしだした。


「フィリアナ、先ほどお前の口から出た影の情報に水の王国の王子のことが含まれていたのは知っているな」


「はい」


 そこで初めてフィリアナはアイドラントと顔を合わせる。


「もしその王子を発見した時は保護してほしい」


「なぜです?」


 険しい表情に戻ったフィリアナは父からの命令に疑問を持つ。

 自国の民ならともかく他国の民を快く迎え入れるほどの心の広さを『今』の彼女は持ち合わせていなかった。

 彼女からの問いにアイドラントは少し懐かしむように答える。


「実は、我は水の王とは古い付き合いでな。その彼から極秘裏に息子がそちらに向かっているので迎え入れてほしいと頼まれた。彼直々の頼みであれば友人としてもそうだが皇帝としても断るわけにもいくまい。だから保護なのだ」


 ひと通り話を聞いたフィリアナだったが納得のいかない様子だった。彼女は別の疑問をぶつける。


「逃げた王子に部下がいたそうですが、そちらは?」


「そちらも保護だ。どうやらその部下たちは水の王が信頼を置く者たちとのことだ。彼らを客人として迎え水の王国で何があったのか詳しい話を聞きたい」


 フィリアナはまだ不満な表情を示すがとりあえず了承し、また新たな疑問を投げかける。


「分かりました……ですがもし保護対象が死んでいれば、どうするのです?」


 予想はしていたのであろうアイドラントはしばらく考え込んだ後、はっきりと口にした。


「……その場合、水の王にありのままを報告するしかあるまい」


 それを聞いて彼女はそれ以上は質問せず、再度「分かりました」と言ってまた匙を動かし始めた。

 しばらくしてフィリアナは食事を終え、ごちそうさまを言うや否や早々に席を立って部屋を出ていこうとする。

 ドアの前まで来たところで後ろから名前を呼ばれて彼女は少しだけ振り向く。


「フィリアナ、お仕事頑張ってね。無理はしないようにね」


 母からの励ましの言葉にただ小さく頭を下げて部屋を後にした。

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